古傷――ルナ・アルバーン

 摂津警察の施設と言えど、病院は病院。

 昔から、病院はどこか苦手だ。


 なんと言えばいいのか、医者の姿にぞっとするのだ。白衣や薬剤の臭いが、わたしは嫌いなようだ。


 幸いなことに今まで病気もしてこなかったし、健康診断くらいでしか病院に世話になったことはない。

 でも今日は、どうしても病院に来なきゃいけなくなった。


 理由は単純。命令だ。

 命令違反は軍法会議の対象で、今回はあの隻眼姫から不名誉除隊処分まで突きつけられた。不名誉除隊はまずい。

 軍人年金も貰えなければ就職活動にも差し支える。

 まだ、戦闘や秘密工作のような任務の方が身も引き締まるのに、なんでまたこんな命令を出すかねえ。


 “内海疾風の見舞いに行ってこい”。

 ふざけた任務だ。

 しかもコナー大尉という監視付き!


 横を見やれば、病院の受け付けで面会票を受け取る大尉がいる。

 面会票は、面会する患者やその見舞いに来た人の名前など質問が書いてある質問票のようなもの。

 まあつらつらと注意事項がびっしり。


“兵曹、君は瑞穂語の読み書きもできたよな?”

“漢字、読めないんですね”

“すまないが、頼む”


 大尉は瑞穂語が話せたと思ったけど、読み書きはできなかったか。

 まあ漢字からひらがな・カタカナ、アルファベットも使う瑞穂語は、読み書きできると軍や外交で重宝される。


 面倒なリストにチェックをどんどん入れていく。

 患者名の欄、内海は思い出せてもハヤテの漢字が思い出せなかったから、名前はカナで書いた。

 内海博士はなんでこうも難しい名前になったのか。


 受け付けを済ませ、内科病棟に足を進める中、コナー大尉がわたしに釘を刺した。


“これは仕事だ。癇癪は起こすなよ?”


 嗚呼。コナー大尉がいなかったら適当に話をしたことにして帰れたのに。

 なんでわざわざ父の元上司に会わなきゃいけないのだ。


 病室には、点滴に繋がれながらも少しは元気そうな博士の姿があった。

 ほとんど白くて、それでいて小綺麗に刈り揃えられた髪と顎髭だ。さすがは研究所の所長といったところか、紳士的に身繕いしている。

 死にかけていたと言うから、もう少し衰弱しているかと思った。


「これはこれは、コナー大尉。それに、やあルンちゃん。何年ぶりだったかな」


 彼のことは覚えていない。だから第一印象は紳士的なお爺様だったが、今近所のおじちゃんにグレードダウンした。


 だけど、彼の簡単な問いかけに、何故か答えづらさを感じた。


「18年振り、父の葬儀以来だと思います」


 覚えてないというのは“記憶”であって、頭の中に“記録”はある。


「じゃあ葬式から一度も会ってなかったか。それは悪かったね。研究室にダンちゃんとよく遊びに来ていたから、レオが死んでからも何回か来ていた気がしていたけど、そうか。バタバタしていたからな、あの一件で。記憶違いだったか」


 まあ、物心が付くまでに父が自殺したから、わたしも自信を持って覚えているとは言えない。ただ、葬式で、お母さんに内海博士が話しかけていたのは知っている。


 なんか頭痛がしてきた。


 コナー大尉が手土産の果物を机に置く。内海博士を思いやる言葉をかけ、それから仕事の話を切り出した。


「実は今回、皇室海軍宛に妙なメールが何百と来ていて、どうも救難信号のようなものでした。差出人はη-3と名乗っているのですが、正体は不明です。η-3と聞いて、心当たりは?」

「ないですね。何かの通し番号のような名前だなという印象です。ただその様子だと私のところにメールを送った何者かの正体も、そのη-3でしょうね」


 大尉はスマートフォンを取り出し、スクリーンにタッチペンを走らせ、メモを書き留めた。


「そちらにも届いていましたか」

「しかし、副所長からは、『文字化けが酷くて読めない』と、連絡を受けています」


 色々なところにメールが配信されているのかと考えたけど、世間で話題になっているわけでもない。分かっているのは、η-3が皇室海軍とディニティコス生命科学研究所の2ヶ所にメールをしこたま送っているということ。


「文字化けに関しては、なんとか解決しました。そのメールによると、九州きゅうしゅうの西の離島に、GeM-Huの子どもがいて、監禁されているそうです。また九州の病院にもη-3の兄弟がいるようで、その子達を助けて欲しいとのメールでした」

「GeM-Huの子ども?」


 コナー大尉ははっきり「はい」と肯定する。


 博士は話を聞いて、天井を見上げていた。


「GeM-Huの研究は、凍結されたはずなのですよ。研究所でプロジェクトの立ち上げまでしましたが、あまりに危険視する声が多くてね」

「そんなに危険なのですか?」


 大尉の質問に、博士は顎髭を摘むようにしながら考え始めた。


「直接的に危険はありません。ただ、やはり人体実験を重ねることになること、遺伝子汚染、何億年と紡がれてきた生命の歴史を、これからは人類がコントロールする生命倫理的な危険性など、様々なリスクがあります。レオナルド・アルバーン博士は、人体実験をしなくても理論上の研究でいいと訴えていましたがね」


 やはり父の名前が出てきた。帰りたい。


「つまり、ディニティコス生命科学研究所でも分からない領域の話だということですか?」

「いや、そんなことはないですよ。例えばヒトゲノムの解析は20年前にもう完成しているので、遺伝子組み換えの技術さえあれば理想の人間を創れるでしょう。理論上は自由にGeM-Huの設計ができますが、問題はその技術力です。エンジンの理論は分かっていても、設計図通り作るとしても、最後は職人が手作りしているのと同じです。未熟な研究員が遺伝子に正確な遺伝子導入ができるか、不安が残ります。動物実験で行う練習を、まさか人間でしていなければいいのですが」


 理論上はできても実際にはできないこと。そんなことはたくさんある。

 戦場の霧という、軍人の間では有名な話がある。要約すれば人生理想通りにはいかないという話。


 コナー大尉が頷き、話を続けた。


「理論はわかっても、実物を見ないと何も言えないか。ところで気になっているのですが、人間の子どもを創るとなると、やはり母胎が必要です。もっと必要なものもあるでしょうが、どのようなものでしょうか」

「まず研究施設ですね。遺伝子組み換えには専用の機械がありますし、スーパーコンピューターも欲しいです。子どもを産む母胎は、普通は適齢で健康な女性ですが、入手が難しい人工子宮の可能性も捨てきれません。また子どもの生育のための施設も食料も要りますし、イニシャルコストもランニングコストも膨大になります。相当な資金源がなければ、1人のGeM-Huを育てあげるのも厳しいでしょう」


 長い話になりそう。どう考えても頭脳労働者の仕事だ。わたしは現場の肉体労働者で、小難しい話はなんだか受け付けない。

 もっと単純で面白い話を友達としたいのに、今近くにいるのはこういったおっさんばかり。


 わたしの気も知らず、二人は話を続ける。


「それなら問題ないでしょう。η-3は蒼薔薇会の所属と言っていました。我々の界隈では、花の名前のつく会は有名でして、この蒼薔薇会も黒百合会の傘下と見ています。黒百合会が資金源なら、難しい話ではないでしょう」


 最近、隊でもよく挙がる名前なのだ。黒百合会がバックについた椿会が、活動を活発化させている。武器商人な彼らは、丹陽王国連合の貴族達に裏で仕入れた武器を売りまくっている。

 今のところ、アウトローではあるが友軍に味方しているようなので泳がせている。


 少し間が空き、考え事をしていると、内海博士と目が合った。


「まだレオのこと、怒っているのか?」


 なぜこの人はわたしの地雷を狙いすまして蹴りつけるのか。


「その話はなしで……」

「まだ怒ってるんだね?」


 感情の暴発は避けたかったのに、彼は刺激をやめなかった。

 もう頭に来た。


「あいつ、わたし達を見捨てて、財産も焼き尽くして死んだんですよ? 許す道理がありますか!?」


 父の話題に憤慨するわたしを見て、博士は残念がっていると分かる。

 唸るようにため息を吐き、彼はまた語り始めた。


「まあ君の立場ならわたしも怒りを感じただろうね。でもレオは義理堅くてその点は頑固だから、君達を見捨てるようなことはしないと思っていたんだがな」

「あいつはしやがったんです!」


 ああ、もう。コナー大尉の痛い視線を感じる。

 でもこのおっさんはわたしの地雷原で踊り回っているんだ! 我慢なんかできるわけがないだろ!


「いや、レオの自殺には不自然な点も多いのだろう? そこを疑って、レオ自身については信じてやれないかなと――」

「うるさい!!」


 我慢ならず、病室を出ようとしたところで、わたしの理性の最終防衛線とも言うべきか、何かがわたしを留めた。

 そうだ。不名誉除隊処分。


 振り返れば、コナー大尉が腕を組んでこちらを睨んでいる。

 分かりました、戻りますよ。


 博士の顔を見ると、だんだんムカついてくるので、一言断りを入れる。


「もう、父の話はしないでください。『父は悪いやつ』って、結論出してるんです」


 博士は訝しむような目線を向ける。でももうわたし達が病室にいる間は父の話をしなかった。

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