なぎさの嫉妬と期末テスト

「なぎさ、怒ってるのか?」


 ひと気のないところまでやってきたところで声をかけた。

 黙々と進んでいたなぎさはピタッと立ち止まり、柱に手をつくと大きくため息を吐いた。


「はぁ……自分がイヤになっちゃう」


 ふり返った瞳はかすかに潤んでる。


「ごめんね、涼ちゃんを困らせるつもりはなかったんだけど嫉妬の気持ちが抑えられなかったの。だから反省している。私とってもワガママだった」


 そう言って、おれの手をぎこちなく握ってくる。冷たい。


「なんていうか、涼ちゃんは私のことしか見てないはずって勝手に思い込んでたの。涼ちゃんが他の女の子と話したりお弁当を褒めたりすることは普通にあるはずなのに、同じクラスになるまでは全然考えもしなかった。涼ちゃんが他の女の子にとられちゃうんじゃないか――そう思ったら、胸の奥がモヤモヤして、とても苦しくなった」


 なぎさは昔のトラウマが原因で男子を避けていたから、あまり嫉妬とは縁がなかったのかもしれない。

 スポーツをやっていれば「負けて悔しい」「なんでアイツばっかり」って嫉妬も当然生まれるはずだけど、常に最前線を走っているなぎさにはそれもなかった。


 ……なんか、ムズムズする。

 初めての嫉妬に戸惑っているなぎさがいつも以上に可愛く見える。


「――なぎさ、いつもの場所に行かないか?」


「え? でも」


「昼休みまだ時間あるし、買い出しもゆっくりでいいって言うんだから。な?」


 こうしてなぎさの手を引いて非常口階段に向かった。

 誰もいない特等席に腰かけ、二人で風を浴びる。カラッと晴れた空から吹きつける風は一足先に夏に衣替えしていて、うっすら汗ばむくらいだ。


「ちょっと落ち着いたか?」


「うん。モヤモヤが少し晴れてきた気がする」


「なら良かった。もうすぐ夏だな」


「ん。涼ちゃんと過ごす初めての夏だね」


「お互い大会もあるけどな」


「時間みつけて応援に行くよ。試合しているところ見てみたい」


「じゃあ頑張らないとな」


「私、涼ちゃんと知り合うまでは水泳以外興味なかったんだけど、世の中にはいろんなスポーツがあって、いろんな闘いがあって、いろんなドラマがあるんだってことに今さら気づいたんだ。ぜんぶ涼ちゃんのお陰だよ」


 褒めすぎだろ。なんだか照れくさい。


 なぎさと過ごす初めての夏。

 もちろん部活も頑張らなきゃいけないけど、海に行ったり一緒に勉強したり花火を見に行ったり。やりたいことがたくさんある。まだ知らないなぎさの顔をたくさん見てみたい。


「その前に文化祭があるだろ。初めてだから分からないことばっかりだけど、B組として出来る限り頑張ろうぜ。一緒に」


「うん、そうだね。一緒に」


 差し伸べた手に、なぎさの柔らかな手が重なってくる。


「でもその前に期末テストがあるよ?」


「……ワスレテマシタ」


 ついカタコトになってしまう。

 自慢じゃないが勉強は(超)苦手だ。


「ふふ、私もあんまり得意じゃないけど、同じクラスになったんだし一緒に勉強しよーよ?」


「オネガイシマス」


「うん。また約束が増えたね、涼ちゃん」


 そっと目を閉じると、甘えるように肩にもたれかかってきた。

 安心しきったような横顔に胸がうずく。


 なぎさのことが好きだ。

 おれが好きなのはなぎさだけだ。

 この気持ちだけは絶対にだれにも負けない。



 ※



「鈴木ー、鈴木はいるか? おぉいたいた。どこにいってたんだ」


 数人分の飲み物を買って教室に戻る途中、前方から佳乃が近づいてきた。


「佳乃委員長、どうしました?」


「いやなに、礼を言いたくて探してたんだ。つい先ほどまで職員室に呼ばれていて……んん?」


 おれの隣にいるなぎさを見て佳乃の目がキラリと光る。


 やばい。


「月乃さんに頼まれて一緒に飲み物買いに行ってただけですよ、別になにもやましいことはありませんから」


 なんでなんて口走っちゃうんだおれのバカ。


「……ふむ」


 あやしんでるあやしんでる、めっちゃあやしんでる。

 冷や汗だらだらのおれを見かねたなぎさが一歩進み出た。


「本当ですよ、佳乃さん。期末テストのことで色々話していて遅くなっちゃったんです」


 ナイスだなぎさ。


「そう! そうなんですよ、おれ頭悪いから桜庭なぎささんに勉強方法のアドバイスもらってたんです」


 必死に言い募ると険しかった佳乃の表情がゆるんだ。


「なるほど、そうか。確かに鈴木は中間テストの結果も芳しくなかったからな」


「え……? なんで知ってるんですか?」


「もちろん委員長だからな」


 腰に手を当ててのどや顔。


「1組の生徒たちはスポーツこそ熱心だが総じて勉強は得意ではないようだった。しかし学生たるもの学業を疎かにすべきではない。なので高菜先生と相談しながらどうやって学習を進めてもらうべきか考えていたところだったんだ。……まぁ、みんなバラバラになってしまったがな」


 ちょっぴり寂しそうに肩を落とした。

 委員長なりにクラスを良くしようと頑張ってきたのに、ちょっとした事件ことでみんな散り散りになってしまった。


 おれはなぎさと同じクラスになったことで浮かれていたけど、委員長の胸中を思えばとても気の毒だ。


「元気だしてください。おれ、委員長の期待に応えられるよう期末テスト頑張りますから」


「本当か?」


「ええ。できるかぎりは」


 本音を言えば、中間テストよりも難しい期末テストで及第点をとれる自信はないが、せめてもの慰めのつもりだった。


「――! そうだ、いいことを思いついたぞ鈴木!」


 なにか閃いたらしく、佳乃は目を輝かせながら手を叩いた。


「委員長に推してくれた礼に勉強を教えてやろう。わたしの自宅ならば邪魔も入らずゆっくり教えられる」


「勉強……自宅……!!??」


 それってもしかしてお宅訪問&二人きりでのテスト勉強ってことか!?


「な、いいアイデアだと思わないか? 鈴木副委員長」


「ちょ、ちょっと待ってください!」


 ぐっと身を乗り出したのはなぎさだ。佳乃に詰め寄って顔を覗き込む。


「それって鈴木涼太くんとマンツーマンのトレーニングするってことですか? 二人きりで? 佳乃さんのお家で?」


「そうだか?」


 佳乃が本気だと知ってさぁっと青ざめる。


「私は反対です。と、年頃の高校生がお家に二人きりなんていけないと思います! ご、誤解を招くと思います!」


「誤解? とは?」


「えっと……えっとだからつまり、その……男女間の……」


 口ごもるなぎさ。

 ひやひやしながら見守っていたおれの隣に助っ人が現れた。


「つまりね、カノちゃんからの指導を直接受けるなんてずるいってこと」


 月乃だ。一緒についてきたポプラも当然のように割って入る。


「はいはいはい! あたしも涼太しゃまと一緒にテスト勉強したいれしゅ!」


「ですって。わたしもせっかくだから仲間入りしよっかなぁ。――ね、なっちゃん。それでいいのよねぇ?」


 なんだか流れが変な方向に進んでいる。

 もしかしなくてもこれは。


「そうか、よく分かった」


 佳乃が大きく頷いた。


「では今週の日曜、わたしの家で期末テスト対策勉強会を実施する!」


 やっぱりな……。おれ勉強苦手なのに。

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