簪佳乃の雨宿り

 みっちり二時間練習して部活を終えた。


「うう、シャトル酔いしたかもしれん~」


 屈強なはずの部長はロッカーにもたれかかってぐったりしている。心配した他の部員たちが次々と声をかける。


「無理ないですよ、鈴木と五試合連続試合したんですからね」

「おれらならとっくにぶっ倒れてますよ、部長はそこそこ動けるから必死に追いかけたのが悪かったですね」

「あんなえげつない角度のヘアピン取りに行けねぇよ。……なぁ?」


 ちらちらとおれを見ている。暗に相手のレベルに合わせてやれよ、と言われている気がした。

 たしかに、膝を抱えて女子みたいにうずくまっている部長を見ていると、なんだか悪いことをした気がする。


「ばかもん!!」


 突如がばっと立ち上がった部長が他のメンバーの肩をぐっと掴んだ。


「オレの熱意に鈴木が本気で向き合ってくれたからこその疲労感だ。鈴木が悪いんじゃない、オレの精神が軟弱だったからだ。オレたちは全国を目指す、世の中には鈴木よりもさらに強い選手たちがいるんだぞ。それをおまえたちはウダウダウダウダ……なぁ! すずきぃいいい!」


「あ、はい!」


 いきなり怒鳴ったり叫んだり。

 突拍子もない言動はほんと江〇そっくりだ。


「鈴木、不甲斐ないところをみせてすまなかった。明日からもよろしく頼む!」


 深々と頭を下げてくる。年下のおれに対して、部長の威厳もなにもかなぐり捨てて大きな体を九の字に折り曲げている様を見ていると、「この人が部長で良かった」と思えてきた。


「はい、もちろんです。明日もよろしくお願いします」


「頼むぞ!……うぅ、吐き気が……」


「部長!? 大丈夫ですか部長!!??」


 トイレに駆け込んだ部長は、数分後、死にそうな顔で戻ってきた。

 その後、「だらしないでしゅねぇ」とポプラに叱責されながら迎えに来た高級車に乗って帰っていった。あとで知ったことだが本庄家は名家と呼ばれる一族で、青葉丘高校の理事長一族にも劣らないくらいの大金持ちだという。




「あーまだ雨降ってる」


 例の一件で制服はぐっしょり濡れているのでジャージが帰ることにしたおれだったが、雨はまだなお降り続いている。傘は教室に置きっぱなしだ。


「しかたねぇ、取りに行くか」


 部室から教室に戻るには屋根のある廊下を通ればいい。行きはわざと大回りしてなぎさと二人きりで外を歩いたが、もう着替えがないのであまり濡れたくない。


 静まり返った廊下を小走りで走り抜けた。


 緞帳のような空からザーザーと音を立てて降り注ぐ雨。

 窓ガラスを伝っていく雨だれが絶えることはない。憂うつだな。


「……ん?」


 教室へ向かう途中に正面玄関がある。そこに見覚えのある人物が立っていた。

 1組の委員長、簪佳乃だ。仁王立ちになってじっと外を……雨をにらんでいる。


「どうしたんですか、委員長」


 声をかけるとハッとしたようにこちらを向いた。


「――なんだ鈴木か。おどかすな」


 いつも強気な眼差しだけど、ほんの一瞬、幼子みたいに不安そうな色が宿っていたように見えた。気のせいかな。


「こんな時間まで部活か。ご苦労なことだな」


 ゆっくりと腕を組んでキリッと眉を吊り上げる。


「いえいえ、委員長はどうして?」

「生徒会の仕事でな」


 佳乃は柔道、剣道、弓道、薙刀など複数の部活に在籍している一方で、生徒会としての活動も精力的にこなしている。部活を掛け持ちするだけでも大変なのに生徒会まで、本当に頭が下がる。


「こんなところで何しているんです? あ、家の車を待っているんですか?」


「たわけ。後妻ごさいの娘に迎えなど寄こすはずがないだろう」


 ごさい?

 五歳、じゃないよな?


「……簡単に言うと、わたしは再婚した女の連れ子なのだ」


 おれがよっぽど不思議そうな顔をしていたせいか、佳乃がいつになく補足してくれた。いつもなら「未熟者。」とののしられるのに今日はやけに優しい。


「迎えは来ない。だが生憎と置き傘がない。制服を濡らしたくないので、こうして雨がやまないかと待っているのだ。人間相手ならば喝を飛ばして従えられるが、こと自然に対してはまったくの無力だ。なさけない」


「……そう、ですか」


 佳乃の周りにはいつもたくさんのクラスメイトたちがいる。スポーツ特待生である彼らの負担を軽減しようと、授業の内容を分かりやすくまとめたテキストや動画を用意したり、面倒な委員会活動を率先して行っていることをおれは知っている。

 それなのに、いまの佳乃は「傘を貸して」と頼める相手もなく(あるいは言い出せなくて)、暗闇の中ぽつんと一人ぼっちで雨をにらむしかないのだ。


 凛とした佇まいが、なぜかとても寂しげに見えた。


「委員長、良かったらおれの傘に入っていきます?」


「む?」


 一瞬、佳乃の目が輝いたのを見逃さなかった。


「わたしは別に頼んだわけじゃないぞ」


「分かってます、おれが勝手言い出したことですよ。傘は一本しかないので少し濡れるかもしれませんけど、なにもないよりはいいでしょう」


「ううむ」


 瞳が揺れている。

 迷っている。


「……鈴木がそこまで言うのならありがたく借りるとしよう。特別だぞ」


 まったくもって不遜な物言いだが、口角がいつもより上がっている。

 本当は嬉しいくせに。


「じゃあ決まりってことで。ちょっと待っててくださいね、教室に傘取りに行ってきますから」


「急がなくていいぞ。三十分もここにいるんだ、いまさら多少遅くなったところで問題ない」


 三十分も雨をにらんでいたのか。

 ある意味すごい。


 階段をたたっと駆け上がりながらなぎさにメッセージを送った。


『部活終わったから帰るよ。雨スゴイ。なりゆきで佳乃委員長と一緒に帰ることになった。傘ないんだって』


 大会を控えたなぎさはまだ部活のはずだ。

 あとで確認してもらえばいいと思っていたけど、すぐにピロリンと返信音が鳴った。


 よっぽど急いでいたのか短く一言。


 『きをつけて。きづかれてるかも』と打ってある。


 さらっと読み飛ばそうとしていたおれは思わず足を止めた。

 気づかれてる?――まさか、おれたちが交際していることを知っている?

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