第四話 魔女と未来
冷たい風が吹く季節になった。窓の外では、その風に葉がさらわれるように舞っている。
そういえば、この地にやってきたあの日も、こんな日だったと、イルザは思い出す。空へとさらわれていく葉を見て、自分もこれからどこへ行くのだろうかと不安だった。これからどうなるのか。そして一緒に逃げてきたこの人はどうするのだろうか、と――。
そんなことを考えたからだろう、急に家の中が冷えてきた。暖炉の火はくすぶっている。イルザが、そう考えてしまったからだった。魔女は、世界を思うように変えられる。
寒いのはあまり好きではない。暖炉に新しく薪を入れ、お湯を沸かし始める。少し時間がかかるだろう。魔女の力を使えば、全てが一瞬だ。暖炉がなくても部屋を暖められるし、お湯どころか紅茶もすぐに用意できる。けれどもそんなことはしない。
ドアをノックされたのは、そんな時だった。来客とは珍しい。アルベルトではなさそうだ、彼は名乗るから。と、すると困り果てて渋々ここまで来た村人か、それとも。
「――こんにちは、突然、失礼します」
外に立っていたのは、全く見知らぬ男だった。まだ若く、眼鏡をかけている。服装は、平凡な村人のものではなく、明らかに裕福そうなものだった。
このあたり、田舎の人間ではなさそうだ。街の人間だろうか。
まさか、噂を聞きつけ、魔女の力を頼ってここまで来た人間だろうか――過去に何度かあった。イルザは露骨に嫌な顔をしたものの、男は表情を変えなかった。
「……瞳の中に、花の模様がありますね」
イルザの目を、のぞき込む。
「人々が呼ぶところの魔女で間違いなさそうですね、あなたが、イルザですね?」
「……何の用? 魔女に用があるみたいだけど」
嫌な予感がして、イルザは目を細める。どうも、何か頼み事をしに来たようには思えないし、魔女に怯えている様子もない。普通は、忌み嫌うのに。
「ああ、私はあなたの敵ではありません、味方です」
すると男は、慌てた口振りながらも、落ち着いた様子で微笑んだ。
「申し遅れました、私は『千年花』財団の一人、デニスと申します……あなた達のような、魔女と呼ばれる人々を保護しています。今日は、ここに魔女がいると聞いて、迎えに来ました」
『千年花』財団? 魔女を保護?
変なのが来たのかもしれない――とっさに思う。
「どういう意味?」
首を傾げると、デニスは隠すことがないというように、すらすらと答えた。
「言葉の通り、私達は、魔女を保護する財団で、今日はあなたを保護しにきました……西の方から、魔女狩りの風潮が広がってきているでしょう? いずれ、この地にもやってきます。私達は、そいつらから、あなた達魔女を守りたいのです」
魔女狩りの風潮。それがあるのは、知っている。いままではただ忌み嫌われる存在だったが、人々はついに魔女撲滅に乗り出したのだ。
――だから、ここまで来た。
けれども。
「……きな臭いわね。どうして普通の人々が殺してまで嫌がる魔女を、保護しようなんて考えるわけ?」
真意がわからない。魔女を保護するなんて、つまり彼らも人間の敵と見なされるではないか。
「魔女……人々は、いまではそう呼んで忌み嫌いますが、遙か昔には、崇められていた存在です」
冷たい風が家に吹き込んでくる中、デニスは説明する。
「その力は、いまでは恐れられるものの、かつては世界を導くものでした。魔女と呼ばれる人々は、過去、人々を導きました。病魔を払い、飢餓をはねのけ、人々を平和な世界へ導いたのです……その力は、神の力です。未来と世界のために、必要なものなのです」
――神の力。
魔女は、自分の周りの世界を、思うように変えられる。病気の人間を治したり、植物を一瞬で育て実らせたり、願えば実現する。
しかし、全てではない。勘違いをしている。
「いま、世界の人々は、魔女狩りという、間違ったことをしています。だからこそ、私達はあなた達を保護しているのです。あなた達魔女は、いいえ、神の力を持つ人々は、いずれ世界を支える――」
「神様なんかじゃないわ、私」
風がふと止むように、イルザはデニスの言葉を遮って、言い切った。花の模様がある瞳で、見据える。
「間違えないで。神様なんかじゃないのよ。私も、他の魔女も」
ふと室内を見れば、あの植木鉢が目に入った。何も生えていない、土だけ入っているかのような植木鉢。溜息を吐き、イルザは続けた。
「……魔女ってそんなに、何でもできないわよ――何にもできないのよ」
きっと、全能という言葉からは遠いのだろう。
――魔女は、魔女故に、あまりにも不自由なのだから。
「未来のために保護なんて……私はここから動かないわよ。帰って」
あまりにも、くだらない話。
イルザは開けた扉のドアノブを握った。
「絶対に行かないわよ。ろくなことが起きやしないから。あんた達は、過信してるのよ……そもそも、魔女狩りが世界中で発生するというのなら、それはつまり、世界が魔女を求めていないってことでしょう?」
奇跡だけではない。魔女は災厄を引き起こす元にもなる。そんなリスクがあるのならば、と、人々は奇跡を捨てることを選んだのだ。
「――では、自分の存在を、世界に否定されてもいいのですか。少なくとも、あなたも、魔女になりたくてなったわけではないでしょう?」
するとデニスは、その現実をえぐり出すように言う。
「……いつの日にか、あなた達が認められる日が来ます。その時まで、私達が保護をします。ほかの魔女達と一緒に過ごした方が安全ですし、私達の場所では、魔女を嫌う者はいません」
「魔女といる方が安全ね……」
おかしなことを言っている気がして、思わずイルザはわずかに口の端をつり上げた。何を言っているのだろうか。それに。
「別に私は、誰かに認めて欲しいわけでもないわ。誰が否定しようが関係ない。勝手に言わせておけばいい。ただいまは……ここで静かに暮らしてたいのよ、私は」
世界がどうであろうと、ここで一人過ごす方が、安心するのだ。
大人しくしていれば、何も起きないから。
再び風が吹けば、地に落ちた葉が削られるような音を立てて冷たい土の上を這う。やがて自然と一カ所に集まれば、それはまるで死体の山のようにも思えた。
「……わかりました」
デニスはわずかに頭を垂れた。
「今日は、話ができただけで十分です。正直、妙な者が来たなと思ったでしょう。けれども、憶えておいて下さい、私達のような財団がいることを……すぐに私達と一緒に来てくれるとは、もちろん思ってはいませんでした。あなたの他にも、保護を断る方や、戸惑う方は多い」
彼は一歩下がると、冷たい風に巻かれながら、改めて頭を下げた。そして上げた顔には、少し不安そうな様子が見られた。
「また来ます。気が変わったら、保護を申し出て下さい、皆のところへ案内しましょう……けれども、気をつけて下さい。この地域では……魔女はあなただけになりました。一人は保護が間に合わず、人間に殺されてしまいました。もう一人は失踪……」
イルザは黙っていた。
* * *
デニスが帰ってしばらくして、入れ違いのように、アルベルトが尋ねてきた。「俺だ、郵便屋だよー、変わりねぇか?」と扉をノックしてきたものだから、開ければそれが自然というように家に上がり込んできて、席について自分の分の紅茶を待っていた。
仕方がないので、淹れてやる。そうして彼の前にカップを置いたときだった。
「あいつどうだった? あの、魔女の味方だとか言ってた奴」
「……あんたあいつに会ったの?」
「魔女に会いに来たっていうから、道を教えたんだよ」
なるほど、こいつが道を教えたのか。溜息を吐きながら、イルザは紅茶をすすった。
「余計なことしないでちょうだい。何であんな面倒な人に道を教えたのよ」
「悪い奴には見えなかったから……それにお前、知り合いとか友達少なさそうだし……お前、いつもなんかつまんなそうじゃん」
そう言われたものだから、思わず睨んでカップを置いた。
「必要以上に他人に関わりたくないのよ、ろくなことがないから」
――魔女の力は、魔女本人も含めて、人を不幸にする。そう経験してきた。
気が付いたようにイルザは小さな水差しを手にすると、あの植木鉢に水をやる。
今日も芽は出ない。
――果たして、ここに本当に花の種があるのか、ないのか、わからないけれども。
……あの人は、何を思って、何を願ってこの鉢植えを置いたのだろうか。
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