簪月乃の事情と記録会

 週末。月乃に誘われたおれは厚意に甘えて記録会を見に行くことになった。


「鈴木くん、こっちこっち~」


 駅の改札で月乃が手招きしているところへ小走りで駆け寄った。


「おはようございます。電車の遅延でお待たせしちゃって、すみません」

「ううん、ぜんぜん。まだ時間も余裕あるから気にしないで。じゃあ行こうか」


 月乃がさっと歩き出した瞬間から、周囲の視線が一斉に集まってくる。

 忘れていたけど彼女は芸能人並みに活動する「ルナっち」なんだよな。風になびくきれいな髪に抜群のスタイル、胸元や手足のびっくりするような眩しさ。そりゃあこんな美少女が歩いていたら自然と見ちゃうよなぁ。


「なにしてんの、隣においでよ」


 気後れしたせいか、おれは月乃の三歩くらい後ろを歩いていた。

 ぷるぷると首を振る。肩を並べるなんておこがましい、彼氏でもないのに。


「周りの視線なんて気にしなくていいよ。堂々としていればいいの、なっちゃんの彼氏でしょう?」


「そうですけど、ルナっちさんと並んで歩くと緊張しちゃう気がして」


「――わたしがだから?」


 急に声音が変わった。おれの反応を面白がっていた目が、いまはひどく淋しそうな色をたたえている。


「ルナっちさん?……どうしたんですか?」


「なんでもない。いこ」


 くるりと背を向けた月乃は無言で突き進んでいく。空気が重い。

 さっき口にした「こんな見た目」って、日本人離れした容姿のことだよな。なんで卑下するような言い方するんだろう。


「あのね……わたし、佳乃と異母姉妹なんだ」


 いつもならふざけて「カノ」と呼ぶのに、今日は「佳乃」と名前を口にした。


「小学生のころに死んじゃったママは、佳乃のお母さんと婚約していたお父さんを寝取って自分のものにしちゃった悪い女だ! って親戚たちから言われ続けてきたんだ。ママは体が弱くて入退院を繰り返してばかりだったから、あまり話す機会がなかったの」


 会場に向かって進んでいるはずなのに、月乃の心はどんどん後退しているみたいだ。うつむきがちになって声は沈んでいく。


「わたしの記憶の中にいるママは、顔色こそ悪いけど穏やかでやわらかくて、優しく抱きしめてくれる人。でも周りの大人から『悪い女』って吹き込まれ続けると子どもとしては多少なりとも信じちゃうものじゃん?」


 確かに一度ならず何度も言い続けられると心が揺らぐかもしれない。


「小学生にあがったころに親戚の集まりがあって初めて佳乃に会ったの。きれいな黒髪で子どもながらに凛とした雰囲気があって、周りは亡くなったおばあさまそっくりだと持て囃していた。同い年だし、話してみたら気が合ってすぐに仲良くなったんだけど……運悪く聞いちゃったのよね、本当なら佳乃の母親がパパの奥さんになるはずだったって。で、わたし、大爆発」


 道ばたに転がっていた石を高らかに蹴り上げた。


「退院していたママに向かって散々泣きわめいた挙句、家出してひとりで公園の遊具に隠れていた。どんどん暗くなるし雨は降ってくるしで泣きたいやら淋しいやら、もうこの世から消えちゃいたいって思っていたところへママが迎えに来てくれたの、傘もささずに。で、雨に当たって体を冷やしたことが原因でママは数日後にあっけなく死んじゃった。簪家には佳乃の母が入って、わたし爪はじきってわけ」


「だからルナっちさんは佳乃委員長を敵視しているんですか?」


「ううん。佳乃のことは嫌いじゃないよ。羨ましいと思う。おばあさま似の黒髪に利発そうな顔立ち、恵まれた武芸の才、1組をまとめる統率力。羨ましいし、気になる。だからついつい構っちゃうんだよね。だって『目の敵』になれば注目してもらえるじゃん、認識してもらえるじゃん。簪家の中ではとされているわたしを見てもらえるじゃん」


 月乃はただ自分の存在を佳乃に認識してもらいたいだけ。

 本当にそれだけなんだ。


「――おれはばっちり認識してますよ。ルナっちさんのこと」


 隣へ歩いて行って目を合わせると「えっ」と大きく瞬きした。


「おれだけじゃなくなぎさも勿論、2組の人も1組のみんなも世界中の人がルナっちさんを認識してますよ。さっき駅の構内にいたときも痛いくらいに周りの視線を感じました。だからもう消えちゃいたいなんて思わないでくださいね。自分を責めないでください」


 いろんなことが積み重なって、絡まりあって、ねじれあって、いまの二人の関係があるんだな。


「――ありがと鈴木くん。きみはいい人だね、さすがなっちゃんの選んだ彼氏」


 小さく微笑んだ月乃は、やっぱりキレイだった。

 憑き物が落ちたみたいに。


 良かった。


 でも佳乃はどうなんだろう。

 月乃を嫌う個人的な事情ってなんだろう――?



 ※



 会場に到着した。


 記録会は大会と違って表彰されるものじゃない。自分の日頃の成果を確認するもので、参加者は小学生から一般まで。男女別に、50mと100m、それぞれ自由形、平泳ぎ、バタフライ、背泳ぎの順で実施する。なぎさは100mの自由形とバタフライに参加する予定だ。


 観客席に座り、プログラムを見ながら間もなくやってくるなぎさの出番を待っていると――後ろから声をかけられた。


「鈴木じゃないか。こんなところで会うのは珍しい」


 佳乃だ。何人かのクラスメイトたちも一緒にいる。

 しまった。まさかこんなところで会うとは。


「おまえも加藤の応援に来たのか?」


 加藤? だれだっけ。あぁそうだ、1組の。


「そ、そうなんです。加藤のことがずっと気になってて」


「ふむ。殊勝な心掛けだ。さらに見直したぞ。ならば一緒に応援しよう」


「あ、おれ、ちょっとトイレへ!」


 隣に座ろうとしたので慌てて立ち上がった。

 幸いにして月乃はお手洗いだ。鉢合わせだけは避けたい。


「そうか……」


 佳乃はちょっぴり淋しそうに足を揺らしている。


「ではここで待っているから、早くな」


 うう、しらばっくれて反対側の席にいこうかな。

 でも罪悪感が半端ない。


 なんて迷っていたのがいけなかった。


「おまたせ」


 月乃が戻ってきてしまったのだ。


「あ?」

「ん?」


 視界を隠そうにも間に合わず、ふたりはばっちり鉢合わせ。

 お互いをロックオンしてしまった。


 しまったぁー!

 どうしたらいいんだ!!??

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