第2話

 公爵家に帰ってきたコリンナとルドルフをエミーリアが出迎えてくれた。

「お姉様、お兄様、おかえりなさいませ」

(ああなんて可愛いの! この笑顔を見ただけで今日の疲れが吹き飛ぶってものよね!)

 ぎゅうぎゅうと抱きしめたいところだが、ここはぐっとこらえる。立派な淑女を目指すエミーリアの手本となるべく、コリンナはにっこりと微笑んだ。

「ただいま、エミーリア。まだ起きていたのね」

「ふふ、お姉様ったら。わたくしも、もうそんなに子どもじゃありませんよ? 明日受けるマナーのレッスンの予習をしてました」

 エミーリアの手には教本がある。真面目で可愛い妹はこんなに遅くまで勉強をしていたらしい。

「頑張るのはいいが、そろそろ寝なさい。おまえは集中するとすぐ時間を忘れるんだから」

 ルドルフがエミーリアの頭を撫でながら部屋に戻るように促す。そんな子ども扱いにもエミーリアは「はい、お兄様」と微笑んで自分の部屋へと戻って行った。

「…………ねぇお兄様、やっぱり私の可愛いエミーリアは天使なのではないかしら?」

「……俺はときどき、おまえのその姉としての仮面が永遠に剥がれないでいてくれるように真剣に願ってる」

 こめかみを押さえながらルドルフが苦々しそうに呟く。

 コリンナはこういうところさえなければまともだと言えなくもないのだ。ちょっと我儘でちょっと我が強いかもしれないけれど。

「おまえ、そんな様子でいつかエミーリアに婚約者ができたときに祝福できるのか?」

「あらお兄様ったら。そんなの当然です! エミーリアが自分自身で選んだ男性なら私は喜んで祝福しますわ」

 だって賢くて可愛いエミーリアが選ぶのだから、そこには絶対に納得出来る理由があるはずなのだ。顔がどんなにブサイクでも頭がとてもいいとか、家柄が釣り合わなくても聖人のように素晴らしい人柄であるとか。

「あの子が選ぶ男性に文句なんて言いません。私はただそれ以外の羽虫を出来る限り叩き潰しておきたいだけです!」

 コリンナはこの一面を完璧なほどに妹には見せないのでエミーリアはコリンナのことをただの「綺麗でやさしいお姉様」と本気で思っている。

 しかしその実態はかなりのシスコンだった。もはや手遅れなレベルの。



 そうこうしているうちに、コリンナの十八歳の誕生日は迫ってきていた。

 本人にはまったく焦りがないけれど、近頃は父からの小言が増えて鬱陶しい。

 父が言うように社交界デビューしたばかりの頃に比べれば夜会でコリンナが声をかけられることは格段に減ったけど、それはそれだ。邪魔な羽虫が減ってまともな人物だけが残ったのだとコリンナは解釈している。

(……まぁ確かにそろそろ私も本気で相手を決めなきゃいけないんだろうけど)

 コリンナ自身には、結婚相手にそれほど強い希望はなかった。

 いやもちろん、コリンナが公言したように、自分に相応しい男性でなければならないのだが。家柄が釣り合っているなり、容姿端麗であるか頭脳明晰であるか。あるいは優れた剣技を持っているとか。そのどれか一つでいいのだ。そう難しいことではないと思う。

 ただコリンナがそれを主張したことで、多くの男性は面倒な女だと離れていっただけのこと。まったく、そちらは花嫁にあれこれと求めてくるくせにこちらが声高に要望を主張すれば眉を顰めるのかとコリンナは腹を立てている。自分勝手な男たちなんてこっちから願い下げだ。

「コリンナ」

 令嬢の嗜みとしてコリンナがハンカチに刺繍をしていると、ルドルフが声をかけてきた。

「なんですかお兄様」

 既に次期公爵として父の手伝いをしているルドルフは昼間はいろいろと動き回っている。父はそろそろ兄に領地を任せるつもりらしい。忙しくしている兄がこうしてコリンナに話しかけてくるなんて珍しかった。

「ちょっと頼みがあるんだけど、いいかな」

「……頼み?」

(お兄様が? 私に?)

 コリンナが思わずそのうつくしい顔を顰める。

 だって、兄がコリンナに何かを頼むことなんて今までほとんどなかった。優秀な兄はたいていのことは自分で解決できるので、うつくしいがその他は平凡なコリンナの手を借りる必要なんてないのだ。

 そう、コリンナは容姿の他は特に目立った特技も才能もない。淑女としての教育は受けているが、その程度だ。

「そう警戒しなくてもいいよ。おまえにとっても悪い話ではないんじゃないかな」

 苦笑まじりでそう告げる兄をじとりと見つめながらコリンナはやりかけの刺繍を置いた。


「見合いをしてほしいんだ」

「……お見合い?」


 ルドルフの第一声を聞いたコリンナは不機嫌そうに口を開く。何が悪い話じゃない、だ。全然まったく嬉しくない鬱陶しいだけの話じゃないか。

「正しくはお見合いのフリ、かな。グレーデン侯爵は知ってる?」

 ――グレーデン侯爵。

 そう言われて思い浮かべるのはリヒャルト・グレーデンという名前のみだ。

「名前だけは。お会いしたことはありませんね」

「そりゃそうだ」

 彼は夜会にはほとんど参加しないしね、とルドルフは笑う。

 グレーデン侯爵は社交界でも有名だ。――たいそうな変わり者として。

 夜会に出ることはほとんどなく、屋敷に引きこもってよくわからない研究ばかりをしているという噂だ。その顔を見たことがある人間は数えるほどしかいないだろう。

「一応友人なんだけどね。数年前に爵位を継いだものの、まだ未婚で。最近周りがうるさくてうんざりしてるらしいんだ」

 兄にそんな変わり者の友人がいたことに驚きつつ、コリンナはとりあえず相槌を打った。

「だから形だけ、おまえとお見合いしてるってことにしてあげてほしいんだ。そうすればコリンナも時間稼ぎはできるだろう?」

 何回か会ってやるだけでいいよ、とルドルフは付け加える。つまりお互いに本気でお見合いするつもりはないけれど、鬱陶しい周りを黙らせるために協力しようということだ。

 ……なるほど、確かに悪い話ではないかもしれない。

 そろそろコリンナも婚約者を決めなくてはいけないけれど、可愛いエミーリアのための害虫駆除をやめる気はない。自分の相手はアプローチしてきている人たちの中から父が納得するいい感じの人を選べばいいか、というくらいにしか考えていない。

 コリンナが妥協できるレベルで、シュタルク公爵家にとっても不利益にならない人を。可能なら公爵家のためになるような人を。

 コリンナは結婚に夢を見たりしない。

 結婚は公爵家の娘に生まれた自分の責務だと思っている。自分がより良い相手と結婚すれば、エミーリアはもう少し自由に相手が選べるようになるだろう、という気持ちがあるくらいだ。

「……わかりました。会うだけでいいんですね?」

 相手は変わり者と有名な人間であっても侯爵だ。身分の釣り合いはとれているのでコリンナのお見合い相手だと噂になろうが問題はないだろう。

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