ワンモアチャンス!
アウト。の言葉が脳内で反響した。
やってしまったぁー-っ!!
「どうしたの、ルナっち、なんて言ってた?」
状況が呑み込めない様子のなぎさにスマホを返しながら素早く上体を起こした。
できることならもっと長くじっくり膝枕を堪能したかったところだが、いまは。
「なぎさごめん! 急用! ちょー急ぎ!」
「え、なに、なん……」
「ごめん、ごめんっ、本当にごめん」
ぺこぺこと頭を下げながら非常口を押し開けて廊下へ戻る。
昼休みでにぎわう廊下を走り抜け、屋上につづく階段を一足飛びで駆け上がった。
「ルナっちさーんっ!!!」
フェンスにもたれていた月乃はおれの姿をみとめるなり「おや」と意外そうな表情を浮かべた。
「よくここにいるって分かったねぇ」
「屋上でおれたちの様子を見ていると言っていたので」
「ふむ、あそこからここまで2分もかかってないね。息もぜんぜん上がってないし、さっすがバド部のエース……」
感心する月乃をよそに、ぐいぐいと詰め寄った。
「ルナっちさん!」
ぎゅっと手を掴むとびっくりしたように目を見開く。
「昨日の今日でイチャイチャしちゃってすみません! もう一回チャンスをもらえませんか!?」
「チャンス?」
「はい。ワガママを承知で、お願いします! ワンモアチャンス!」
頭を下げて必死に頼み込んだ。
なんでここまで本気になるのか。
それは「約束」と「スポーツの試合」はどこか似ているからだ。一度はじめたら「なかった」ことにはできない。
これはおれと月乃との負けられない真剣勝負なのだ。
でもバドミントンなら3セット、野球ならスリーアウトまで猶予がある。だから挽回のチャンスが欲しいのだ。どうしても。
「……分かった、いいよ。」
おれの熱意が通じたのか、月乃がフゥと息を吐いた。
「ありがとうございます!!」
「だから……そろそろ、手、放してほしいんだけど」
「手?」
ハッと気づくと、おれは月乃の手をぎゅっと包み込んで、すぐ間近まで迫っていた。
「すみません!」
おれとしたことが夢中になるあまり、あり得ないくらい接近してしまった。
「きみって結構、大胆なんだね」
月乃は落ち着きなく髪の毛を払いのける。きれいな髪が風にふわっとなびいた。なぎさとは全然違うタイプだけど、本当に美人だよな。
「すみません。頭に血が上ると後先見えなくなっちゃって。試合ではそれで自滅しちゃうことも多いんですよ」
「そういうことじゃなくて」
青灰色の瞳は恥ずかしそうに細められ、心なしか頬も赤く染まっている。
なんだろう、この反応。
「……とりあえず、チャンスは三回。期間は最初の約束通り、来週末まで。これでいい?」
「ハイ! 申し分ないです!」
「言い忘れていたけど、この約束はわたしときみとの秘密だよ。もしなっちゃんにバレたら試合終了。いいね?」
「はい、ありがとーございますっ!」
深々と頭を下げ、再度気合いを入れ直してから屋上を飛び出した。
要はなぎさと必要以上のスキンシップをとらなければいいんだ。
普通に接している分にはなんの問題もない。……はずだ。
※
「鈴木涼太くん、ちょっといい?」
放課後、なぎさが教室にやってきた。
扉の向こうから半分だけ顔を覗かせているなぎさのなんと可愛いことよ。
「どうしたんだ、桜庭なぎささん」
人前で会うときはお互いにフルネーム呼びにしている。
「鈴木涼太くん」「桜庭なぎささん」と呼び合うのは違和感半端ないけど気を抜くと「涼ちゃん」「なぎさ」と呼びそうになるのでブレーキをかける意味もあるのだ。
「今日、部活だよね。部室棟まで一緒に行かない?」
なぎさが所属している水泳部の部室は校舎の東側にあり、屋内プールに併設されている。学校は水泳部の活動に注力しているため、部員も多ければ部室も広くてきれいだ。
一方、おれが所属しているバド部は北のはずれ、校舎から少し離れたところにある。実績を積まないとこうやって追いやられていくのだ。哀しいかな、実力主義。
「いいよ。途中まで一緒に行こう」
荷物をまとめて歩き出した。
バド部の部室までは走れば3分もかからない。でも、なぎさとともに一緒にいられる時間はたとえ1分でも1秒でも貴重だ。
「ねぇ、廊下じゃなくて外歩いて行こうよ。ちょっと遠回りだけど」
「え……でも外は」
窓ガラスには雨粒が張りついている。
土砂降りというほどではないが、普通に歩けば濡れるくらいの雨だ。
「だいじょうぶ、傘持ってるから」
そう言ってカバンの中からピンク色の折りたたみ傘を取り出す。
当然ながら一本だけだ。
相合傘!?
……だめだ! 必要以上のスキンシップじゃないか!!
「どうしたの、早くおいでよ」
なぎさは早くも傘を開いて外に出ている。今更戻ってこいとは言えない。でも月乃がいつどこで監視しているか分からない以上、相合傘は避けたい。
悩んだ末に――。
「カバン濡れちゃうよ?」
「レジ袋で包んであるからへーきへーき」
自分のカバンを大きめのレジ袋で包み、傘がわりに掲げて歩くことにした。雨脚もそれほど強くないのでどうにかしのげる。
「ごめんね、外歩きたいなんて言って」
「ぜーんぜん、シャワーだと思えば気持ちいいよ」
あたりは霧雨に包まれて、自分たち以外に歩いている生徒はいない。
校舎内を探せばいくらでも生徒たちがいるはずなのに、まるでふたりきりで世界に取り残されたよう。
いいや逆かな。雨に取り囲まれている。雨に閉じ込められている。雨の結界の中でおれたちだけが息をしている。そんなかんじ。
「昼間のこと、ルナっちから聞いたよ」
「え!?」
月乃自身が「言うな」と釘を刺したのに、どういうつもりだろう。
「昨日カラオケ店で会ったんだってね。落とし物拾ったから取りに来てもらったんだって言ってた」
なるほど、そうやって誤魔化したのか。
確かになぎさの立場からしたら疑問しか浮かばないよな。自分の友だちと彼氏、ほとんど話したことのない二人がいつの間にか接近しているんだから。うん、ナイスフォローだ月乃。
「そ、そうなんだよ。部室のカギ落として、ルナっちさんに拾ってもらったんだ。助かったー」
「ふふ、涼ちゃんそそっかしいんだね。透視能力がなんとかって大爆笑してたよ。あんなに大笑いしているルナっち久しぶりに見た。小学生のころにお母さんが亡くなってからは顔は笑っててもちょっと無理してるところがあったんだよね」
「へ……ぇ……」
意外、と言ったら失礼かもしれないけど、人にはそれぞれ見えない面があるんだな。
月乃も佳乃も表立って争っているけど、その裏には、おれたちの知らない過去や思いがあるのかもしれない。
「ね、涼ちゃん」
つん、と制服の裾をつままれる。
控えめながらも力のこもった指先のなんと可愛いことか。――て言ってる場合じゃない。
これはもしかして……。
案の定、ほんのり顔を染めたなぎさが傘を傾けながら視線を向けてくる。
長い睫毛を上下させながら熱のこもった目でおれを見つめる。
「傘、一緒に入らない? 濡れちゃうよ」
急に雨脚が強くなってきた。
傘の先からしたたり落ちた雨粒がなぎさの頬をするりと伝い、ぷっくりとした唇に沁み込んでいく。
────どきん。
胸が鳴った。
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