簪家の事情
降り続く雨の中で、簪佳乃と相合い傘をしながら帰ることになった。
なぎさから「きをつけて」というメッセージをもらったおれは出来るだけ平静を装って佳乃の元へ戻る。
「お待たせしました!」
佳乃は無表情のまま首を振る。
「いや、急がせてすまない。どうやら雨は小降りになってきたようだ」
首を伸ばして窓の外を眺めると先ほどよりも音が弱くなっている。
「みたいですね。傘いらなかったですかね」
もしおれを待っていたとしたら佳乃には申し訳ないことをした。
「なんて顔をしているんだ、行くぞ、相合い傘をするんだろう」
バン! と強く背中を叩かれて外へ押し出される。折りたたみ傘をパッと開くと佳乃が控えめに入ってきた。こうして肩を並べると本当に小さいな。
「感謝するぞ、鈴木」
「どういたしまして」
「本当はあのまま雨がやまなかったらどうしようと途方に暮れていたんだ。簪家の者として恥ずかしい格好はできないからな」
舗装されたコンクリートのあちこちに、まるで水玉模様を描くように水たまりが点在している。
傘の持ち手としては慎重にルートを選んでいかなくちゃならない。
でも佳乃と二人きりなんて滅多にないチャンスだ。もし月乃と仲直りしてくれれば、1組と2組の関係も良好になって、堂々となぎさと付き合えるかも知れない。
ただ、他人の家のことに首を突っ込むのは相手に失礼じゃないかという気持ちもある。誰にでも触れられたくないことはあるはずだ。
「鈴木」
「あっ、は、はい!」
やばい、ぼーっとしていた。
「水たまりに思いきり足を突っ込んでるぞ」
「え、うそ、うぎゃ足つめてぇー!!」
靴の裏からじわじわと水がしみこんでくる。
「くふふ、ぼさっとしているからだ」
ぎゃーぎゃー騒いでいると佳乃は口元にハンカチを当てて小さく肩を揺らしていた。こんな風に控えめに笑うのは珍しい。いつも月乃の前では豪快に、尊大な態度で高笑いするのに。
「委員長って実は結構女の子らしいところありますよね。そのハンカチも可愛いピンク色だし」
佳乃はどきっとしたようにハンカチをしまい込んだ。
「失礼な物言いだな。鈴木にはわたしが一体なにに見えたというのだ?」
顔が赤い。
目を合わせてくれない。
「委員長は委員長ですよ。おれたち1組を引っ張っていってくれるリーダーです。頼りになる存在です」
「都合がいい、の間違いだろう。何かあればわたしが解決してくれると思い込んでいる。──もっとも、そういう存在を演じたのはわたし自身だが」
肩が上下して、ふう、と大きく息を吐いた。
「傘の礼、という訳ではないが、皆が知らないことを教えよう。わたしと月乃は従姉妹じゃない。異母姉妹だ」
「異母姉妹!? じゃあ父親は同じ……」
「父の最初の妻は仕事でモスクワ滞在中に知り合った現地の女性で、その子供が月乃だ。だが父には既に
「月乃さんのお母さんは確か亡くなったんですよね」
「ご病気でな。わたしの母は念願叶って妻の座に返り咲いたのだ。いま月乃の面倒をみているのは叔母だが、勉強や稽古が厳しくてしょっちゅうサボっているそうだ。この前もカラオケに行っていたとかで。いい気なものだ」
嘆息しながらもちょっと羨ましそうにも見える。
「えーと、じゃあ、委員長が月乃さんを敵視しているのはその辺りの恨みが原因で?」
「ちがう。個人的な事情だ」
きっぱりと言い切ったものの、個人的な事情については口を割ろうとしない。
そこが分からないと解決のしようがないんだけどなぁ。
話しながらゆっくり歩いていたつもりだったけど、気がつくと駅へと続く跨線橋が見えてきた。屋根付きなので傘は必要ない。
つまり佳乃と話をできるタイムリミットが近づいてきたということだ。
まだ肝心なことは何も聞きだせていないというのに。
「ときに、鈴木に確認したいことがあるのだが」
油断していたおれは危うく傘を取り落としそうになった。
さっきまで俯いていた佳乃がまっすぐにこっちを見ている。半身をひねってのいつものシャフト角度ではなく、体の前で両手でカバンを下げた礼儀正しい姿勢だ。
「おまえたちはどういう関係なんだ?」
キターーーーーー!!
一番聞かれたくないこと聞かれちまった。
なんて言う?
なんて答える?
桜庭なぎささんとは清く正しいお付き合いをさせて頂いております、って言う?――いや、両親へのご挨拶かよ。
話していいのか?
大丈夫なのか?
だって簪家の事情を聞いただけで、二人の仲は相変わらずなんだぞ。
ダメだ。まだ言えない。
「ふたりは付き合っているのか? それとも」
「お、おおんおおおれと桜庭なぎさはただの友だちでしゅよ!!!」
必死になりすぎたせいで噛みまくった。
「――――は? なにを言っているんだ?」
予想に反して佳乃があからさまに不快感を示した。
眉根にしわを寄せ、腰に手を当てるいつものスタイルだ。
「わたしは月乃との関係を聞いているんだ。屋上から二人が出てくるところを目撃した者がいるのだが」
屋上から?――あ、もしかしてワンモアチャンスをお願いしたときか。
「あれは偶然ですよ。なんとなく屋上を見に行ったら月乃さんがお昼食べていて、少しだけ話をしたんです」
「話? なんの話だ」
おお、意外と食いついてくるな。
「えーと……あ、ほら、桜庭なぎさのことですよ。やたらとおれにアプローチしてくるから月乃さんがなにか企んでいるんじゃないかと探りを入れてみたんです。収穫はなかったですけど」
「そうか、なるほど。向こうの出方が気になるところだな。――鈴木は引き続き、桜庭なぎさの対応にあたれ。委員長である彼女を堕とせれば2組は崩壊必死、期待しているぞ。あと、ここまで傘をありがとう。また明日」
ポンポン、と背中をたたいて佳乃は跨線橋の入り口へと飛び込んだ。
水を得た魚のように階段を駆け上がっていく。どこか嬉しそうに。
待ってくれ。
このままじゃダメなんだ。
おれとなぎさが付き合うためには争ってほしくないんだ。
「――佳乃委員長!」
おれは思わず叫んでいた。
「なんだ」
階段の中ほどで立ち止まった佳乃は、呼び止めたものの言葉を探しあぐねているおれを気遣ってか、素早く階段を駆け下りてくる。
「どうした、言いたいことがあるのだろう」
例のごとく半身をひねって顔を覗き込んでくる。本人にとっては単なる癖なんだろうけど、ぎょろりとした目は心の中まで覗かれているみたいで怖い。
「……もし、なんですけど」
「うむ」
「もしも、桜庭なぎさがおれのことを本気で好きになってくれて、それで、おれも、本気で好きになってしまったら……そうしたら、どうすればいいんでしょうか」
こんなことを聞いてなにになるのだろう。
下手なことを言って感づかれるリスクしかないのに。
おれはなにを口走っているのだろう。
「鈴木。目を伏せてないでこっちを見ろ」
そう促され、どきどきしながら佳乃の目を見た。
黒々とした瞳はおれを映し出し、二度三度と瞬きする。
「鈴木。シェイクスピアのロミオとジュリエットの中に、わたしの好きな言葉がある。『憎らしい
ひらりと手を振って今度こそ行ってしまった。
『憎らしい
呆然としているとピロリン、とスマホが鳴った。なぎさからだ。
『さっき急いでて変な文章送ってた、ごめんなさい。疲れていると思うから気をつけて帰ってねって意味だったのに~』
なるほど。
×「きをつけて。きづかれてるかも」
〇「きをつけて。つかれているかも(しれないから)」
なんだ~良かった。
あやうく自爆するところだったわ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます