第14話
振り返ったコリンナの目には一人の青年が映る。灰色の髪はしっかりと整えられていて、群青色の上着を着ていた。その衣装はコリンナが選んだもののうちの一つで、深い青がきっと灰色の髪にも青い瞳にも似合うだろうと思ったものだった。
つまり、これは。
この人は。
「……グレーデン侯爵?」
コリンナが名前を口にすると、その人はにこりと微笑む。邪魔な前髪がなくて髪がボサボサじゃなくて、ついでにあの髭までなくなっている。別人だ。別人すぎる。
(誰よこの好青年は!!)
いや好青年というには笑顔が若干うさんくさい感じもあるが、あのひどい有様を知っているコリンナにはとても同一人物には見えなかった。
「グ、グレーデン侯爵って、あの……!?」
バルテン伯爵家の長男でさえ驚いて声をあげている。もとを知っているのか、それとも滅多に顔を出さない侯爵に驚いているのかはわからないが、その声に周囲もこちらに注目し始めた。
「伯爵家の跡取りともあろう者が随分と品位のない発言をするものだ。バルテン伯爵に教育はしっかりした方がいいと伝えておくべきかな?」
「こ、これはその、失礼を」
伯爵家の長男は真っ青になりながら慌てて頭を下げているが、リヒャルトは冷ややかな笑顔を張り付かせたままだ。
「君が失礼な振る舞いをしたのは僕ではないが」
リヒャルトは謝る先を間違えているのでは? と言外に告げる。
「……どうか失言をお許しください、シュタルク嬢」
「生憎、私は性格が悪いそうなので、とてもとても忘れられそうにありませんわ」
扇を広げ、コリンナはにっこりと微笑んだ。
「お茶会でうっかり『バルテン伯爵家の子息は女性に対して随分品位のない発言をなさるわ』と零してしまいそうです。けれどそうなってしまっても、お互い様ですわね?」
お許しいただけるかしら? とコリンナは笑った。
自慢ではないが、社交界の花と呼ばれるコリンナの令嬢たちへの影響力はとても強い。コリンナのその一言で、彼の株は急降下することは明らかだった。
伯爵家の跡取りとして、まだ婚約者のいない身として、それはかなりの痛手になるのではないだろうか。
隣に立つリヒャルトが「いい性格してるなぁ」と小声で笑うのが聞こえたが、コリンナはしれっと聞こえなかったふりをした。
これ以上注目を集めるのはごめんだとコリンナはリヒャルトの手を引いてテラスに移動した。ちょうど国王陛下からのありがたいお言葉もあって二人に目を止める者はいなくなる。
臣民としては陛下のお言葉をしっかり聞いておくべきなのだろうが、残念ながらコリンナはそこまで忠誠心はない。
「……確認しておきますけど、グレーデン侯爵よね?」
「他の誰に見えるんだい?」
「私の知るリヒャルト・グレーデンとはまったくの別人だわ」
リヒャルト本人は「そうかな?」と首を傾げている。大変貌を遂げているのに自覚はまったくないらしい。
「やればちゃんとできるんじゃないの。普段からそうなさっていればいいでしょうに」
「めんどうだから普段からこんな格好をするのはごめんだな」
「あなたね……」
呆れながらコリンナはため息を吐き出すけれど、その方がリヒャルトらしいと思ってしまうから困ったものだ。
「さっきはありがとう」
「お礼を言われるほどのことでもないかな。君は自分でどうにか出来ただろうしね」
「でも、助けてもらったことのは事実だもの」
コリンナ一人でどうとでもなったことだ。しかしリヒャルトの援護をなかったことにはできない。
(それに、ちょっとすっきりしたしね)
「そういえば、あの男の悪い噂を本当に流すつもりなのかい?」
わざわざそんなめんどうなことを? というような顔をしている。リヒャルトにとってはそういう根回しはめんどうなことなんだろう。コリンナにしてみればお茶会での話題の一つにすればいいだけの話だけど。
「そんなことしなくてもとっくの昔にあの男の評判は地に落ちてるわ」
きっぱりとコリンナが言い切るとリヒャルトはなるほどと笑った。
会場ではダンスが始まったらしい。音楽がテラスにも聞こえてきている。
「……きっと明日からはあなたの噂で持ち切りだわ」
一瞬のことだったとはいえ、あの場にいた者にはこの好青年がリヒャルト・グレーデンであることは知られている。目ざとい令嬢はこれからすぐにでもアプローチしてくるんじゃないだろうか。
「まぁそうかもしれないね。僕は興味ないけど」
「少しは興味を持ったら?」
「他人にどう思われるかはどうでもいい」
「それは」
……耳に痛い話だな、とコリンナは苦笑する。
今だってコリンナは、完璧な出来であったはずの自分のドレス姿に自信がなくなりそうだ。だってリヒャルトは、コリンナを見ても何も言わないから。
(前はこんな気持ちにならなかったのに)
恋とは厄介だ。
コリンナは磨き上げた自分の容姿に自信がある。間違いなくうつくしいと胸を張れる。それが今までの常であったはずなのに、たった一人の男の前では積み上げてきたその自信すら崩れてしまいそうになるなんて。
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