矢島瞳の襲撃

 学校や部活のことを話していたらあっという間に食べ終えてしまった。


 正午過ぎになってフードコートは人で賑わってくる。小さな子どもを連れた母親が困ったような顔で空席を探しているのが目に入り、桜庭を促してさりげなく立ち上がった。


「そろそろ行くか。トレイはおれが片付けてくるよ」


 親子連れの姿を確認した桜庭も大きく頷いて立ち上がる。


「ありがとう。私ちょっとお手洗いってくるね。時間かかると思うから近くのお店見てて」


 ショルダーバッグの中身を確認しながらお手洗いの方へと駆けていく。


 時間がかかる? なんでだろう。ま、いっか。


 返却口に二人分のトレイを返してから改めて周囲をみまわした。

 すっかり忘れていたけど月乃や佳乃はどうしただろう。監視するというからには近くにいるんだろうけど、絶えず人が行き交っている。ここからあいつらを見つけ出すのは困難だ。


 とりあえず近くのスポーツ用品店でも見に行こうと歩き出した矢先――――横から伸びてきた手にぐっと腕を掴まれた。





「ちょっ! なんだよ矢島!」


 胸倉を掴まれたまま近くのアパレルショップに連行される。狭いスペースにぎっしりと服が並んでいるので周囲からは死角になる。

 容赦ない力で柱に体を押し付けられた。抗議しようと口を開くよりも早くバンッ!と壁に手を押しつけられる。


「……ざけんなっす」


 近い。

 矢島瞳の眼は怒りに満ちている。

 やばいな、この凶悪な存在が頭から抜けていた。


「さっきから見てればイチャイチャイチャイチャ……なんなんすか!」


「べつにイチャイチャしてないけど」


「じゃあなんで目をそらすっすか」


「おまえが睨んで怖いからだよ」


 とは言ったものの後ろめたさは拭えない。

 傍から見れば十分イチャイチャしていたと思う。周りの目を気にせず好きなことを話せる時間はめちゃくちゃ楽しかった。

 

「たこ焼きやポテトを食べさせあう男女の姿のどこがイチャイチャじゃないんすか? こっちはもう腹が立って腹が立って……空腹で死にそうっす」


 絶妙のタイミングでぐぅーと腹が鳴った。

 言うまでもなく矢島の腹だ。


「もしかして何も食べずにおれたちを見張っていたわけ? 月乃さんは?」


「ルナっちはお気に入りのお店の新商品が気になるからってひとりで買い物しているっす。『この調子なら大丈夫そう』だとかなんとか言って。でもあたしは物欲なんかに負けない。もし鈴木が姐さんによからぬことをするようなら後ろからバックドロップ決めてやろうと思って望遠鏡でガン見してたっす!……なのに」


 しゅん、としおれた花みたいに項垂れてしまう。


「姐さん……めちゃくちゃ楽しそうにたこ焼きやポテトを食べさせてて、いいなあって、あたしだって姐さんの指から食べさせてほしいのに、なんで水道水がぶ飲みしながらイチャコラを見せられているんだ……あたしは一体なにをしているんだって……」


 ぐずっと鼻をすすった。

 月乃が離脱する中、空腹をこらえながらたったひとりでおれたちを見張っていたのか。

 好きで頼んだわけじゃないけど、なんだか申し訳ないことをした気がする。


 なにか食べるものがないかとポケットを探るとマックのポテト割引券が出てきた。


「お詫びじゃないけどポテト食べるか? おごるぜ」


「はぁ!? なんで鈴木んなんかにぐぅううううう~~はぅ!」


 腹の方が正直だ。


 早速割引券を使ってポテトを一袋買って来てやった。

 フードコート内には空席がなかったので少し離れたソファーに促す。桜庭はまだ戻ってこない。


「ここのソファーなら飲食OKだから。ポテトだけで悪いけど」


「べ、べつに頼んだわけじゃないっす、鈴木なんかに借りを作るつもりなんて」


「いらないならおれが食うけど」


「いるっす!」


 両手でポテトの袋を引き寄せると、目をキラキラさせながら齧りついた。


「んま~❤」


 いままで見たことないくらい幸せそうな顔をしている。

 ここまで空腹を我慢して桜庭のことを心配していたのか。逆にすごいな。


「なぁ聞いてもいいか? 矢島はどうして桜庭のことを気にかけるんだ? 友だちだから?」


「はぁ!? なんでそんなこと言わなきゃいけないんすか! 姐さんとは同じ中学で、いじめられっ子だったあたしを助けてくれた大恩人だなんて教えてやらないっす!」


 言ってる、全部言ってる。

 あと口の周りに塩ついてる。


「桜庭って中学生のころどんな感じだったんだ? 中学生記録を出したことは知っているけど、どんな中学生だったのか知らないんだ。訊いてもあんまり教えてくれなくて」


「訊く?……いつ訊いたんすか? ここに来てすぐプリクラに入って、その後は死んでたじゃないっすか」


 しまった。

 昼休みに二人きりで会って話しているのはも内緒だった。


「プリクラ撮っている間にちょっと話したんだよ。随分手慣れているみたいだったから」


「ふぅーん。そっすか」


 あぶない。なんとか誤魔化せたみたいだ。


「姐さんは全然変わらないっすよ。美人でスタイルが良くて優しくて……。でも」


「でも?」


「あんまり笑わなかったっすね。いや、表情は笑っているんだけど心の中では笑ってない感じで。鈴木と話していた時みたいな笑顔はあたしも初めて見たっす。正直、うらやましい」


 あぁ、矢島こいつはずっと桜庭を見ていたんだな。

 友だちとして近くで、時には今日みたいに遠くで、ずっと桜庭を見守っていたんだ。


「なんすか」


 気がつくと頭を撫でていた。


「いや、いいヤツだなと思って」


「バカにしてるっすか」


「違う。尊敬しているし感謝しているんだよ。桜庭のことを見守ってくれていてありがとうって」


「はぁ~? にこにこしちゃって気色悪っ」


 撫でる手を振りほどいた矢島だったけど立ち去るでもなく大人しくポテトを食べている。

 ほんのちょっとだけ和解できた気がする。1組と2組のいざこざがなければ矢島ともいい友だちになれるかもしれない。


「――あれ、そういえば遅いな桜庭。いつまでお手洗いに行ってるんだろう」


「はぁ? 女がトイレで長居するのはお喋りか身だしなみを整えるために決まってるっす」


「え、あれ以上可愛くなったら困るんだけど!」


「あ゛?」


 矢島の目つきが急に鋭くなった。空になったポテトの袋をぐしゃっと握りつぶしたかと思うと、ソファーの上をにじり寄ってくる。近い近い近い近い。


「鈴木、まさか姐さんに惚れやがったのか……? 違うよなぁ、おまえなんかが姐さんに釣り合うと思ってんのか、あー?」


 口調まで変わってる。

 じりじりとにじり寄ってきて怖い。


「おい、聞いてんのか」


 おれの太ももに手がかかった。

 まずい、られる――――。



「なにしてるのかな?」


 びっくりするくらい穏やかな声が割り込んできた。

 桜庭だ。後ろ手を組んでにこにこ顔で覗き込んでくる。心なしか顔が引きつっている気がする。


「ね、姐さ……」

「瞳ちゃん、約束したよね。鈴木くんに手を出さないって。これは1組の内情を探るためのだから邪魔したらいけないよって、約束したよね? ん?」

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