演技じゃないよ

「どういうことかな、瞳ちゃん」

「姐さん目がマジ……!」


 桜庭がじりじりと迫るほどに矢島もじりじりと後ずさる。その後ろにはおれがいるにも関わらず、だ。一人用の狭いソファーに男一人、女二人が座ると当然密着することになる。

 矢島のツインテールが背中がぎゅっと押し付けられ、桜庭の怖いくらいの笑顔が迫ってくる。修羅場だ。


「姐さん……姐さんはどうして鈴木を選んだっすか!?」


 桜庭の気迫に押される一方だった矢島が必死な声を上げた。

 不意をつかれた桜庭はきょとんと目を丸くする。今度は矢島が迫る番だ。


「そうっすよ、1組の内情を知るためにわざわざデートなんかする必要ないっす。しかも相手は鈴木。スポーツ特待生だからバドミントンは上手いっすけどクラスの中じゃ目立たないモブじゃないっすか。姐さんには釣り合わな……」


「違う。釣り合うとか釣り合わないとかじゃない」


 桜庭の声は驚くほど静かだった。キャンキャン騒いでいた矢島が黙りこくってしまうほどの、穏やかで、真剣な声。


 自分の胸にそっと手を当て、桜庭は凛とした声で告げた。


「私が鈴木くんとデートしたいと思ったの。私自身の心が決めたの」


 ともすればおれたちの関係を暴露しているような発言だけど、なんでかな、1組と2組の対立なんてどうでもいいやと思ってしまう自分がいる。


「――おれもだよ。おれも桜庭とのデートすごく楽しい!」


 心の声が自然と言葉になった。

 桜庭はハッとしたように目を見開いて、それから、瞳を潤ませる。ありがと、と唇が動いた。


 あぁ、おれも桜庭のことが好きなんだ。

 こんなにも。


「…………そういうことっすか」


 矢島はこらえきれないように顔を覆う。

 もう完全にバレたな、と諦めの気持ちで様子を伺っていると、突然、顎の下を頭突きされた。


「ぐえっ!」


 すさまじい衝撃に気を失いそうになっている隙に、矢島は桜庭の腕を引っ張って距離をとる。なぜか満面の笑顔だ。

 何事かコソコソと耳打ちされた桜庭は「えぇ?」と戸惑ったような表情。矢島はさらに何事か呟くと手を振って走り去ってしまった。スキップしながらフードコート内に消えていく。


 なんだか嵐みたいな奴だ。


「涼ちゃん、顎だいじょうぶ?」


 やわらかな手で矢島に強打された顎のあたりをさすってくれる。ピンク色のきれいな爪の形だ。あんまり触れられていると変な気分になる。


「もう平気だよ。矢島はなんだって?」


 やさしく避けると桜庭はちょっぴり残念そうに頬を膨らませた。


「それが……『作戦は大成功っすね。鈴木はすっかり姐さんにぞっこんっすよ』だって。私が涼ちゃんを好きなをしていると本気で信じているみたい。悪い子じゃないんだけど猪突猛進っていうか、一度”こう”と思いこむと他人の話を聞かないところがあるんだよね。ごめんなさい」


 頭を下げようとするので慌てて制した。


「大丈夫だよ、気にすんな」


「ありがとう。あとでちゃんと注意しておくから」


 矢島は桜庭のことが好きすぎる、ちょっぴりおバカな子なのかな。


 でも考えればおれだって同じかもしれない。

 入学式前たった一度会っただけの桜庭に告白されて、まだ正式な恋人でもないのにこうしてデートしているんだから。


「――桜庭はどうなんだ?」


「なにが?」


「演技……なのか? おれに告白した理由は分からないけど、なにか目的があるとかで……」


 自分で言いながら後悔した。

 最初は驚き、そして戸惑い、そして悲しみ……。桜庭の表情がどんどん曇っていく。


 しまった。

 一瞬でも疑った。


「――涼ちゃん、目、とじて」


「な、なんだよいきなり」


「いいから」


 強い口調で命じられ、言われるまま目を閉じた。内心ドキドキしている。怒りのビンタとかされるんじゃないだろうか。


 しずかだ。

 いつまで目を閉じていればいいんだろう。


 もしかして帰っちゃったのか?

 おれがひどいこと言ったから。


 どうしよう――。


「涼ちゃん」


 桜庭のにおいが一気に強くなる。

 おれはきつく抱きしめられていた。


「桜庭!? どうしたんだよいきなり!」


 周りの客たちがじろじろ見ている。

 ものすごく恥ずかしい。でも桜庭はやめない。


「私、演技なんかで男の人に抱きついたりしない。涼ちゃんが相手だからだよ。もし疑うのなら、信じてくれるまでぎゅっとしてるから」


 切実な声で囁き、なおも力を込めてくる。

 競技中は自由自在に水を操るその腕で、おれの心と身体をしっかり捕らえている。

 痛いくらいに。

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