文化祭③和風喫茶

 十時。いよいよ文化祭がスタートした。


 B組の出しものは模擬店「和風喫茶」。

 和風感を出すため窓には葦簀よしずを下げ、天井から色鮮やかな風鈴を吊るしている。


「いらっしゃいませ。和風喫茶へようこそ」

「おにいさんおにいさん、ちょっと寄ってって~」


 なぎさと月乃、二人の呼び込みは恐ろしいほど効果があった。

 向日葵と牡丹のあでやかな浴衣姿に引き寄せられるように次々と人がやってくる。客のほとんどは他のクラスの生徒たちだが、来賓や保護者達の姿もちらほら。


 みんな鼻の下を伸ばしてふらふらと吸い寄せられてくる。

 配膳・接客係のポプラと矢島も大忙しだ。


「かき氷さんこお願いしましゅ! イチゴとメロンとレモン味でしゅ」


「こっちはあんみつ五個っす」


 一方のおれはと言うと――


「ぐぁあああ~忙しいぃ~!!!」


 「祭」の法被はっぴを着て、パーテーションで仕切られた裏方で厨房担当として忙しく駆け回っていた。


 次から次へと飛び込んでくる注文で目が回りそうだ。ゆっくりバッヂ探しをする余裕もない。


「涼太しゃん早くー!」


「急ぐっす」


「分ぁってるよっ!!」


 かき氷を造るためにガリガリと氷を削っていると、


「あ、おねえさんボクと同じサクラのバッヂだね」


「まぁ本当ですね」


 なぎさの声とともに男の声が聞こえてきた。

 隙間から覗き見すると茶髪の男子が親しげに話しかけているところだった。


「良かったー。ボク人見知りでめったに自分からは声かけられなくて困ってたんだけど、桜庭さんはすごく気さくな感じがするから」


「そんなことないですよ」


 ぐいぐい迫られてちょっと困惑している。忘れていたけどなぎさは男が苦手なのだ。

 にも関わらず男は鼻息荒く前のめりになっていく。


「良ければ連絡先交換しとかない? 残りの四人見つけたら連絡するからさ」


「でも……」


 なんだよあいつ。

 なぎさが困ってるじゃないか。


 もしこれ以上困らせるようなら――。


「オイコラ彼氏君」


 ちょん、と脇をつつかれた。「ひぃっ」と変な声が出そうになったところを間一髪こらえる。犯人は月乃だ。


「なっちゃんに話しかけてるアイツ、五組で有名なオンナタラシだよ」


「え?」


「助けに行ってあげなよ。彼氏でしょ」


 勿論いますぐにでも駆けつけたい。

 ……でも。


「でもまだ削り途中の氷が――」


 月乃の目がきらんと光った。


「アンタ、かき氷となっちゃんどっちが大事なの?」


 そりゃあ。

 考えるまでもない。


「ねぇいいじゃん。番号だけ」


「やめ……」


 怯えるなぎさの手首を男が掴んだ刹那、おれは相手の腕めがけて手刀を叩きつけていた。


「お客様」


 元々小心者のおれだ。

 怖気づきそうな心を抑え、すぅ、はぁ、と小さく息を吸う。


「彼女、イヤがっているじゃないですか。やめてください」


 じっと睨みつけると相手も目を吊り上げた。


「いってぇな! ちょっと話していただけだろ!」


「そうは見えませんでした」


「ふざけんなよ!」


「ふざけてなんかいません。彼女は大事なクラスメイトですから放っておけません」


「ああんっ!!??」


 激昂した相手に胸倉を掴まれたが不思議と怖くなかった。


 こっちからは何もしない。

 でももし向こうが手を出したらすぐに殴り返してやる。


 そのときだ。


「──ひゃぅんっ!」


 すごんでいた男が情けない声を上げて膝を折ったのだ。


「特製氷おまちどおさまでしゅ!」


「お味はいかがっすかー」


 見れば男の背後でポプラと矢島が仁王立ちしている。手には氷の塊。さては襟の隙間から入れたなコイツら。


「てめぇら……ひっ冷てっ」


 男はぷるぷる震えながらポプラたちを睨みつける。


 すると。


「はいはいはーい、これより簪月乃による実演販売をはじめまーす」


 唐突に声が響きわたった。

 浴衣の袖をまくり、心なしか胸元を開けた月乃が削り器の前に立っている。


 ハンドルを回してガリガリと削ったかき氷にたっぷりのシロップをかけると、スプーンひとさじすくい上げた。

 何事かと見守っていると近くにいた男子生徒を手招きする。


「君。はい、あーんして」


「え? 俺?」


「そ。あーん♪」


 促されるままかき氷を頬張った男子生徒は「ちょーうまいです」と頬を赤らめている。


「いまから十人限定でわたしがあーんしてあげます。愛情たっぷり、写真も撮り放題でーす」


 いまだよ、とばかりに目があった。


 ナイスだ。


 騒ぎを聞きつけた生徒たちが教室になだれ込んでくる。例の男は揉みくちゃになり、おれとなぎさは手を取り合って人ごみを抜けることに成功した。




「涼ちゃん待って、足袋が」


 おれたちは中庭まで逃げてきた。

 ハッとして手を離すとなぎさは足元を気にしている。足袋の緒が片方切れていた。


「そうか、浴衣に合わせて履き替えてたんだよな。気がつかなくてごめん。大丈夫か?」


 不安が顔に出ていたのかも知れない。

 なぎさはにっこりと微笑んでくれる。


「ゆっくり歩けば大丈夫だよ。教室に戻ればルナっちが直してくれると思う」


「そっか。じゃあすぐに戻──ってわけにはいかないよな。あの騒ぎじゃ」


「うん。だからね」


 つん、と袖を掴まれた。


「転ばないようにここ掴んでてもいい?」


「お、おお。いいぜ」


「ありがと。ちょっと歩こうか。せっかくだから色々見て回りたいし」


「そうするか」


 ゆっくりゆっくり、亀みたいにゆっくり歩く。なぎさに触れられている袖が熱をもったみたいに熱い。


 なんだろう。

 手をつなぐよりもドキドキする。


「なんだか、おじいちゃんとおばあちゃんみたいだね」


 後ろでなぎさがふふっと笑った。


「学校に来る途中で散歩中のご夫婦をよく見かけるんだ。すごくゆっくりなんだけど、おじいちゃんが先をどすどす歩いて、おばあちゃんはその後ろをよちよちとついていくの。二人とも全然顔合わせないし会話もしていないのに、おばあちゃんはおじいちゃんの腰にまいた紐を大事そうに握ってニコニコしてるんだ。ああいうのいいなって見ている私も幸せな気持ちになる。……ごめんね変なこと言って」


「いや全然」


 おれたちは自然と手をつないでいた。別の体温に触れたことで自分の指が思ったよりも冷たいことに気づく。


「涼ちゃんの手、つめたいね」


「いっぱい氷削ってたからな」


「大丈夫。私があっためてあげるから」


 お互いの体温を確かめるよ二きつく手を握った。


 おれも随分と大胆になったもんだ。

 いつどこで顔見知りと会うか分からない学校内で。


 でも。

 この手を放したくないんだ。どうしても。


「──あっ。ない」


 ふいになぎさが声を上げた。


「どうした?」


「サクラのバッヂがないの。もしかしたらさっき人込みを抜けてくるときに落としたのかもしれない……。教室内に落ちてないかルナっちに聞いてみる」


 不安そう顔で月乃に電話をかけるも、返ってきたのは「見当たらない」という無情な現実だった。


「……うん、そっか。ありがとうルナっち。すぐ戻るね」


 電話を切ると悲しそうに項垂れた。


「無いって?」


「ん……。でも仕方ないよ。お客さんの出入りが激しくて大変だったみたい、もうほとんどの料理が売り切れちゃったって。早く戻ってあげよう」


 精いっぱいの笑顔を浮かべて歩き出すなぎさ。


「──待て」


 気がつくと細い肩を掴んでいた。


「これ! やる!」


「え?」


 なぎさの目の前にサクランボのバッヂを差し出す。


「でもこれ涼ちゃんの……」


「だれがどのバッヂを持っているか記録されているわけじゃないんだし、だれが持っていてもいいんだろ。だから、なぎさにやる」


 戸惑うなぎさの胸元にダブルクリップを留めてやった。

 愛らしいサクランボはなぎさによく似合う。


「本当に、いいの?」


「もちろん。ただそれ一つじゃ意味ないから残り五人を見つけないといけないけどな」


 せっかくのイベントだ。

 同じバッヂを持つ五人を見つけてプレゼントやらを拝ませてもらおう。



「ふははは、見つけたぞ鈴木涼太ー!!」


 どこからか甲高い声がして、猛ダッシュで佳乃が駆けつけてきた。


「見るがいい。このバッヂを」


 誇らしげに見せつけられたのはサクランボのバッヂだ。


「おまえとマッチングするためクラス中を走り回ってようやく入手したのだ。偉いだろう」


「あのぅ非常に言いにくいんですが」


「その相手というのが剣道の有段者で、かねてよりわたしと勝負したいと願っていたらしく、バッヂをかけて真剣勝負に挑んできたのだ。見てのとおりわたしの勝利だ。だが相手もなかなか手ごわくて」


「すみませんがサクランボのバッヂはなぎさに譲ったんです」


「なるほど譲────はぁっ!!??」


 ようやく気付いたらしい。

 佳乃はこれ以上なく目を丸くしておれとなぎさを交互に見やる。


「なんということだ……。あんなに苦労して手に入れたのに」


 がっくりと項垂れる佳乃には申し訳ないが、これでサクランボか二つ揃った。

 残りはあと四人――。

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