B組のランチタイム

「ではこの数式を――桜庭さん、前に出て解いてください」


「はい」


 スッと椅子から立ち上がったなぎさが黒板の前に向かう。ノートを見ながらすらすらと書き記す数字は丸くて可愛らしく、それでいて読みやすい。


「はい正解です。みなさん拍手」


 正解してパチパチ拍手を贈られるとちょっぴり照れ臭そうにはにかむ。席に戻る途中で自然に目が合うと、にっこりと微笑んでくれる。


 B組になってから最初の授業。

 いや、最高だよ。このクラス。

 人目を忍んで逢瀬を重ねるしかなかった彼女がいつも隣にいるんだぜ。


「あっ」


 足元に転がってきた消しゴム。


「あ、おれが!」


 バドミントンのレシーブ並みの素早さてパッとを拾いあげ、軽く埃を払ってからなぎさに差し出した。


「どうぞ、桜庭なぎささん」

「あ、ありが……」


 指と指がかすかに触れ合う。


 なぎさは弾かれたように手をはなしたものの、クラスメイトとしてはなにも遠慮する必要がないのだと思い出したらしく、あらためて手を添えてくる。


「ありがとう、鈴木涼太くん」

「どういたしまして」


 とろけるような笑顔。

 これだけで天にも昇るような心地だ。


「がるるるる……」


 ただし左隣の矢島が怖いのでこれ以上は近づけないけども。


「ふふーん」


 前の席の月乃は机の上にずっと鏡を置いている。

 ちらちら目線を向けてくるので居心地悪くて仕方ない。


「ぐふ、ぐふふ、涼太しゃま、ぐふふ、そんな……一緒にエナジードリンク飲もうなんて……間接キスれしゅ……」


 後ろのポプラは呑気に居眠り中だ。

 どんな夢を見ているのか……絶対知りたくない。


「では次の問題は……本庄さん、起きてますか、本庄さーん。問題解いてくださーい」


「おいマネージャー、呼ばれてるぞ」


「ぐふっ?」


 声をかけると寝ぼけまなこで顔を起こした。目をこすりながら立ち上がり、


「37でしゅ」


 と即答した。


「せ、正解です……」


 これにはさすがの先生もびっくり。おれたちもびっくり。


「でわ、おやしゅみなしゃーい」


 当の本人はイスに腰かけると再び夢の中へいってしまった。

 唖然としていると月乃がこっそり教えてくれた。


「知ってる? 本庄さんは入試トップだったんだって。中学時代一度も1位を譲ったことのない才女らしいよ」


 つまり寝起きでも解けるくらい頭がいいのか。人は見かけによらないものだ。

 これもクラス替えがなければ知らないままだったろうな。



 ※



 3時限目が終わって、ようやく昼休みだ。

 いつもならなぎさと逢瀬するため非常口階段へと向かうのだが、弁当を抱えて立ち上がった瞬間、月乃に捕まった。


「涼太君、一緒に食べよぉ」


「え、でも、おれは」


「生徒間の交流をはかる為にクラス替えしたんだから一緒に食べる方がいいじゃない?――ねぇ、なっちゃんもそう思うでしょう?」


 同じく立ち上がろうとしていたなぎさはどきっとしたように固まる。


「あ、う、うん。そうだね」


「じゃ、決まり。みんなで仲良く食べよ」


 ポプラがすかさず割り込んできた。


「あたしも一緒にたべたいれしゅ! どうせなら小学校みたいに机をくっつけたいでしゅ!」


「あ、いいわねそれぇ」


 というわけで、有無を言わせぬままおれたちは机をくっつけて一緒にお昼をとることになった。

 なぎさと堂々と飯を食べられるのは嬉しいけど、周りの目がなぁ……。


 でも贅沢は言うまい。なぎさと同じクラスになれただけでも奇跡なのにこれ以上文句を言ったら神様に怒られちまう。


 そう思い直してレジ袋からパンを二個取り出した。それを見た月乃が一言。


「涼太君のお昼はパンだけ? 少なくない?」


「あ、いや……」


 普段はなぎさがおかずを分けてくれるの足りないことはないのだが、ここで言えるはずもない。


「涼太しゃん、あたしのご飯分けてあげましゅ!」


 ポプラはどんぶりに入ったかつ丼をどん、と突き出してきた。器の大きさもさることながら、大盛りというよりデカ盛りだ。


「すげぇな、マネージャーいつもこの量食べてんの?」


「はい、いまダイエット中れしゅ」


 いやいやいや。カツが十切れも乗っててどこがダイエットだよ。

 だがポプラの好意を無碍にするのも気が引ける。


「じゃあちょっとだけ貰おうかな」


 肉厚なカツをひと切れ頂いて口に運んだ。うん、味濃い~な。ソースが染みてて旨いけど。


 しかしこうして見ると人によって昼食メニューも全然違うんだな。


 なぎさは手作り弁当。

 月乃はサンドイッチとサラダ。

 ポプラは大盛りのかつ丼。

 矢島は――。


「あ、矢島しゃんのお弁当かわいいれしゅ!」


 教科書で隠すように弁当を食べていた矢島。気配を消していたから忘れていたけどちゃっかり弁当の輪に加わっている。


「見るなっす!」


「なんれれしゅか、キャラ弁れしゅー」


 ポプラが遠慮なく教科書を取り除くと赤い弁当箱に卵やノリで流行りのアニメキャラが描かれていた。かなりの出来栄えだ。タコさんウィンナーやブロッコリーなどの色どりもあざやか。女の子のお弁当って感じだ。


「へぇー、矢島って意外と可愛い弁当作るんだな」


「なんすか、バカにしてるんすか」


「いや全然。もしおれがダンナだったら昼に弁当箱開くのが楽しみになるよなぁって思って」


「っ……!」


 矢島の顔がさっと赤くなる。

 あれ、おれもしかして変なこと言ったか?


 矢島はぷるぷる震えながら弁当箱のふたを閉め、胸にかき抱いた。

 ゆらりと立ち上がって、


「お、お、お、おまえなんか……絶対弁当作ってやらないんだから―!!!」


 脱兎のごとく走り去ってしまった。

 なんだろう、猛獣がキャンキャン吠えながら逃げていくみたいだった。


 微妙な空気になっている中で月乃だけが楽しそうにサラダを頬張っている。


「いやぁ、無自覚な男は困るよねぇ~。ねぇ、なっちゃん?」


 無言で箸を口に運ぶなぎさ。なんだろう、目に見えない殺気が立ちのぼっている気がする。


「あの、桜庭なぎささん、おれなにか悪いことしましたか?」


「いいえ、べつに。鈴木涼太くん」


 目線が怖い。怒ってるんだよな、きっと。

 でも、どう謝ったらいいんだろう。ここじゃあ他人の目がある。


 困り果てていると月乃がおもむろに財布を取り出した。


「せっかくクラスメイトになったんだから今日は特別にジュースおごってあげるね。悪いけどなっちゃん自販機で買ってきて。はいお金」


 なぎさに千円札を手渡しながらちらっとおれに視線を向けてきた。


「なっちゃん一人じゃ持ちきれないだろうから、涼太君も手伝ってあげて」


 ナイス!

 おれたちの窮状を見かねて助け船を出してくれたんだ。


 なぎさは弁当箱を片づけながらゆっくりと立ち上がる。


「じゃあ、お願いできる? 鈴木涼太くん」

「もちろんだよ、桜庭なぎささん」


 はやる気持ちをおさえ、できるだけ自然な距離を置いてなぎさとともに歩き出した。


「ゆっくりでいいからねぇー」


 月乃の優しい声が追いかけてくる。

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