第13話

 アイゼンシュタット王国の建国祭は王都が最も賑わう数日間になる。

 大通りには旅行客が溢れ、出店が立ち並び、宿屋はいっぱいになってしまう。貴族であるコリンナにとってその喧騒は少し遠いものだけど、王都に流れる楽しげな空気というものは肌で感じた。


 その日のコリンナは朝から準備におわれていて、ろくに休めていない。淑女の準備には時間がかかるものなのだ。

 いつもより早く目覚めたらまずは入浴する。香油を白銀の髪に塗り込みいつも以上に艶やかにして、肌はしっとりふっくらと透き通るような白さに。入浴を終えればマッサージを受けて、しばし休憩となるが、朝食もまだなのでお腹がすいて仕方ない。その後ようやく朝食をとるがドレスが入らなくなっては困るといつもより量は少なくされている。朝食のあとには髪を結い、同時に化粧を施される。

 ドレスは翡翠色だ。コリンナの翠色の瞳とも相性がいい。白銀の髪を飾るのは青い造花の薔薇だ。

 シュタルク公爵家のメイドたちが総力をあげて磨き上げたコリンナは、間違いなくうつくしい大輪の花だった。

「たいへんお綺麗です、お嬢様!」

 完璧な出来にメイドたちは満足気そうに笑っている。

 鏡に映る自分の姿にコリンナも納得していた。この日のために準備していたドレスも装飾品もどれもがコリンナのうつくしさを引き立たせている。

(……侯爵の準備は大丈夫だったかしら)

 自分の見た目よりもリヒャルトのことが気になった。

(結局衣装を決めるところまでは出来なかったけど、候補は絞っておいたわけだし、あとはアヒムがやってくれるわよね。あの髭と髪はどうにも出来なかったけど……まぁ、あの人らしいといえばあの人らしいのかしら)

 鏡をぼんやりと見つめたままコリンナが考え込んでいると、メイドたちは不安そうな顔になる。もう時間がないというのにどこか気に入らないところでもあったのかと青ざめる者までいた。

「あ、あのお嬢様……? どこか気になるところでも……?」

「そうね、私としてはあの群青色の服がいいかなと思っていたんだけど、どうなったのかしら」

「ぐ、群青色? ドレスを変えますか?」

「ドレス? ……あ、いえ、違うのただの独り言よ。気にしないで」

 リヒャルトのことを考えていたなんて言えるはずもなく、コリンナは慌てて誤魔化した。支度は完璧だ、ありがとうとメイドたちに笑顔で告げれば皆ほっとしたように肩の力を抜いた。

「コリンナ、支度は終わっている?」

「ええお兄様、完璧よ」

 ノックの音のあとで現れた兄にコリンナは微笑む。コリンナのエスコート役はいつも兄だ。だって他にふさわしい人がいないから。

 兄のルドルフは深い緑色の上着を着ている。ルドルフの容姿にも、隣に並ぶコリンナのドレスにも似合う服だ。どのドレスを着るか伝えただけでこうも完璧に仕上げてくるのだからこういうときの兄への信頼感は増すばかりだ。

「おまえも相変わらず綺麗だよ」

「あらお兄様が褒めてくださるなんて珍しい」

「たまにはね」

 互いの容姿に見慣れているのでどんなに着飾っていようと見惚れることはない。それがたとえどんなに極上の男あっても、高嶺の花であってもだ。




 建国祭ともなればどの家の当主も令嬢も令息も気合いの入れようは違う。アイゼンシュタット王国の多くの貴族が集まる今日は、己の家の権威を示すためにも、己のうつくしさをアピールするためにも重要な一日だ。

 ルドルフのエスコートでやって来たコリンナにざわりと視線が集まった。今日こそはあの高嶺の花を射止めた誰かのエスコートでやって来るのではと噂が流れていたことをコリンナは知っている。大きな夜会のたびに言われるので慣れてしまった。

「おまえも大変だね」

「もう慣れました」

 苦笑するルドルフにコリンナはけろりとした顔で言い放つ。大変なのはいつもいつも「またあの兄か」と言われるルドルフのほうかもしれない。

 コリンナはルドルフと別れて給仕から飲み物を受け取る。公爵家の次期当主としてルドルフにはやることが多い。それに付き合っていられるほどコリンナは忍耐強くないのだ。

(お世辞も嫌味もうんざりするわ)

 それらを笑顔という仮面の下でオブラートに包んで回りくどく言い合うなんて気分が悪くなる。

 まぁそれは、ルドルフについていかなかったとしてもコリンナのもとにもやってくる厄介事でもあった。

「やっぱり性格が悪いとエスコートしてくれる紳士も現れないんでしょうね。このままでは結婚相手も見つからないんじゃないですか?」

 にやにやと笑いながら声をかけてきた男にコリンナは眉を寄せる。

 オブラートにも包んでいない直接的な物言いは、それはそれで腹立たしい。

(バルテン伯爵家の長男だったかしら。この人も随分前に『お断り』したはずだけど)

 見た目は中の下、賢くもなければ剣術に優れているわけでもない。唯一誇れるのは伯爵家の跡取りであるということだけだ。しかしバルテン伯爵家は歴史が浅い貴族だ。王家からの信頼も厚いシュタルク公爵家に釣り合わないことは言うまでもない。

(……私がいつまでも結婚相手を決めないから、今ならまだ自分にもチャンスがあるとでも思ってるの?)

 まだ結婚相手を決めていないという事実をコリンナのきつい性格故に『結婚相手が決まらない』と思っているらしい。

 コリンナはグラスを置いて小さくため息を吐いた。

 あなたなんかにお相手いただくほど私は暇ではないのだけど? とはっきり教えて差し上げなくてはならないらしい。まったく、せっかくの建国祭だというのに始まったばかりでこんな嫌な気分になるなんてついていない。

 コリンナが睨みつけるように相手を見て口を開いた時だった。


「これはこれは。女性の口説き方も知らない男が麗しのシュタルク嬢にお近づきになろうというのはあまりにも無謀ではないかな」


 笑っているのにその声は低く冷たい。

 背後から聞こえた声に、コリンナは覚えがあった。

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