海の光
ふたりは電車に乗り込むと、四十分ほど揺られて海沿いの小さな駅で下車した。駅舎も駅員もいない、降りる人も秀哉とミズキだけ。
秀哉は迷うことなく駅の階段を下り、そのまま浜辺へ足を踏み込んだ。
日は沈みかけ、空はオレンジと紫色がせめぎあって美しい色に染まっている。海は空の色を映し、打ち寄せる波の音は耳に心地よい。
砂の上、ふたり並んで腰かけて徐々に紫がちになっていく空と穏やかな海を眺めていた。
「本当に海が光るの?」
「見ていれば分かる」
海が光る瞬間を逃すまいと、ミズキはまばたきも最小限に海を見つめ続けた。
やがて日の光が消え、辺りはすっかり夜の雰囲気を抱き始めた。七月半ば、まだ海開き前の海には人影はない。海風にそよぐふたりの髪と波以外に動くものはなかった。
月が輝きを増し漆黒の闇に包まれる。おかしい、と気がついたミズキは視線を海から外して秀哉を見る。秀哉は足元にまで迫る大波やはるか手前で返っていく小波をうつろな目で見送っていた。
「秀哉、光らないけど?」
しばらく黙っていた秀哉は、疑惑の目を向けるミズキを見ることはなく、口をほぼ動かさずに言葉を発した。
「ごめん、嘘」
絶句したミズキの脳内に、秀哉の言葉をなぞる少年の声音が響いた。聞き覚えのある、秀哉がまだ小学生だった頃のこと。記憶を手繰り寄せ、あのホタルの光を見ることが叶わなかった日まで遡る。
「ホタルの光より、もっとすごいものを見せてやるよ」
小学生の頃の秀哉が、肩を落としているミズキに向かって放った言葉。ミズキが顔を上げると、自信に満ちあふれた秀哉の顔があり、ミズキは期待を込めて大きく頷いた。
秀哉が連れてきたのは、近所の小高い丘の上にある公園だった。夕暮れ間近ともあって子供達は帰路につき、人の姿はない。公園の奥にある柵まで行くと、そこから町並みや海を一望できる。
「昨日、ここから空を見ていたら突然明るく光ったんだ。目も開けられないくらいまぶしかった。もしかしたら今日も見えるかもしれない」
根拠はなかったはずだが興奮気味の秀哉に押され、ふたりで地面に横たわって空を見つめた。
待てども待てども空が光ることはなく、夜を迎えた公園に焦りと安堵とがいりまじった表情の親が駆け込んでくるまで、ふたりは空を見上げてた。
帰り際に秀哉が言い放ったのが、「ごめん、嘘」という言葉だったことを思い出した。
「嘘って酷い。私のことだまして面白がって!」
光ることのない海をただただ見つめるという滑稽な姿を見せびらかしてしまったミズキは、恥ずかしさといらだちとで秀哉の腕を軽く何度か叩いた。秀哉はミズキに叩かれるまま、笑いながら謝ってくる。
「何でそんな嘘つくの?」
「だからごめんって!」
最後の最後まで秀哉に小馬鹿にされたと、不服そうに頬を膨らまして拗ねてみせる。
すると、ミズキの目の端にぼんやりと光が射してきた。それは海の方、波打ち際が青い光に覆われている。まるで海にも星が集まり、互いの美しさを競うようにきらめいているように。
「光ってる」
「夜光虫だ」
「さっき、海が光るのは嘘って言ったじゃない」
「何だっていいだろ? こうして光る海を見られたんだから」
それもそうかと、ミズキは納得して海を眺める。時が経つのも忘れて、ふたりはその光に見とれていた。
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