桜庭なぎさはおれの心をもてあそぶ

せりざわ。

桜庭なぎさ編

2組のクールビューティー

「次の体育バドミントンだって~」

「だる~。寝てたい」


 おれたちが廊下に出たタイミングで、運悪く、隣り合った2組から数人の女子生徒が出てきた。ジャージ姿で気だるそうに生あくびしていた女子はおれたちの姿を見るなりスイッチが入ったように目を吊り上げる。


「1組のヤローどもじゃん」

「さいあくー。目あっちゃったしー」


 条件反射のようにぽんぽんと悪口が出てくる。目には目を。一組の男子数人もすかさず「見てんじゃねぇよ2組の女子どもが」とガンを飛ばした。


 階段を隔てて隣り合う1組と2組はすこぶる仲が悪い。


 なぜかというと、それが「伝統」だからだ。


 おれたちが在籍している私立・青葉丘あおばおか高等学校は県内有数の進学校でありながら数十年前からスポーツにも力を入れており、将来有望な中学生を特待生として入学させている。


 大会で勝ち進めば必然的に授業を休むことになる。残された生徒たちは一向に授業が進まなくなるのでスポーツ特待生は慣習として1組と2組に振り分けられることになっているのだ。男女比率も1組は男子が多く、女子は2組に偏っている。


 本気でスポーツをやっていれば競争心が高いのは当たり前で、1組と2組は必然的に互いをライバル視するようになった。


 ただ「正々堂々」のスポーツ精神が染みこんでいるので顔を合わせれば互いに威圧しあうだけで、嫌がらせや暴力など直接的な争いはない。伝統芸としてけん制しあうだけだったのだが――今年はあるがあって状況がちがう。


「ちょっと1組ぃ、いつまでウチらのジャージ姿見てる気? キモいんだけど」

「だれが。そっちが廊下ふさいでいるから通れねぇんだよ」

「はぁ? そっちがどきなさいよ」

「意味わかんねぇ、邪魔してるのはそっちだろ」


 いがみ合う生徒たちの間に一人の影が割り込んできた。


「そこ、なにを揉めているの」


 凛、とした声にだれもが言葉を失って振り向く。まっすぐこちらに向かってくるのは1年2組の学級委員長だ。黒髪のショートボブで、涙袋のあるくりっとした大きな瞳と長い手足のスタイルの良さはそこらのアイドルにも決して劣らない。美少女といって間違いない類いだ。


 彼女がいるだけで一瞬にして空気が変わり、だれもが口を閉ざして見惚れてしまう。2組のクールビューティー、2組の紅い薔薇、2組の戦乙女などの異称で呼ばれている。


 名は、桜庭さくらばなぎさ。競泳のスポーツ特待生だ。


「2組のかわいこちゃんたち、怒るときれいな顔が台無しだよ~」


 桜庭につづいて現れたのは日本人離れした顔立ちのこちらも美少女だ。


「ルナっち!」

「ごめんなさーい」


 かんざし 月乃。身長173センチ。ロシア系の血を引き、ミルクティーを思わせる茶色い髪と青灰色の瞳、左目下の泣きほくろが特徴だ。高校一年生ながらに八頭身の美人で手足はびっくりするぐらい長い。『ルナ』という名前でモデル活動をしているため「ルナっち」と呼ばれている。


 見た目もさることながら、青葉丘高校理事長の孫娘という由緒正しい家柄でもある。


 2組はこの二人、委員長の桜庭、副委員長の月乃が取り仕切っている構図だ。


「うんうん、今日もみんな可愛いね~」


 昂っていた女子たちを一列に並ばせ、萌え袖で小動物のように撫でている。見た目や立場だけでなく、のんびりした口調ながらも自然と人を惹きつけるのが彼女の特徴だ。


「さて、こんな可愛い子たちをいじめるのはどこのだれかなぁ?」


 つま先でくるっとターンしてこちらに向き直る。青い瞳に見つめられると思わずたじろいでしまう。それほどの眼光だ。


「あ、1組の皆さんこんにちわー。わたしたちこれから体育館に移動するんだけど、邪魔だからどいてくれないかなぁ?──なんなら這いつくばってひれ伏してもいいけどぉ」


 ただし性格は悪い。

 意地悪レベルが1~10まであるとしたら7.75くらいのちょい悪。


「失礼な! 道を開けるのはそちらの方だ!」


 1組の生徒をかき分けて登場したのは簪 佳乃よしの――名前のとおり月乃の従姉いとこだ。


 身長は140センチ台。小さいなりに顔は小さく手足も長い。腰まで届く黒髪と眉の上でぱっつんに切りそろえた前髪が特徴だ。狂暴なチワワを思わせる血気盛んな性格だ。


「あ、カノちゃんだ。今日もミニサイズだねぇ~」

「ちっちゃいって言うなぁ! 多様性の時代だぞ多様性の!!」


 今年のっていうのがコレ。

 ともに理事長の孫でありながら絶望的に仲の悪い従姉妹同士が1組と2組の対立をさらにあおっているってわけ。


「カノちゃんマジでそろそろどいてよ。こっちも忙しいんだ~」

「お・こ・と・わ・り・だ」


 にらみあい、膠着状態の2クラス。

 ふぅ、と息を吐いた月乃が髪の毛を払いのける。


「じゃあアレで決めよっか」

「いいでしょう! 受けて立つ!」


「じゃんけんでね」

「じゃんけんでな」


 おおっと沸き立つ廊下。

 もっとも平和的で意外と熱い「じゃんけん」だ。


「というワケで、なっちゃんお願いね~」


 桜庭なぎさは頷くかわりにさっと髪の毛を払いのけた。


「言っておくけど、私、負けたことないから」


 ずるいよなぁ。一挙手一投足がサマになるんだから。

 道行く人が二度見してしまう美貌と愛嬌の良さで男子・女子問わず人気が高い。1組の中にも隠れファンがいるという噂だ。


「ならばこちらは……」


 佳乃が首を巡らせる直前1組の全員が視線を逸らした。

 さすが、素晴らしい反射神経だ。


 解説しよう。

 スポーツ特待生として入学し、誰よりも勝負にこだわるクラスメートたちは「くだらない勝負に負けて屈辱を味わいたくない」「運気を逃したくない」のだ。仮に負ければ2組にイヤミを言われてプライドを刺激されることにもなる。

 できるだけ関わりたくないのは当然のこと。


「……と、おお、やってくれるか」


 やばい。目が合っちまった。


「おまえは確か、えーと、そう、鈴木。鈴木だったな。この大役を任せる! 光栄に思うがいい!」


 同級生なのに名前すら曖昧だったのかよ。


「あ、おれちょっと急に腹痛が……」


 慌てて回れ右しようとするも佳乃の親衛隊たちに肘を掴まれ、強制的に前へ押し出されてしまう。


 もう逃げようがない。


 仕方ない。

 おれ――鈴木涼太はなるべく平静を装って前に出た。


「おっそい」


 腕組みして待ちかまえていた桜庭は猫背気味のおれを上から下まで舐め回すように確認してからフッと鼻を鳴らした。


「よわそう~。言っておくけど私、じゃんけんでも負けたことないかりゃ」


 びしっと指先を突きつけられて「はいはい」と応じておく。噛んでるし。


 ある意味ではこっちも心臓ばくばくなんだけど試合仕込みの強心臓でなんでもないふうを装う。それが余計に桜庭の闘争心に火をつけたらしい。


「随時と余裕じゃないの。いいわ、もし私に勝ったらデートしてあげる」


「でぇと!?」


 なんでじゃんけん勝負がデートになるんだ。


「光栄に思いなさいよ。この桜庭なぎさとデートした男なんていないんだから!」


 相当自信があるようだ。たかがじゃんけんなのに。


「じゃあもしおれが負けたら? とんでもない条件出すんじゃないだろうな」


「ふふん、可哀想だから2組の全員にジュースおごるとかでいいわよ。さ、始めましょう」


 2組全員って30人×110円で3300円……ぐっ、懐が痛い。



「じゃあいくわよ」



「わかったよ、正々堂々と――」



「「せーの、最初はグー!!」」



「「じゃーんけん!」」



 こんな感じで1組と2組は仲が悪い。顔を合わせれば諍いが起きる。



「「ぽん!」」



 だからこれは誰にも秘密なんだけど、




 おれと――


 桜庭こいつは――――















 付き合っている。


 一月前ここに入学したときから。

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