第五話 魔女と雪と手紙配達
ここに来て約十年近く。このあたりの地域は冷え込むことはあるが、雪が降ることは珍しかった。ましてやそれが積もるなんて。
絵に描いたように白くなった外を、窓の内側から、イルザは眺めていた。雪はいまも、灰のように降ってきて、森を白色で包み込んでいる。少し生活に支障をもたらす程度の降雪量だろう。地面を見れば、厚く積もっていないものの、歩きにくそうだった。おまけに、いつもの景色が真っ白になっているのだ。この森の外にある村の人間であっても、村の中でどの家が誰の家であるか、わからなくなっているかもしれない。
村の中でもそうなるかもしれないほど、ここの人間は雪に慣れていないし、それ程に雪が降っているのだ――こんな日に森に入ろうとするなんて、いくら慣れた人間でも、迷子になる。
「……ひどい有様ね」
だから、突然外への扉が開いて、そこに真っ白になったアルベルトが立っていたのを見ても、イルザはすぐに理解した。少し、驚きはしたけれども。
アルベルトは、足元には雪をまとわりつかせ、帽子にも雪を積もらせていた。体の正面に妙に雪がついているのは、正面から転んだからだろう。表情はなく、それでも肩から郵便配達用の鞄を提げていた。
* * *
「こんな日くらい、家でじっとしていなさいよ」
「いやぁ、そうしようと思ったしそうしていいって言われたけど、町から来た手紙の中に、一通気になるのがあったからさぁ」
家に上がり込んだアルベルトは、靴や靴下、上着や帽子を脱げば、暖炉の近くに並べた。そうして席に着いた彼に、イルザは紅茶を出した。アルベルトはすぐに手を伸ばした。
「やあ、ありがたい……思ってたより外は寒くて白くて歩きにくかったよ! ここまで来るのに、一回変な場所に入って、慌てて戻ろうとしたら転ぶし」
カップを握り、冷えた手を温めている。暖炉の前を見れば、濡れた衣類を置いた場所から、床が湿り始めていた。椅子に掛けた上着からも、水が滴っている。雪に適していない服であるものそうだが、一体彼はどれくらいの時間歩いてきたのだろうか。
とりあえずは、これ以上部屋を水浸しにされては困るので、イルザは濡れた衣類に近づけば「そうであれ」と願う。とたんに衣類の全ては乾ききり、湿りも消え失せる。願えば全てをその通りに変えられる、魔女の力。
「町からの荷馬車ってしっかりしてるからさ、あいつら雪なんて関係ないんだよな……で、今日来た手紙の中に、いい紙でできた真っ白い手紙が一通あってさ、宛先はティズ姉さんのところ……で、ぴんと来たんだ、ティズ姉さん、町に出た妹が今度結婚するかもしれないって話してたから」
郵便配達役として村を歩くアルベルトは、村のこと、村の人々のことを、よく知っている。そして彼は、その村人から忌み嫌われ、村から少し離れた森の中に住んでいるイルザのところにも、顔を出す。
イルザも村の一員だと思って。それとも、村長辺りに、監視しろと言われているのだろうか。
何にせよ、彼が来ることに関して、イルザは悪い気を覚えなかった。あまり親しくされると困るために、そっけなくしてしまうが。
アルベルトは続ける。
「いい知らせは、早く持ってくべきだよな。だから雪の中、なんとか濡らさないようにその手紙だけ持って行ったら、やっぱり結婚の報せだったんだ。そしたらティズ姉さん、お喜びで出発の準備を始めて……町に行った妹のこと、本当に心配してたからさ。今頃、村から出られたんじゃないかな」
「こんな雪の日に?」
「大丈夫だと思うよ。あの様子なら。絶対に町に行くって様子だったから」
それに、と彼は窓の外を見る。
「雪が降るのは珍しいけど、そう長引くもんじゃないさ」
明日にはもう止んでいるだろうか。雪はいつ、なくなるだろうか。それは誰にもわからないけれども。
とはいえ、何故彼がこんな雪の日に外に出たのかがわかった。アルベルトは村のことが好きで、また自身の仕事に誇りを持っている、ということだろう。
アルベルトが村の郵便配達役を何故引き受けたのかは知らない。思えば、過去のある日、彼は突然この家にやってきたのだ。郵便配達役の仕事で、村人がどうしているのか知るのも仕事だから、と。あれは何年前だっただろうか。あの時、自分はこの家で一人で暮らしてはいなかった。あの人がいた。自分をここまで連れて来てくれた人だ。隠れるように二人でここで暮らしていたら、彼がやってきたのだ。
ところで。
「それで、どうして私の家まできたの?」
いまの話からして、アルベルトの仕事はもう終わったはずだった。その一通の手紙以外はないようだし、ここまで来る必要はなかったはずだ。
彼は一瞬だけ困ったような顔をしたものの、
「こんな雪の日だから、村から離れたこんなところに住んでるお前、大丈夫かなって!」
そんな理由で雪の中、迷子になりながらもここへ来たのか。呆れてイルザは溜息を吐いた。そもそも大丈夫か、とは。
時々思うのだが、アルベルトはいま目の前にいる自分が「魔女」と呼ばれる存在であることを、忘れてはいないだろうか。
気にしていないのは、嬉しいが。
「……あんまり長居すると、村の人達が心配するわよ」
「それもそうだな、イルザも何ともないみたいだし、あんまり長居するとお前に迷惑かけるし、そろそろ出るか」
アルベルトは乾いた衣類を身に纏えば「それじゃあな!」と扉へと向かう。扉の向こうは変わらず白い世界で、まだ雪は降っている。
「村まで送るわよ」
すかさずイルザも外に出た。上着も何も持たずに。問題はない。
外へ出た瞬間、周りの雪が解けて、そこだけいつもの道にようになった。乾いた地面が見える。そこには雪もちらつかない。正しく言えば、イルザの周りだけは、雪が降っていなかった。あたかも世界が違うかのように。寒さもない。
それは目に見える、魔女の所有する世界。魔女の「そうであれ」という願いが届く世界。
「また迷子になったら、困るわ」
アルベルトの隣に立てば、そこにはもう雪が降らない。
「助かるよ」
アルベルトは最初の内は驚いていたものの、やがてそういえば歩き出した。イルザも並んで歩く。二人の周りだけは、いつもの世界だった。
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