怪メール——ヘイデン・コナー
彼女は蒼い髪をはためかせ、廊下を早足で進んでいく。
“何で俺なんだよ”
“お気持ちはお察しいたしますが、
殿下は不満げに振り向き、わたしに指を指した。
“いや、特殊作戦艦隊に仕事を回すのもおかしいだろ。兵卒でも文官のバイトでも迷惑メールの対処くらい簡単だ。メールを、ゴミ箱に移動するだけ。それがどうして司令部にまで上がってるんだよ。戦争中で、俺達も忙しくしているってのに! 俺も
もっともなことだ。
殿下にとっては畑違いだ。
だが殿下の元上官でもある
彼女は皇族でもあらせられるのだから、軍事的というよりも政治的な問題だったときの融通も利く。何よりも、例の迷惑メールの内容を加味しての判断らしい。
殿下は執務室に向き直ると、荒っぽく扉を開けた。私も後に続き執務室に入る。
中は皇族の執務室らしく、様々な飾り付けがされている。
射撃大会の賞状や、皇太后陛下から受け継がれた絵画などが、
殿下は機嫌が悪そうなため息をつき、椅子に座り込んだ。
そして私を見つめて、右手を差し出した。資料を渡すと、前髪をかき上げ、その資料に目を落とす。
彼女は事故で左眼を失明している。そのためその眼を隠すように前髪を伸ばしている。その前髪をかき上げる仕草は、ある種のルーティンだ。仕事をする気になっただけでも助かる。
メールの内容としてはこうだ。
連合帝国皇室海軍御中
お騒がせいたしますことをまずはお詫び申し上げます。
私は、黒百合会傘下の蒼薔薇会所属、
この度、ご連絡を差し上げましたのは、失礼を承知ながら、とあるお願いがあってのことでございます。
私どもは、
島は司教枢機卿・冬月陽炎の所有物でして、彼の権限のもと自衛警察隊の設備を蒼薔薇会が利用しております。
島の詳細については、除籍されたモスボール状態の警察艦で島を囲っているため、空からご覧になるのがよろしいかと存じます。
また、
お手を煩わせ申し訳ございませんが、どうか彼らGeM-Huの子ども達を助けていただけませんでしょうか。
GeM-Huについては、
GeM-Huの件に関しましては、くれぐれも世間に公開しないようにしていただければ助かります。
略儀ながら、お願い申し上げます。
η-3
殿下はしばらく補足資料に目を通され、あることに気づいた。
“こいつ、公認されていない文字コードでのメールだったのか”
“はい、短期間で定期的に届く文字化けの酷いメールだったので早くにシャドウ隊が対応していますが、文字コードの解読までで、後の仕事は他部署に任せたようです”
幸い、内容は
あきれたような、いらついたような溜め息をつき、また資料に目を戻す。
“で、発信元が瑞穂国肥前県だと?”
“お聞きしたところ、直接発信したデバイスをたどるとそこになると。しかし、別のデバイスからそのデバイスを経由している場合もあるので、断定的です”
“だとしても、瑞穂の自警隊にコンタクトを取らないといけないな”
自衛警察隊。
平和主義を掲げる瑞穂は教理上攻撃的な軍隊は持つことができない。
だから警察に強力な武装させることにより、国家の防衛力を補っている。軍艦や戦車を持っているが、彼らの法律では警察だ。
我が連合帝国軍と同盟もあるので、調査にも協力してもらえるかとは思うが。
“では瑞穂の警察省に連絡致しましょうか?”
“いや、向こうの外務省に連絡しろ”
“……分かりました”
思い掛けない注文に、少し戸惑ってしまった。
自衛警察隊とは同盟があるのだから、直接連絡すればいいところだ。
殿下はふと私の顔を見つめ、からかうように笑った。
“何だ、知らないのか? 冬月枢機卿は警察大臣だ。正直俺はあいつを信頼してない。今回の件で何か知っていても、俺達に黙っているかもしれねえから、外務大臣から揺さぶってもらおう。まだ外務大臣の方が信頼できる。と言っても、今は忙しいかもな”
なるほど、フレッチャー中将が彼女に任せた意味が分かった気がする。
“では、瑞穂国外務省に取り次ぎます”
殿下は手を軽く振り上げ、承諾の意を示した。
ただ、瑞穂の外務大臣はこの前暗殺されたばかりで、まだ新任が決まっていなかったはずだ。
混乱している中仕事を増やすのは申し訳ないな。
“それと――”
殿下は資料に目を向けたまま尋ねられた。
“このアルバーンってのは、第三郡のあいつじゃねえのか?”
あいつと言われ、瞬間的に戸惑った。
1個郡でも1700人以上人員がいて、全体で8個郡もあるプライド隊の隊員は幹部に限らないと覚えきれない。
しかしすぐ、思い当たる顔が浮かんだ。
“ルナ・アルバーンと言えば、一年前に入隊した彼女のことですね”
“そっ。そいつ”
ルナ・アルバーンは、プライド隊でも珍しい女性隊員だ。
プライド隊全体でも女性は片手で足りるほどの数しかいない。入隊資格がとてつもなく厳しいからだ。
手足を縛られた状態での水泳や、1週間で4時間しか寝られないような厳しい試験を受ける、プライド。
屈強な男性を容赦なくふるい落とす入隊試験を、彼女は突破したのだ。
殿下も、参謀将校の現場研修としてプライド隊の訓練に参加したことがあるが、「二度とごめんだ」と漏らしていた。
“そいつの名前がメールに乗っているから、ワイリーの野郎は俺に任せたって訳か”
資料を机の上に放り出す。そして高いハイヒールを履いた足を机に乗せ、天井を見上げる。
そして一言。
“GeM-Huって何だ?”
その点についてはシャドウ隊も調べたが、インターネット上には一切記載がなく、世に知られていないものらしい。
殿下が放られた資料を整えて、私のデスクに向かった。名前の出ていたルナ・アルバーンの経歴を調べることにした。
特殊作戦艦隊——プライド隊、シャドウ隊、ゴースト隊などの特殊部隊を統括する、エリート集団。艦隊と名前が付くのは、ネヴィシオン連合帝国が海軍しか持たないため。
プライド隊——海軍特殊部隊。様々な作戦に対応するため、文武両道のエリート軍人しか入れない。
シャドウ隊——サイバー戦闘を専門とする部隊。簡単に言えば軍に属すハッカー集団。
ネヴィシオン連合帝国——大大陸の南東、小大陸の北方にある、海洋国家。主な民族はネイヴィス族とコンチネント族で、それぞれの民族を治める皇帝がいる。ネヴィシオン二重帝国とも。略称は連合帝国、連帝、
モスボール——食材が腐らないようにラップをするのと同じく、船や飛行機が繋留中に錆びたり劣化しないよう保存処理すること。旧式化し、「今は要らないけどまた使うかもしれない」という状態になった兵器がモスボール状態にされる。
ディニティコス生命科学研究所——主に医学、生理学、生物学など生命科学を研究している。本所は瑞穂にあるが、世界的にも活動しているシンクタンク。
アルビオン語——アルビオンの他、ネヴィシオンなどの公用語になっている、話者世界一位の言語。
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