魔女イルザと流れゆく日々

ひゐ(宵々屋)

第一話 魔女と死者

 窓辺に置いた植木鉢。その主となるであろう植物は、まだ芽吹いていなかった。

 代わりに、小さな雑草が緑を見せていた。隅にひょろりと生えているために、明らかに雑草であるとわかった。窓を開けていた際に、風に乗って種が入って来てしまったのだろうか。

 何にせよ雑草だ――取り除こうとイルザは手を伸ばしたものの、直前でぴたりと止まる。

 ……生まれてきて、何もできずすぐに摘まれてしまうのは、かわいそうだ。

 そう思うと、その雑草は急に成長し始める。背が伸び、葉が増え、先に白い蕾をつけて。やがて名もわからない雑草は、小さく、けれども雪でできたかのような花をぱっと咲かせた。

 しかし一瞬で萎み、次の瞬間には枯れていた。たった数十秒の一生。

 一生を終えた雑草をイルザは摘む。

 ――摘んで殺してしまうのなら、せめて花くらいは咲かせてやろう。せっかく芽吹いたのだから。

 そしてイルザは、雑草の死体をゴミ箱に捨てた。


 * * *


 昼前、イルザが家の掃除をしていると、不意にドアをノックされた。

 誰だろうかと思いつつ、壁に箒を立てかけ「どうぞ」と声を上げる。すると、ゆっくりとドアが開いて、入ってきたのはなんとまだ幼い少女だった。

 見たところ、十歳にも満たないだろう子供。少し長い茶髪は乱れている。質素なワンピースもところどころ汚れている。

 ――ここは魔女の家だ。大人でも怯えて近づかない場所なのに、こんな子供が訪ねてくるなんて。イルザはそう、かすかに顔を顰めた。近くの村の子供だろうか。しかし、ここは森を入ったところにある、簡単に来られる場所ではないし、子供は森に入ってはいけないはずだ。肝試しをしている様子もない。

「……近くの村の子かしら」

「あなたが、魔女さん?」

 イルザが尋ねれば、少女はイルザを見上げる。と、目を見つめて、

「――目の中に花が見える! うわぁ! 本当に魔女さんだね! 魔女さんの目には、花が見えるって教えてもらったけど、本当なんだね! きれい……」

 少女はまるで、宝石を見つけたかのようにはしゃぐ。ところで、その言い方は。

「……私に何か用なの? あなたの名前は?」

 まるで自分を探していたような言い方で、イルザは首を傾げた。

「カーヤ。私、カーヤって言うの、近くの村から来たの」

 少女カーヤは、嬉しそうに名乗った。けれども、ふと言いにくそうな顔をすると、

「あの……魔女さんに、お願いがあってきたの。魔女さんなら、何でもできるって、聞いたから」

 ――何でもできる。

 カーヤの言葉に、イルザは嫌な予感を覚えた。

 何でもできる、といえば、人間が願うことというのは、いつも決まっているのだ。

 そして予感は的中した。

「お母さんを、生き返らせてほしいの」

 願いが叶うと知ったら、多くの人間はまず何を願うのか。それはいつも「死者の復活」だった。

 イルザは溜息を吐けば、不機嫌にカーヤを睨んだ。けれどもカーヤはまっすぐ見つめたまま、続けるのだった。

「昨日の夜……お母さん、死んじゃったの……病気で、お医者様も頑張ったんだけど……でも私、思い出したの! 魔女さんなら、何でもできるって!」

 その瞳は、まるで純粋無垢の象徴のようだった。彼女は小袋を取り出すと、中身をテーブルの上にひっくり返す。あたかもおもちゃであるかのような音を立てて、小銭が広がる。しかし、全てあわせても微々たるものだった。

「お金も、持ってきたから。これ、私の、全部!」

 それでもカーヤは価値があるもののように言うのだ。それでも、ちっとも動かないイルザを目にして、そっと小銭の横に小さな人形を置いた。ウサギの人形だ、薄汚れている。

「足りないなら……これも。お母さんが作ってくれた、私の宝物。でも、お母さんの方が、大切だから」

 だが、イルザは何もためらうことなく、首を横に振ったのだった。

「できないわ」

「こ、これじゃあ、足りないの……?」

 希望に満ちていたカーヤの顔。しかしイルザの冷たい声に、焦り始める。

 ……対価が足りないから、できないわけではなかった。イルザは、たとえ大金を持ってこられたとしても、できないと答えていた。

 何故なら、魔女であっても、本当にできないことだから。

 死者は蘇らないのだ。

「あのね、魔女は確かに何でもできるわ。比較的、何でも。けれども、死者を蘇らすことはできない」

 イルザはカーヤの人形を掴む。

「できたとしても、この人形とほとんど一緒。ただの……息をしていて血が流れているだけの、魂のない物体よ」

 人形を、持ち主に押しつけ渡す。それから小銭をさっと集めれば、カーヤの持っていた小袋をひったくって、その中に戻す。そして彼女へと返せば背を向け、イルザは再び箒を手にした。掃除の続きを始める。

「さあ帰って。あなたみたいな子供、一人で森の中を歩かせるのは危険かもしれないけど、一人で来たんだから一人で帰れるでしょう? 私も村に近付きたくないし、村も私のこと嫌いだろうし。ほら、掃除の邪魔よ」

 もうカーヤが見えていない様子で、イルザは掃除を始めた。これで話は終わり。彼女の頼みごとは、叶えられない。それだけの、話。

「――嘘よ!」

 しかしカーヤは、終わらせなかった。しばらく呆然と立っていたかと思えば、不意に大声で叫んだ。目に涙を浮かべて、人形を握りしめて。

「魔女は、何でもできるって聞いたもの! できるはずでしょ! お姉さんが魔女なのは、知ってるもん! 村でお話聞いたし、目の中にちゃんと花があったもん!」

 掃除をしていたイルザの前まで駆けてくれば喚く。

「お母さんを、生き返らせて! お母さんがいなくなったら、私、一人になっちゃう……! ねえ! お願い!」

 その言い方からして、恐らく父親や兄弟はいないのだろう。母親だけが、唯一の家族だったのかもしれない。そう考えると、彼女がここまで来られた理由に納得がいく。家族のためなら、大人も怯える魔女のところにでも行ける。そして実際、たどり着いた……。

「……村に帰ってちょうだい。きっと、村長やほかの大人が、あなたを探しているはずよ」

 その度胸は認めよう。だが、ここに来たところで、願いは叶わない。叶えられないのだ。だから、カーヤには帰ってもらうしかない。

「いや!」

 それでもカーヤは、大声を上げるのだった。

「お母さんを生き返らせてくれるまで、帰らない! 魔女さんの意地悪! 子供だからって、お金も少ないからって、馬鹿にしてるんでしょ!」

「できないものは、できないのよ」

 馬鹿にしているわけではなかった。ただ、本当に何もできないから、イルザはそう答えただけだった。

 はやくカーヤに帰ってもらいたかった。もう伝えることは伝えたのだから。

 できれば、静かに暮らしていたいのだ。

「命は世界が作るものよ。魔女は神様じゃない。神様だったら、神様って呼ばれてるわよ……一度消えてしまったものは、もう取り返せないのよ。どうにもできないの」

「嘘だもん!」

 それでも叫ぶカーヤの声がうるさく、ついにイルザは、

「――いい加減にして。聞き分けのない子ね」

 と、冷ややかに言い放ってしまった。

 とたんに、カーヤはまるで何かに縛られたかのように、直立し、固まった。口は見えない手で塞がれたように閉ざされ、突然の異変に目を見開いている。

 ――ああやってしまった。

 イルザは溜息を吐いた。そう意地悪なことをするつもりはなかった。意識して、カーヤを「黙らせた」わけではなかった。無意識に、魔法にかけてしまった。

 カーヤは最初こそは驚いていたものの、徐々にその表情は恐怖へと変わっていく……今更魔法を解いたところで、遅いだろう。イルザはまた溜息を吐けば「座って」と命令する。カーヤはまるで見えない糸で操られているかのように、その言葉に従い椅子に座った。イルザはその隣に座ると、頬杖をつく。

「あのね、死者は、蘇らないの。もし蘇らせることができたなら、この世界に墓なんてないわよ。でも、死者は蘇らないから、墓があるの」

 始まりがあって終わりがあるのは、この世界の決まり。

 それは魔女にも覆せない。

「……私に死者を蘇らす力があったなら、こんなところには、きっと住んでないでしょうね。村人も、それ以外の人間も、魔女を忌み嫌わないわよ。さあ、もうわかったでしょう、はやく家に帰りなさい。昨日亡くなったのなら、いま弔いの準備をしているはずよ。それなのに、あなたはこんなところにいて、親不孝もいいところよ」

 そこまで説明すると、イルザは立ち上がり、掃除の続きに戻った。もうカーヤに魔法をかけてはいない。しかし彼女は座ったままで、やがて声を上げて泣き始めてしまった。大粒の涙が、テーブルの上に落ちる。幼い泣き声は悲痛そのもので、イルザは耳を塞ぎたくなったものの、かたく箒を握りしめていた。

 仕方がないことなのだ。世界のことは。魔女だって、この世界の一住人だ。生死のルールは変えられない。

 もっと良い言い方があるのはわかっていた。しかしあえて、そう説明したのだ。

 窓の外を見れば、いつもと何も変わらない。変えられない。木々が風に揺れている。日の光が柔らかい。カーヤは泣きじゃくっていて、帰る様子は全くない。けれども、そのうち村から誰かが来るだろう。魔女の家に行ったのでは、と村人達が思いつくのは、きっとすぐだ。迎えが来るまでは、好きにさせていよう。

 魔女でも、悲しみのない世界は作れない。

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