第二話 魔女と友人
森の中を進む。春の日差しに照らされた、緑色の森の中。
やがて、大きな白い花を咲かせた木々が見えてくる。
突然だった。突然、白い花を咲かせた木が現れるのだ。まるで緑一色の森と、その花の咲いた木の森の間で、境界線があるように。そこから先は別世界であるかのように。
そして、その花の咲いた木々は、小さな家を囲むように立っていた。
これが魔女イルザの家である。煙突から、煙が出ている。
「――家の周りの木に花を咲かせるなんて、魔女っていうわりには可愛いことしてるよなぁ」
白い花を見つめながら、アルベルトは魔女の家を目指した。
ここから一番近い村の郵便配達役であり、また住人の状況を調査する役でもある彼は、村から離れたこの家に住む魔女すらも、その対象と考えていた。
* * *
アルベルトが尋ねてくると、少し手間だとイルザは思っていた。
扉を叩かれて、誰だろうと開いてしまえば最後。来客の正体が彼だと知ればすぐさまイルザは扉を閉めようとするものの、扉を開けた瞬間にアルベルトは扉を閉めさせはしないと、足をこちら側に突っ込むのだ。
彼は、イルザがどんなに力を込めて扉を閉めようとしても、追い払おうとしても、退こうしない。魔女特有の花の瞳で睨んでも、お茶をしようよと変わらない様子で言ってくる。
果てに、イルザが折れて、家に彼を入れる。いつものことだった。
「お茶を飲んだら早く帰ってちょうだい……」
自分の周りの世界を、自分の願うように変えられる力。それが魔女の力。
魔女の力を使えば、簡単に彼を追い払うことができた。けれども、それだけはしなかった。そういったことに、あまり力を使いたくないからだ。
また、彼が特に悪い人間でないことも、わかっている。
「そういや春だから、また外の木に花咲かせたんだ? すげーなぁ、魔女ってほんと、いろんなことができるんだな。あの木、本当はそもそも花が咲く木じゃないだろ?」
アルベルトはのんきにお茶を飲みながら窓の外を見つめていた。一方、イルザはそんな彼から距離を取るように、部屋の隅、その壁に背を向けてよりかかっていた。それも、腕を組んで不機嫌そうに。
アルベルトはそんな彼女に笑いかける。
「おい、お前はお茶飲まないのか? おいしいぞ――お前の淹れてくれたお茶だけど」
「あなたが帰ったら、一人で飲むわ」
そもそも何故、彼はここに来るのか。イルザは不思議でたまらなかった。
彼は、この家から一番近い村の人間だ。郵便配達役であり、またそうやって村を回ることで人々の様子を見守る。村だけでいいはずであるのに、彼はここまで来るのだ。
イルザも村人の一人と考えて。村からは距離がある上に、自分は魔女であるのに。人々が恐れる魔女であるのに。
……もっとも、彼が来ることについては、手間だとは思うものの、決して嫌だとは思わないが。
――ただ、何かあっては――自分が何かしては、困るが。
と、アルベルトが部屋の一角を見て、気付く。
「あのバスケット、咲かせた花を集めたのか? へぇ、ああするとすごい綺麗だな」
それは、彼の言うとおり、家の近くの木に咲かせた花を集めたものだった。バスケットに入れて、部屋の一角に飾ったのだ。自分でも満足するほど、綺麗な花が咲いたものだから。
「……あれ、俺に譲ってくんない? そうしたら、俺はあれを村に持って行って、魔女が咲かせたんだぞ綺麗だろうって、見せびらかすから」
「そんなこと止めてちょうだい。それにあげないわよ」
「でも、そうしたら、村の奴らも、あんまりお前のこと、怖がらないと思うけどなぁ」
彼は本当にのんきだ――村人に恐れられているからという理由一つだけで、こんな場所に住んでいるわけではないのに。
多分、怖がっているのは、魔女である自分の方だ、とイルザは思う。
「――あんた、前に言ってたけど、自分の周りを、好きなように動かしたり、変えたりできるんだよな?」
不意にアルベルトは聞いてくる。勘違いしてほしくないが、ほとんどその通りであるため、イルザは溜息を吐く。
「できないこともあるけど、あんたを追い出すことぐらいはできるわよ」
「じゃあ、もし村で手紙を配れって言われたら、お前はその場から動かないで、手紙を鳥みたいに飛ばして、それぞれの家に配達! なんてこともできるのか?」
「……私の世界――私の魔力が届く範囲には限りがあるけど、ものを動かすくらいなら、簡単にできるわよ」
自分の周り、その小さな世界では、あらゆることが可能だ。そんなことは、造作もない。しかしできないことはやはりある上に、そんなことは、できるだけやりたくない。
他人がいるようなところで、力を使いたくないのだ。そもそも他人がいるところにいたくないのだ。
何が起こるかわからないから。
だから、アルベルトにも、早く帰ってもらいたい。
「やっぱり魔女ってすごいな! そんなことしたら……俺の仕事がなくなるな! すごいけど、やっぱりそんなことしなくていいや、俺が困る。でも……お前、村に住んでさ、この外の木みたいに、花咲かせたらいいと思うんだよなぁ。そうしたら、村は綺麗になるし、村人もお前のこと、怖がらないと思うんだけどなぁ」
「……嫌よ。私、あんまり他人に関わりたくないのよ」
怖がられたままでいいのだ。あまり近づいてこないから。
アルベルトのように、怖くないと思う人間が、一番怖いのだ。
「なんで?」
まるで子供のように、彼は聞いてくる。イルザは説明しようか迷った末に、目を伏せた。
彼のためにも、話した方がいいと思ったのだ。自分が魔女であるのにも関わらず、親しくしてくれる彼に。
「――たとえば、何かが嫌になって、全部なくなっちゃえばいいのにって、私が思ったとする」
それはきっと、誰もが一度は思うこと。しかし、普通の人間が思うだけならばいいのだ。
けれども、魔女が何も考えず、そう願ってしまえば。
「そうすると――本当になくなるってわけよ。他にも、ああだったらいい、こうだったらいい、って思ってしまえば、本当にその通りになってしまうかもしれない。いいことも、悪いことも、全て。無意識に……そうしてしまうかもしれない」
すっ、と、アルベルトののんきな顔が、わずかに冷静さを帯びた。
イルザは続けた。
「一番怖いのは、私が夢を見ることよ。夢を見ながら、何かを願う……そうしたら、本当にどうなるのか、わからないわ」
たとえば。たとえばの話であるけれども。
自分が人間からひどく迫害される夢を見たら。あるいはアルベルトのように親しい人間から何かひどいことを言われる夢を見たら。
怒りに任せて何を願うか、わからない。
だから、こんな他人のいない場所に住んでいるのだ。何か起こしても、被害がでないように。
「……魔女って、どんな夢見るんだ? ていうか、夢を見るんだ!」
それでも、アルベルトはのんきにそんなことを聞いてくる。
何が起こるのか、ではなく、どんな夢を見るのか、だなんて。
「何でもいいから、お茶飲み終わったのなら、帰って。何で私があんたに早く帰ってほしいのか、いまの説明でわかったでしょ。うっかり何かしたくないのよ」
結局、どんな夢を見るのかは、説明しなかった。
――最近見た夢は、自分が普通の人間なった夢だった。
と。
「……あんた、魔女だ魔女だって、みんなに怖がられるけど、やっぱり優しいよな。誰にも害を与えないようにこんな場所に住んで、俺にも何かする前に早く帰ってほしいって」
「……いいから早く帰って」
* * *
半ば追い出すように、アルベルトを見送る。
正直に言えば、もう少し楽しくお喋りしたかったが、仕方がない。うっかり何かしてしまうかもしれないのだから。
そう思うと、やはり、自分が魔女であることが、憎く思える。
何故魔女なのだろうか。なりたくて、なったわけではないのだ。
家のすぐそばに生えている木を見つめる。春だから、花でも咲かないかな、と思って花を咲かせた木。咲かせてしまった木――。
自分は一体、何をしているのだろうか。
……そう思った瞬間、見つめていた白い大きな花が、ぽとり、と地面に落ちた。萎れることなく、あたかも切られたかのように。
八つ当たりしたわけではなかった。けれども、うっかり落としてしまったのだ。
その花を拾い上げる。自分でも、綺麗に咲いたな、と思った花。だが一瞬、憎く思えてしまったのだ。こんな花を咲かせて、何になるのか、と。
しかし、数少ない友人にほめてもらったのは嬉しくて。
その花を拾い上げれば、アルベルトの元へ飛ばそうかとイルザは考えた。
けれどもやめた。家に戻り、バスケットの中に入れた。
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