「ちょっと距離を置こう」「分かった。何ミリ?」
月乃と約束したなぎさの記録会まであと一週間。
おれはとある決意を固め、昼休み、こう切り出した。
「なぎさ。おれたちちょっとだけ距離を置かないか?」
「涼ちゃん、はいあーん❤」
フォークで差し出された卵焼きを手で制しながら至極真面目に語りかける。
「なぎさ。ちょっとだけ距離を置こう」
「距離?」
なぎさはきょとんと目を丸くする。
「距離って?」
首を傾げながら、フォークを持ってない方の手を自らのスカートに伸ばす。
スカートからきれいに伸びる脚のなんてきれいなこと。
……ちょっと待て、何をしようとしている。
「距離って1ミリかなぁ、それとも、2ミリ?」
じりじりとスカートの先をめくっていく。
ちょっと待て。なにをしようとしている(二度目)。
一体どこでそんな
「違う違う! 物理的な距離じゃなくて……っていうかミリは近すぎだろ」
「じゃあマイクロメートル?」
「縮まってるし! 0.001倍!――じゃなくて。いいか、ほら、もうすぐ記録会だろ。おれとイチャイチャしていたために記録が落ちたら大変だ。だから少しだけ距離を置いて、目の前のことに集中すべきだと思うんだ」
「じゃあ目の前の卵焼きに集中して。はい、お口、あーけーて❤」
「あーん……じゃなくて、話聞いてくれっ!」
「ちぇ、うまく焼けたのになぁ」
とても残念そうに自分の口へと運ぶ。おれだってぱくんと食いつきたいのは山々だけど仕方ないだろ。
「……でも、そっか。最近涼ちゃんの様子がおかしかったのは記録会のこと心配してくれたからなんだね。それなのに私、涼ちゃんの気持ちも考えずにイチャイチャしちゃってごめんなさい」
袖口を目元を拭うなぎさを見ていると底知れない罪悪感が襲ってくる。
ちがう、ちがうんだ。そうじゃなくて。
「分かったよ涼ちゃん。記録会まであと一週間、イチャイチャは我慢する。……そのかわり」
「そのかわり?」
「記録会ですごい成績出してみせるから、そうしたら」
「そうしたら?」
なぎさはとびっきりの笑顔を浮かべて、おれの手を掴んだ。こっちが驚いている間に自分の頭部に持っていく素振りをする。
「いっぱい褒めてね。いい子いい子って私が満足するまで撫でてね」
私が満足するまでって言い方がちょっと怖い。
でも我慢を強いるんだからおれも応えてやらないと。
「分かった! いいぜ!」
こうして安請け合いしたことを、のちに後悔することになるのだが――。
※
距離を置こう宣言から早五日。なぎさはおれとも約束を守り、朝晩の部活だけでなく昼も自主練するようになった。
いつもならなぎさが隣にいて「あーん」ってしてくれるのに、ひとりで食べる昼飯のパンはなんて味気ないんだろう。無味無臭のガムを噛んでいるみたいだ。
あまりの淋しさに涙ぐんでいると背後で足音がした。
「なぎさ!?」
「ふえ?」
すらっと伸びた足は、しかし、なぎさではなく月乃だ。
「あ……すみません。間違えました」
そもそもおれ自身が言いだしたことだ。距離を置いて記録会に集中しろって。
なぎさは約束を守ってくれているだけ。
だけど、心の中にぽっかりと穴が空いたみたいだ。
「お隣、失礼するね」
月乃はおれの二段下に腰かけた。アップルジュースの紙パックを手にしており、きれいな唇でちゅーっとストローを吸う。
「鈴木くん、最近なっちゃんと一緒にお昼食べてないんだねぇ」
「ええ、まあ。ルナっちさんとの約束もあるし、なぎさが良い記録を出せればおれは満足なんです。ええ、本当に」
「なんだか死にそうな顔してるけど」
ぷにっと頬をつつかれても痛みすら感じない。
心だけじゃなく痛覚まで死んでる。これは重症だ。
「ひとつ言っていい?」
ストローをくわえていた月乃はどこか不機嫌そうに眉をひそめた。
「きみってバカなの? イチャイチャ禁止令なんて、あんなの、ただの嫌がらせに決まってるじゃん。それを律儀に守ってなっちゃんと距離を置くなんてバカを通り越して脳みそ死んでない?」
なんとなくそんな気はしていたけど、でも、面と向かって言われるとキツイな。
でも。
「……おれ、いままでたくさんの約束を破ってきたんです」
「ん?」
「おれ、バドミントンの大会がある度に両親とたくさんの約束をしてきたんですよ。目標っていうのかな? 大会で優勝する、全国大会に行く、格上の選手に勝つ、スマッシュ何本決める……、どれもこれも守れなくて両親をガッカリさせてきた。二人はいつも次があるよっていつも励ましてくれたけど、おれはプレッシャーに弱くて大事な大会に限って腹下したり風邪引いたり、本当にどうしようもないヤツで」
月乃が黙っているのをいいことに、雪崩みたいに言葉があふれてくる。
「いまでも一番悔やんでいるのが、幼なじみと組んだダブルスで、あと一点で地区大会優勝ってときに焦って『お見合い』……二人そろってシャトル取りに行っちゃうことなんですけど、それやっちゃって、流れが一気に変わって逆転負け。そいつは転校することが決まっていたから優勝トロフィー絶対に手に入れようって約束していたのに、最後はケンカ別れしてさよなら。それっきり。……すみません、変な話して」
「ううん。興味深いよ」
一気に喋ったせいか喉が渇いてきた。
紙パックの牛乳をぐっと飲み干して、大きく息を吐く。
「情けないばっかりのおれだけど、なぎさのことはすごく大事だし、なぎさの友だちであるルナっちさんのこともキライになれない。だから約束した以上は守りたい。もしそれでおれのことを信用できると思ったのなら、お願いです、なぎさとの恋を応援してくれませんか」
「……へぇ」
青灰色の瞳を細めて、月乃はおれの目を見ていた。
不思議そうに、楽しそうに、興味深そうに。
「いいよ。簪月乃としても理事長の孫としてもなっちゃんの友だちとしても、最大限のフォローをしてあげる」
「ありがとうございます!」
「正直言うと、わたしの嫌がらせにここまで真面目に応える人がいるとは思わなかった。『約束なんかしてない』『そもそもなぜ従わなくちゃいけないのか』って逆ギレするか都合よく無かったことにすると思ってたんだけどねぇ」
「もしおれがそんな奴だったら?」
「──聞きたい?」
「参考までに」
月乃はとびっきりの笑顔を浮かべたまま紙パックをぐしゃっと握りつぶした。
「さっきの逆だよ。簪月乃としても理事長の孫としてもなっちゃんの友だちとしても、最大限の妨害をするつもりだった。いい加減なヤツに大事な友だちを任せられないもん。これまでも、なっちゃんが水際を怖がっているのを知ってるくせに面白がってプールや海に連れて行こうとしていた男子たちには片っ端からそうしてきた」
聞かなければよかった。
変に言い訳しないところが真実味を帯びて怖い。
「鈴木くん。今週末の記録会、一緒に観に行こうね」
「おれ? 行ってもいいんですか?」
「当然でしょ。なっちゃん鈴木くんと会えないフラストレーションで毎日7、8キロも泳いでいるんだよ? 殺気立ってて怖いくらい。記録会は1組の子も出るから応援に来たことにすれば問題ないよ。わたしと一緒にウロウロしていたらなっちゃんが誤解するかしれないけど。――まぁ、それはそれで面白いかもね」
くすくすと楽しそうに笑う月乃は、やっぱり何を考えているのかよく分からないのだった。
【おしらせ:第二章は残り2~3話で終わる予定です】
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