第三話 魔女とカラス達
本を読むのは好きだった。魔女は人々の中に混ざることが難しいからだ。
だから本を読んで、外はどうなっているのか考える――深く想像しては、いけないけれども。
今日もイルザは、家で本を読んでいた。昼下がり、椅子に座って本を読む。もう少しで、読み終わる。
けれどもそこで、外から妙な羽ばたきが聞こえてきたのだ。
窓の外を見る。黒い影が二つ。
カラスだった。少し離れた茂みの近くに二羽。親子か、兄弟か、つがいか。
一羽の様子がおかしかった。翼をだらりと下げている。もう一羽は、その周りを慌てているかのようにぴょんぴょんと跳ねている――片方が怪我をしていて、もう片方が心配しているのだと、すぐさまイルザは気付いた。
椅子から立ち上がると、外へと出て、カラス達へと近付いた。今日は機嫌がよかったのだ。距離を縮めていくと、元気なカラスが気付いて、大きく鳴いたかと思えば飛びかかってくる。けれども、
「落ち着きなさい」
魔女の命令。その力によって、カラスはまるで石になったかのように、地面に着地し直立する。そのカラスを横目に、イルザは怪我をしているカラスへと近付く。怪我をしたカラスはひどく怯えていた。だらりとした翼は、折れているのだろうか。何故こんな怪我をしているのだろうか。
何にせよ関係ない。とにかく、元の翼をイメージする。そして怪我した翼を撫でる。
――翼は、元通りになっていた。
想像したこと、願ったことが実現する――それが神の如き、しかしそれ故に恐れられる、魔女の力。
翼が一瞬で治って、カラスはきょとんとしつつも、翼を畳む。だが信じられないらしく、また広げては見つめて繕い、瞬きをする。
「――ほら、もう行きなさい」
その言葉で、元気なカラスにかかっていた魔法が解ける。元気なカラスはばっと飛び立った。怪我をしていたカラスも、半ばその音に驚くようにして飛び立ち、もう一羽を追う。
と、どちらのカラスのものかわからないけれども、黒い羽根が一枚、ふわりと落ちてきた。地面に落ちたそれを、イルザは拾い上げる。艶やかな黒色の羽根だった。
* * *
「どうだぁ? その本、おもしろかっただろ? 流行ってるらしいぜ、街の方で」
次の日の夕方前。郵便配達役のアルベルトが家にやって来た。イルザ宛ての手紙はないものの、相変わらず様子を見るために、彼はここにやって来る。しかし今日は、それに加えて「本を返してもらう」という理由があったのだ。
「……そこそこね」
窓辺にある、何も生えていない植木鉢に水をやりながら、イルザは答えた。
「続き気になる? 実は近いうちに出るって話なんだよな」
アルベルトがそう言うものだから、イルザはそっぽ向いて、
「……そこそこ気になるわね」
はっきりとは答えない。本当はひどく気になっているとしても。
その時だった。アルベルトがあのカラスの羽根を見つけたのは。テーブルの上に積んであった数冊の本をバッグへしまい込む。すると、その下から出てきたのだ。
「なんだこれ、綺麗だな、作ったのか?」
アルベルトは羽根を手に取ると、くるくると回して見つめる。作ってはいない、とイルザは言おうとすると、
「――そういえば今朝、モーヅじいさんが畑のカラスを必死に追い払ってたなぁ。あのじいさん、ついに猟銃まで取り出したんだ、たった二羽のカラス相手に。やりすぎだよなぁ」
――二羽のカラス。
「そのカラスって、どんなカラスだったの?」
気にかかり、尋ねた。まさか。いやしかし、カラスは沢山いる。だから。
「俺は直接見たことないけど……以前から畑を荒らしてた二羽らしくてさ。それでついに今朝じいさんが怒り狂って、撃ち殺したんだと。この前はうまいこと一羽を鍬で殴って追い払ったのに、また来たのかって」
一羽を鍬で殴った――もし昨日のカラス達がそのカラス達ならば、あの怪我は。
「それじゃあ、また今度な! 今度はお茶でも淹れてくれよ!」
アルベルトがバッグを閉じ、外へと続く扉へ歩き出した。その背を目で追いながら、イルザは考える。やがて。
「――案内してちょうだい、その畑まで」
早足で彼を追い、続いて外に出る。アルベルトがどうした、といった表情で振り返る中、猫を思い浮かべる。真っ黒な猫。
魔女の持つ、自身を中心とした小さな世界では、魔女の思うとおりに世界は変わる。
「うわっ! 猫! すげーなイルザか?」
アルベルトの目の前で、イルザは猫へと姿を変えたのだった。魔女の瞳――花が咲いたような瞳を持つ黒猫――人間の姿で村に行けば、騒ぎになるから。
「なあ、何にでもなれるのか? 俺も猫になれるか? いや鳥になってみたいかも!」
普通の人間が見たのならば、怯える力。けれどもアルベルトは無邪気だ。
「はやく案内して」
命令すると、魔女の力によって、アルベルトが突然村の方へと向く。しかし彼は笑って「わかったよ、わかったって」と笑って自ら歩き出す。
アルベルトは、ある程度魔女の力を使っても怯えないので、気が楽だ。
* * *
「ごめん」
夕焼けに色付き始めた空の下。何故かアルベルトが謝った。
彼に案内してもらった畑の横には、二羽のカラスの死体があった。猫の姿から、元の姿へと戻ったイルザは、そのカラスの死体を見下ろす。
紛れもなく、昨日見たカラスだった。
アルベルトが謝ったのは、イルザがカラス達の死体を見下ろし黙り込んで、しばらくしてからだった。イルザとこのカラス達に、何らかの関係があったのを、察したのだろう。
「どうして謝るの。あなたは関係ないわ」
きっぱりとイルザは答え振り返った。
「このカラス達が学ばなかっただけよ。せっかく私が怪我を治してあげたのに……また人間の畑を荒らしに来て。それで、殺されてしまっただけよ」
彼らは畑を荒らしていた。だから殺されてしまっただけなのだ。
そうしなければ、死なずに済んだのに。
「……墓、作るか? このままにしておくのは……お前、嫌みたいな顔してるぞ」
こちらの顔を覗き込み、アルベルトが尋ねる。だがイルザは、
「墓はいらないわ」
と、そう言った次の瞬間、畑から少し離れた場所が抉られ、土がかき出され、穴ができる。
「埋めてあげるだけでいい」
イルザはカラス二羽の死体を手に取れば、その墓穴のそこへと並べる。願えばかき出した土が元のように穴を埋めていく。あっという間にカラスの二羽の死体は姿を消した。掘られた跡だけが残る。
空を見上げれば、日が暮れていた。
「そろそろ帰らないと……ここは、魔女が来る場所でもないし」
オレンジ色の空を、カラスが森へ向かって飛んでいた。
「送るよ、日が暮れるのに、女の子一人歩かせるなんて」
「いらないわ」
どこか慰めるかのようなアルベルトの言葉を、断る。そして森へと歩き出す。村にはいられないから。
「――それじゃあ、また今度、本を持って行くよ」
と、背に声をかけられる。振り返れば、彼は手を振っていた。
「――そう、ありがと」
イルザはそれだけ答えると、森の奥へと消えていった。
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