26、岬麻衣は狙う

「なんかヨルのやつ、しんどそうな顔してたな……。大丈夫かな……?」


よく事情を知らない俺が、教室の机で突っ伏して眠りに落ちそうになっていた彼女に事情を尋ねると「し、仕事で……。睡眠時間が……」と死にそうなうめき声であった。

し、仕事って……。

マスターはヨルにどんな過酷なバイトをさせているんだろう……。

彼氏として40手前のコーヒーのようなブラックな環境で働かせるマスターにビシッと注意してあげるべきかもしれない。


「まったく……。バイトに正社員並みの仕事押し付ける職場も多いらしいからな。やはり俺はペコペコと上司に頭を下げながらお茶汲み番をしている仕事が似合うな」


何かヨルに出来ることはないかと、こうして廊下を歩いていると「しんどいな……」「しんどいです……」と会話の声が聞こえてきた。

そちらに振り返ると、上松ゆりかが珍しく後輩の五月雨茜を連れてヨルと同じく睡眠不足という顔をしていた。


「おはよう2人共。大丈夫か?」

「あ、師匠ですか……。おはようございます」

「明智先輩ですね。おはようございます……」

「どうしたんだ?そんなこの世の絶望みたいな隈が付いてるが……」

「わ、我は勝ちましたぞ師匠!昨夜は我の活躍、見ていてくれましたか!」

「か、活躍?た、多分」


昨夜なんかあったっけ?と頭が混乱する。

絵美が一緒にギャルゲーしようと誘ってきて、実況で盛り上がった記憶しかない。


「上松先輩は良いじゃないっすか……。自分寮に帰ったのが3時半、眠れたの4時ですよ……。2時間しか寝てないんすから……。自分死にそうで休みたかったっすよ……」

「五月雨も辛かったら授業サボれよ。やり方知らなかったら俺がサボり方教えてやるからな」

「明智先輩優しい……。自分の周り鬼先輩しかいなくて……。自分、彼氏作るなら明智先輩みたいな優しい彼氏が欲しいっす」

「だ、ダメだ五月雨!?師匠は我の彼氏だ!」

「あ、師匠ってこの人っすか。なら関先輩のライバルっすね……。ふわっあ」


五月雨が話の途中で欠伸をした。

ゆりかは寝ぼけまぶたでぼーっとしている。

2人の真面目な態度も今やブレブレであった。

しんどそうな2人を解放すると、ノロノロと廊下の奥に消えていった。

ゆりかも五月雨も教室でヨルみたいになるのは想像に難しくない。


「なんかみんな可哀想だな……」


今朝は元気なタケルや理沙の姿を見れただけに、不健康そうな彼女らが心配である。

俺が、彼女らに出来る気遣いを見付けた時だ。


「見付けた……」

「え?えぇっ!?」


不意にぎゅうぅぅぅぅぅぅと強い力で抱き締められた。

うわっ、人肌ってこんなに温かいのかと感動を覚えるレベルで心地よいぬくもりであった。

しかも、女性の胸らしき柔らかい感触が背中から感じるのも男としてドキドキさせられる。


「うーん……。頼子成分注入……。頼子ぉぉ……、頼子ぉぉ!」

「ま、麻衣様!?」


見慣れた黄色い髪と青いメッシュがチラッと見えて、俺を普段から『頼子』と呼ぶ知り合いは唯一1人しか見当たらないのだからすぐに気付く。


「クンクン。あぁ、クソ雑魚頼子の良い匂いだ……。これがフェロモンってやつ?」

「髪を嗅がないで麻衣様ぁ……」

「…………美味しそう頼子の首」

「え?怖い」

「ペロッ」

「ひぃぃぃ」

「あら、良い声で泣くのね頼子」


ペロッペロッ、と2舐め連続で首に舐められた感触がある。

舐められ慣れてない俺は、脳内に変な分泌物がドロッドロに溢れてきたのがわかる。

エナジードリンクを飲んだ直後みたいに覚醒する。


「頼子……。あなたは女なのだから早くその男の姿は止めなさい」

「いや、こっちの方が本当の姿だって」

「頼子ぉぉぉぉ!」

「麻衣様ぁぁぁぁ!正気に戻って!?」


抱き締められている状態から無理矢理引き剥がすと案の定か、麻衣様も眠そうでやつれていた姿を晒す。

いつも結っている髪はそのまま下ろしているし、彼女のトレードマークな派手な化粧も、今は必要最低限な薄いナチュラルメイクであった。


「頼子ぉ、甘えさせて!」

「えぇ!?」

「頼子!頼子!頼子ぉー!頼子をねらーえっ!」

「エースを狙った感じに歌わないで!?恥ずかしいから!」


いつもクソ雑魚と馬鹿にされた態度なのに、今日の麻衣様は何か変だ。

異変に敏感に気付くと、中の人から(本性は甘えん坊なガキなんだろうな)と冷静な評価が下された。

(普段は強がりな鎧を纏っているだけで、本当の彼女は愛情知らずなんかもな)とやたら饒舌に麻衣様を分析していく中の人である。

信用出来るのか、そのデータは……?

俺も言うほど麻衣様のこと知らんけど。


「…………」


でもなぁ、こないだの夢で何故か麻衣様を俺が殺したところが出てきて気まずいんだよね……。

理由はなんだかわからないけど、乙葉が殺されたら麻衣様を殺すことになる状況になるのだ。

その原因がわからない。

そもそも麻衣様は原作に登場しない人物なのでバックボーンも何も知らないのだ。

夢での麻衣様のやり取りは確か……、ラブの付くホテルに連れ込み、可愛い麻衣様と抱き合って3連発やりあった。

そう、確かに愛し合った。

4回目をしている最中に、俺が泣きながら麻衣様の首を絞めて『頼子……、どうして……?』と信じられない目でこっちを見ながら命を落として……。

風呂場に身体とキャリーバッグを運び、ノコギリを持って……。

いや、もうこれ以上の麻衣様の惨劇は思い出したくものだ。

大体夢だ、あんなの夢だ。

麻衣様が俺に殺される理由なんかあるはずないっての。

あんなのフィクションだよ。


「頼子?」

「あぁ、ごめんごめん。なんか今日はヨルとゆりかと五月雨も麻衣様と同じく眠そうにしていてね」

「…………まぁ、あんなことがあったらね」

「いや、何があったの!?ふざけないで!?」

「ふざけては……」


麻衣様のジョークは軽くスルーさせてもらった。


「だから、何か眠気覚ましに飲み物を買ってあげようとしたんだけど麻衣様もいる?」

「いるぅぅ!クソ雑魚の癖に気遣いが生意気過ぎ!」

「奢られる態度がおかしいんじゃないかな……?」


そんなわけでウキウキ気分の麻衣様と自販機の前に来た。

ヨルはブラックコーヒー、ゆりかはカフェオレが好みだ。


「頼子!アタシはレインボーね!」

「はいはい」


麻衣様にはレインボーのパッケージのコーヒーを購入した。

ただ、五月雨にはどんな飲み物が良いだろうか?

無難にカフェオレだろうかと考えていると、麻衣様が「茜の飲み物に悩んでいるのね」と横から入ってきた。


「茜はコーヒー飲まないからダメ。アップル、アップル」

「あ……」


なっっちゃんアップルのジュースのボタンを麻衣様が押した。

五月雨と麻衣様の接点がまったく理解出来ないが、麻衣様が自信満々ならそういうことだろう。

部活は違う、学年も違う。

そんな2人の接点を考えるなら……、学校が同じだった?

いや、五月雨茜はギフト狩りだし麻衣様もギフト狩りになにか関係が……?


「ほら、なっっちゃん可愛いね頼子!アタシ、なっっちゃんのイラスト好き!」

「そうだね」


いや、流石に麻衣様はギフト狩りは関係ないでしょ……。

そうなると、やはり小・中学での先輩後輩だったのだろうというところに落ち着いた。


「じゃあ、みんなに飲み物配ってくるよ」

「じゃあね頼子!」

「あ、手伝ってはくれないんだね……」


麻衣様がレインボーコーヒーの缶を振りながら教室の方向へ行ってしまった。

よく振ってミックスしてから飲むんだよ麻衣様……。

麻衣様が去ってしまったことにより寂しさだけが残り、とりあえず1番自分の教室から遠い1年フロアへと足を運ぶことにした。

五月雨茜は1年5組。

星子や和と同じクラスだし、俺もつい最近までは同じ教室で勉強をしていたので迷うことなく五月雨のクラス前にやって来た。


「あ、明智氏だ」

「アヤ氏!クラスから五月雨を呼んでくれ!」

「了解!」


近くにいたメガネの転生娘・アヤ氏こと綾瀬翔子がいたのでそのまま目当ての五月雨茜を連れて来てくれた。


「なんですか先輩……」

「あ……寝てたか?」

「本」

「ごめん。読書の邪魔しちゃったか」

「5」

「そうか。5周目か。よっぽど面白い物語なんだろうな。なんてタイトル?」

「そだい」

「そっか。『そして誰もいなくなった』か。名作だな」

「わかりますか!?ミステリーの王道作品です!」


(なんで会話が通じるんだよ!)と中の人に弄られるが、普段からコミュ障娘と会話をしている賜物である。


「そうだ。五月雨、朝から眠そうだったからこれで目を冷やしたりしてくれ」

「ちょ、明智先輩!?そんな悪いですよ!」

「五月雨がなっっちゃん好きって聞いたからさ。ささっ、飲んで飲んで」

「うわぁぁ!なっっちゃんだぁ!なっっちゃん大好きなんです!なっっちゃん飲みながら『クュゥー!』って言いたくなっちゃいますよね!」

「それは知らんけど……」


独特なセンスの持ち主である。

彼女のオッドアイがキラキラと輝いていて、小動物みたいだ。

なんだこのか弱い生き物は……。

ぬいぐるみみたいで滅茶苦茶可愛い。


「あ、ありがとうございます先輩。先輩優しい……」

「授業大変だろうからね。シャキッとしないと!じゃあね!」

「自分、彼氏作るなら明智先輩みたいな優しい人にしたいです」

「ははっ、ありがとう」


五月雨に別れを告げて廊下を歩きだした。

なっっちゃん渡されて顔が綻んでいたし可愛いものである。

最後の言葉もお世辞とはいえ、先輩冥利に尽きる後輩である。

因みにこれは、ギフト狩りの彼女に『極力俺たちに手だししないでね!』という牽制わいろの意味も込めている。

それから眠りながら歩いていたゆりかにカフェオレを。

同じクラスで机でぐうすか眠っていたヨルにブラックコーヒーを置いておき、『1日ガンバ』と書き添えておく。


「よし、終わった終わった」


みんなに飲み物を配り終えると、ホームルームの準備をしようかと席に戻ろうとした時だった。

「おい、秀頼」とタケルから話しかけられた。

「どうした?」と返事をしてタケルに向き合った。


「乙葉がお前に用事あるんだとよ。だから校門で待っててくれってさ」

「ふーん。わかった」

「というかさ。お前、乙葉も彼女にするつもりないよな?」

「そんな俺が知り合いの女全員彼女にしてるみたいな言い掛かりはやめろよ」

「言い掛かりではない気はするが……。とにかく、乙葉を惚れさせることはするなよ!」

「しませんよ」


こうして、放課後は赤坂乙葉と待ち合わせの予定が出来たのであった。

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