イチャイチャ禁止令

「涼ちゃん、あーんして❤」


 次の日の昼休み。いつものように非常口階段に腰かけてなぎさとご飯を食べた。

 なぎさは自分で焼いたという卵焼きをフォークで差し出してくる。ふっくらツヤツヤ、すぐにでもかぶりつきたいくらい美味しそうだ。


 でもダメだ。ダメなんだ。

 月乃と約束してしまったから。


「ごめんな、今日はちょっと……」


「あ、卵焼きの気分じゃない?――じゃあウインナーソーセージはどう? タコさんにしてみたんだよ。はい、あーん」


 こんがり焼けた美味そうなソーセージだ。目にはトマトケチャップで「^へ^」の表情が描かれてる。小さいのに器用だなオイ。


「ごめん! ウインナーもちょっと」


 誘惑に耐えながらやっとの思いで断った。


「……そっ、か」


 いかにも残念そうにフォークを引き、ぱくっとウインナーを頬張った。


「美味しいんだけどなぁ。……でも涼ちゃんがかぶりつきたくなるような、もっと美味しいご飯作ってくるからね」


 おれの様子が変なことには気づいているだろうに、なぎさはどこまでも真っすぐだ。雨雲の隙間から差し込む太陽みたいに。


 だめだ、黙っているなんてできない。

 正直に話そう。


 おれは自分の弁当を早々に片付けてなぎさに向き合った。


「聞いてくれ。実は――」




 ――――昨日。


「イチャイチャ禁止令?」


 月乃からの提案は驚くべきものだった。


「そ。今まで通りなっちゃんに会ってもいいし話もしていい。でもイチャイチャしちゃダメ。もしクリアできたらきみたちのことを全力でフォローすると約束するよ」


 月乃がおれたちの交際をバックアップしてくれる。こんなに有り難いことはない。

 担当の尾崎先生も理事長の孫娘相手なら強く言えないだろう。


「分かりました。やります!」


 この時深く考えなかったことを、あとあと悔やむことになる。


「じゃあ契約成立ね。期間は約二週間。来週末に開催される水泳の記録会になっちゃんも参加することになっているの。あの子が水泳に集中できるようにイチャイチャはお預け」


「はい。了解です。――あ、ちなみにイチャイチャって具体的にはどういうことですか?」


って言えば思い当たることあるでしょう?」


 おれの脳内に浮かんだ

 それは――。




「どうしたの? 急に黙り込んじゃって」


 喉元まで出てきた言葉を吞み込んだおれを、不思議そうに見つめてくるなぎさ。

 まさかイチャイチャ禁止令発令中とは想像もしていないだろう。


「なんでもないよ、ごめん」


「さっきから謝ってばっかり。変なの」


 くすくすと楽しそうに笑っている。


 なぎさと月乃は友人同士だ。もし月乃がこんな条件を出したと知ったら二人はどうなってしまうんだろう。この笑顔が曇ってしまうんじゃないか。


 勢いだけで話すべきじゃない。

 もっと慎重に、言葉を選んで。


「ねぇ……、涼ちゃん」


 弁当箱をそっと端に置き、ゆっくりと身を乗り出してきた。


 まずい。

 瞳がキラッキラしている。眩しい。


 太ももの上にあったおれの手に自分の手を重ね、甘い吐息を吹きかけながら唇を寄せてくる。


「キス――したいな、……だめ?」


「うぐぐぐ……!」


 しまった。イチャイチャの最たるスキンシップ「おねだりキス」だ。


 おねだりモードのなぎさは破壊力抜群。

 心臓がバクバクしてすぎてドカンと破裂するんじゃないかというくらいだ。


 くそう、なんでこんなに可愛いんだ!

 なんでおれは成り行きとは言えイチャイチャ禁止令を受けてしまったんだ!


 だっておれがイチャイチャ禁止期間を乗り切ったら月乃は味方になってくれると言ったんだ。仕方ないじゃないか~(涙)


 すぐ目の前になぎさの唇が迫っている。

 でもダメだ。


 おれは清水の舞台から飛び降りるくらいの気持ちで手を跳ねのけた。


「すすすすまん、いまそういう気分じゃないんだ」


 震えすぎて言葉がつっかえてしまった。


「そっか、ごめんね」


 さすがのなぎさもショックを受けたらしく、しゅん、と項垂れている。


 あああやってしまったー。もっとスマートな断り方があるだろ。


 スマートってどんなだ?

 たとえば「いまのり弁食ったばっかりだから歯に海苔ついてるんだ、ごめん」とか「最近ちょっと口臭が気になってて」とか。


 いやだからどこがスマートなんだぁー!!!


「涼ちゃん、だいじょうぶ? 死人みたいな顔しているけど」


「ナントカイキテマス」


 脳内で騒ぎすぎてすっかり疲弊してしまった。

 白目を剥いてぐったりしているとなぎさが優しく肩を撫でてくれる。


「良かったら、くる?」


 頬をほんのり赤くしながら、ぽんぽんと膝の上をなでる。


 想像できるだろうか。

 競泳で鍛えて適度に引き締まったむちっとした太ももと、ピンと伸びたスカートの襞。内側から伸びる眩しい二の足ときゅっと締まった足首。

 そんな至高の特等席に、いま、おれは、誘われているのだ。


 いかん。


「お、おれ、昨日タンスの角に耳たぶぶつけて」


「そんなの全然いいよ。きて、涼ちゃん」


 断ることもできず、誘われるまま膝の上に頭を下ろした。


 うわぁ、あったかい。めっちゃあったかい。しかも良い匂い。天国かここは。

 もうこのまま死んでもいい。


「ふふ。寝心地はどうですか、ご主人様?」


 いたずらっぽく微笑むなぎさの顔は、言うまでもなく二つの山の向こうにある。

 あーダメだ。まともに顔見られない。見たら死ぬ。マジで死ぬ。

 でもこのまま昇天できるのなら本望かもしれない。




 ――プルルルル。




 無粋なまでの着信音が鳴り響いた。なぎさのスマホだ。


「はい、なぎさです。――え? どうしたの? あ、うん、分かった替わるね……。鈴木くん、電話だよ」


 なぎさは戸惑いの表情を浮かべながらおれの耳元にスマホを押し当てた。

 だれだろう。なぎさが替わってもいいと思った相手ってことだよな。


「はい、もしも……」


『鈴木涼太、アウト―!』


 電話の向こうから聞こえた声。

 簪月乃だ。

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