二人の馴れ初め
おれと桜庭なぎさが初めて出会ったのは入学式の少し前。
高校の制服をとりに行った帰り道だ。
「うわぁ! 川すげぇー!」
通学路に面して流れている「昼寝川」はその名前のとおり、普段は水の流れも穏やかで水深もくるぶしにやっと届くくらいの浅さだ。
でも数日前からの降り続いた雨でいつにも増して流れが激しくなっていた。
真新しい制服が入ったおしゃれな紙袋をカゴに突っ込んで土手の上の舗装路をチャリで走っていると、上流から茶色く濁った水に木材や鉄骨が押し流されていくのが見えた。普段の穏やかさがまるで嘘みたいで「こわいこわい」と身震いしてしまった。
「……ん?」
そんな濁流だったから河川敷に白いフレームの自転車が見えたときには「まさか」と思った。こんな日に川に近づくバカがいるのかって。
それでもなんとなく気になって隣にチャリを停めた。
自転車の前かごには青葉丘の名前が記された紙袋が入っている。おれと同じ新入生らしいが持ち主の姿は見当たらない。
まさか溺れていたりしないよな。
濡れて滑りやすくなっていた草に気をつけながらゆっくりと土手を降りた。
パッと見、人影はない。当然だ。昨日の夜から防災無線でしつこく川に近づくなと警告していたんだ。たとえ増水した川を見物に来たとしても、いままで見たことないくらい獰猛な顔でごうごうと流れていく川に近づこうなんて思うもんか。
おっかなびっくり周囲を探したけどやはり誰もいない。
もしかしてただの放置自転車かな?
でも新品の制服を入れたままにするか? 私立高校だから制服一式でも結構な値段になるぞ。
もしかしたら近くの家に用事があってほんの少しの間だけ停めてあるのかもしれない。でもそれなら紙袋も持って行くよな……。
うーん。
気持ちが行ったり来たりしながらぶらぶらと歩き回った。
あと五分見て誰もいなかったら帰ろうと思っていた。
――そのときだ。
下流の草むらから人影が立ちあがるのが見えた。
いかねば!
自分でも無意識のうちに走り出していた。
興味本位で川を見ているとは思えず、なんだか様子がおかしかったからだ。
この濁流のせいでおれの声や気配に気づかなかったらしく、すぐ間近まで行ったところでようやく振り向いた。
あっ、と心の中で叫んだ。
女の子だ。
控えめにいって、ものすごい美少女。不謹慎ながら一瞬見惚れてしまったくらいだ。
「どうしました? 何かあったんですか?」
「っ……!」
女の子は大きく一歩後退した。おれから距離をとったのだ。大きな目は不安そうに瞬きを繰り返し、元々白いであろう肌は青ざめている。
なにかに怯えている?
川に?
それともおれに?
ぎゅっと身を縮める彼女だけど震えながらも必死に立っている。
ショートボブの黒髪は水しぶきを浴びたのか少し湿っていて、顎や頬にも黒い泥が跳ねて顔の白さを浮き立たせている。服も白いパーカーやピンクのスウェットもすっかりずぶ濡れだ。
なにか、のっぴきならない事情があるに違いない。
おれはもう一度問いかけることにた。彼女を警戒させないよう距離をとり、できるだけ優しい声で。
「どうしたんだ? 何か困っているのなら協力するよ。もしイヤならすぐに帰るから」
少女は無言だ。
関わらない方がいいのかもしれない。
「分かった。怖がらせてごめん、気をつけてな」
くるりと踵を返した瞬間、かすれた声が聞こえた。
「ね……猫が」
「ネコ?」
「うん……。あそこにいるの。ずっと鳴いてて、助けようとしたけど」
指差したのは三十メートルくらい離れた中州だ。
ふだんは葦が生い茂っている砂地はそのほとんどが泥水に吞まれている。いくつかある岩のうち一番大きな岩の上に子猫がうずくまっていた。急に水量が多くなったせいで逃げ遅れたんだろう。耳をすましても周りの騒音のせいでまったく声は聞こえない。
「君の家の猫?」
「違うけど、鳴き声が聞こえたから放っておけなくて」
「へぇー耳いいんだな」
彼女の足元には木の棒がいくつか転がっている。必死に助けようとしたんだな。
どうしよう。
普段ならなんてことのない距離だけど、うねる流れのせいで遠くに見える。
格好良く助けてやりたいところだけどムリなものなムリ。
「やめたほうがいいって。警察……消防? なんでもいい、とにかく大人を呼ばないと」
「でも私スマホも携帯も持ってなくて、高校生までは禁止って」
「おれもだけど……。そうだ! 近くに知り合いの家があるから助けを呼んでくる。とにかく君は土手をあがって待ってて、ここにも水が来るかもしれないから」
必死に説得すると「ぅん……」と小さく頷く。理解はしているが納得しかねる、という
「大丈夫だって! プロの人たちがきっと助けてくれる。絶対! いまおれたちにできるのは安全なところに避難して猫が取り残されていることを大人に伝えることだ。……それと」
さっとティッシュを差し出した。
いつもなら持ってないティッシュがこの日はなぜかポケットに入ってたのだ。
「君がすごく頑張ったのは分かるけど、せっかくのきれいな顔が台無しだぞ」
「……あり、がと」
彼女は照れくさそうにティッシュで顔を拭く。
「どういたしまして。行こうぜ、歩けるか?」
伸ばした手に彼女の手が重なってくる。冷たい手をつかんで土手を上がり始めた。けど心配そうに何度を後ろをふり返っている。
すると。
「――あっ! すべり落ちちゃう!」
おれの腕を振り払っていま来た土手を全速力で駆け下りていく。
あぶない!!
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