【09】第1話 : ノース・ビレッジ〈4〉

「キサブロー様! ようこそ、御来オコし下さいました!」

 玄関内にて、二列に並んだメイド達が御辞儀オジギムカえる。

 客間に通され、豪華ゴウカ調度品チョウドヒン感嘆カンタンしているワシに、ローハイドさんミズカ御給仕オキュウジを買って出てくれた。

「キサブローさんは、お酒はイケル方でしたよね」

 彼は、そう言うとウイスキーのビンと宝石の様な美しい氷が入ったグラスを、ワシの前に置いた。

「ローハイドさん…。こりゃあ貴重な、伏見フシミ12年・ウイスキーじゃないじゃろか! ワシには、もったいない代物シロモノじゃて…」

「何を、おっしゃいますか! キサブローさん。もったいないだなんて滅相メッソウも無い! 貴方アナタに飲んで頂きたくて、我が社でも最後に成った一本を、大切に保管しておいたんですよ」

 彼は、手でメイドに指示を伝え、オードブルを用意させた。

 ─あぁ…。

 ローハイドさん。貴方アナタは、まだワシの好物を覚えて下さっていたんじゃなぁ…。

 カマンベールチーズの上に、キャビアとミミズの佃煮ツクダニ贅沢ゼイタクに乗せた、カナッペが運ばれて来る。

「さすがに、ミミズの佃煮ツクダニは、の地域の食文化ではありませんので、手に入れるのに、一苦労ヒトクロウしました!」

 頭をきながら笑う様子は、昔の彼と全く変わらない。

 ─うぅぅん。

 ウマい…。

 ワシは、ウイスキーをロックで、オードブルをシタの奥へ流し込む。

 それは、薫香クンコウの大波が口の中でウズを巻き、キャビアと佃煮ツクダニを乗せたウマみタップリの船体センタイトラえると、深い至福シフク海底ウミゾコへとシズめてしまった…。

 そこからは御互オタガいに会えなかった月日をしみ、めるかの様に、次々と語り合っただ。

 村を追い出された後の、ローハイドさん一家は、各地を転々とする生活を余儀ヨギなくされたそうな。

 彼は、動かん左脚を引きヅりながら、トンネルの掘削クッサク工事にタズサわると、カタやサンゴさんは、内職をしながら、ウイスキー研究を熱心に続けた。

 二人の娘達も、そんな両親のタメに協力して家事をこなし、学業では優秀な成績で奨学金ショウガクキンを取るなどして、大いに家計を助けた。

「おかしな言い方なんですが…キサブローさん…。あの頃の一番貧乏で苦しかった時期が、今現在の生活よりズッと充実ジュウジツし満ち足りていました。全く身勝手ミガッテなものです…」

 彼は、肩で溜息タメイキを付くと、ワシのグラスに、ウイスキーをソソいだ。

 そして3年前に、自社の伏見フシミ12年・ウイスキーが、権威ケンイある品評会で、最高勲章サイコウクンショウ金獅子キンジシ賞を獲得カクトクしたタメに、一夜にして生活が好転する事と成った。

「じゃが…ローハイドさんが事業で大いに成功された事は、ワシかてホコらしいことじゃあ!」

「えぇ…その事、自体は喜ばしのですが…。今の私には…一番…大切な…」

 急に声をまらせた彼に、ワシは話を変え様とする。

「うぅぅん…。そう言えば奥さん…サンゴさんは御在宅ゴザイタクかな? 久しぶりに彼女とも、ジックリ話しが、したいんじゃがのう」

 ワシは、ナツかしさのあまり笑顔で、ローハイドさんに言った。

「あぁ…ツマ…。ツマサンゴなら、そこに居ます」

 と、グランドピアノの上に視線シセンを向ける。

「けんども…小さな写真が一つ…あるだけ…じゃ…が?」

「そうなんです…。彼女は…サンゴは、1年前に、くなりました」

 彼女の病名は、子宮体部癌シキュウタイブガンであった。

 この疾患シッカン特徴トクチョウは、子宮内のガンタメに、通常の定期検診では、発見されニクくい。

 それユエに見つかった時には、スデに全身にガンが転移してしまって、手遅れに成る場合が多いのだ。

 残念ながら、サンゴさんも全身に転移後で診断シンダンされた。

 もっとも、通常のガンであるなら、賢者ケンジャ様の賢聖術ケンセイジュツで、患部の病状を物理的に時間を戻し、100%完治する事が出来る。

 そして自社の、スモーキー&カンパニーの株価が高騰コウトウしている今なら、その高額な治療費も工面クメンが可能なのだ。

「しかし、サンゴは賢聖術による治療を、ガンとしてコバみました…」

「いったい…そりゃ、どう言った訳なんじゃぁ?」

「えぇ…それは…今までにタマまったの借金を、この好機コウキに、シッカリ返済する事と、もう一度、ウイスキー蒸留所ジョウリュウジョを再建するタメの資金を確保する事、この二つを考慮コウリョすると自分の治療費は到底トウテイマカナえ無いと言うのです」

「そうは言うても…命には代えられんじゃてぇ…」

「全くキサブローさんの、おっしゃる通りで…私も何度も彼女を説得しましたが、今後の会社の事業展開を考えたら、今が一番、資金が必要な時だと言って、聞き入れてはもらえませんでした…」

 彼は、カラになったワシのグラスに、語りかける様に続ける。

 伏見フシミ12年・ウイスキーが金獅子キンジシ賞にカガヤき、世間の注目を浴びる様に成ったが、実際の所、このウイスキーの醸造ジョウゾウ方法を知っているのは、前夫ゼンオットの亡くなったさんだけじゃった。

 そのタメ、夫妻は、受賞後も再現方法の研究を続けなくてはならんかったんじゃ。

「では、イマだに方法は、明らかに成っておらんのかのう?」

 ウイスキーは、同じ年に仕込んだウイスキーダルを、全て出荷シュッカしてしまうと、また一から醸造ジョウゾウを始めなくてはいかんそうな…。

 そこで、サンゴさんは、一刻イッコクも早く、伏見フシミ12年・ウイスキーの醸造ジョウゾウ方法を解明カイメイするタメに、衰弱スイジャクしたカラダを押して、研究を続けた。

 ワシは、水滴スイテキオオわれたグラスをヌグって言った。

「無理を押した研究が、サンゴさんの死期シキを早めてしまっただなぁ…」

「ハイ…。私はウイスキーに関しては素人も同然でして…加えて、アルコールに対して、を持っていますので、研究その物も変わってやれない状況でした…」

 ローハイドさんは、大きな両手で自分のヒザをグッと、ツカんだ。

「サンゴは、こうとも言ってました…。『ウイスキーは、100年の時間をイタダいて完成する、芸術品』なんだと…」

 それは、ウイスキーのタルに使用する樹木ジュモクが森で成長するまで70年、その木材で理想的なタル乾燥カンソウさせ成熟セイジュクするまで20年、そして最後に、ウイスキー醸造ジョウゾウが最低10年以上、かる事で、およそ100年の月日がブレンドされ、初めて出来上がるのだと言う事じゃ。

「なるほど…100年かぁ…。サンゴさんの言う通りじゃのう…」

醸造ジョウゾウ研究にタズサわる自分の命は、その100年の月日に溶け込んで、ウイスキーと共に生き続けられるのだから、何も後悔コウカイは無い。むしろ、ホコりとさえ思えると、満足そうに彼女は言っていました…」

「大変なを決めておったんじゃなぁ…。中々、並大抵ナミタイテイの事じゃ無い…」

「自分自身の使命シメイ尊厳ソンゲンに気付く事、それ自体が、真のプライドであり、自尊心ジソンシンなのだと、その時、私はサンゴから、本当の意味で学びました」

 彼は、再びウイスキーをソソぎ、静かにマドラーを回す。

 サンゴさんがくなる一ヶ月程前に、彼女の研究への執念シュウネンが実り、伏見フシミ12年・ウイスキーの酵母菌コウボキンを発見する事が出来た。それはメズラしい三日月ミカヅキ型の赤色菌で有ったと言う。ローハイドさんは『R1-35-O酵母菌コウボキン』と名付けて、特許申請トッキョシンセイを取りつけただ。

「じゃあ、ナゾだった醸造ジョウゾウ方法の解明に光りが差したんじゃな!」

「えぇ…。でも正確には、半分解明出来ただけで、もう一つ重要な『酵素菌コウソキン』の実体を、我が社の優秀な研究員に発見する様、急がしています。が…残念ながらイマだに不明です。酵母菌と酵素菌、この二つを解明し初めて、伏見12年・ウイスキーを再び醸造ジョウゾウする事が出来るのです」

 ローハイドさんは、彼女の写真をイトしそうにシバラく見つめると、視線を戻した。

「サンゴは、亡くなる最期サイゴの時まで、家族に向かい微笑ホホエみを絶やさず、満足そうでした…。でも…私には…そのサンゴの幸せそうな顔を思い出すタビに、自分自身の不甲斐フガイなさにサイナまれ、彼女に賢者様の賢聖術を受けさせてやれるくらい、お金を持っていたらと…今でも自責ジセキの念で、胸が張りけそうに成るのです」

 彼は大きな体をる様にして、椅子イスの中で項垂ウナダれてしまう。

『カラッ!』

 ─ワシの手の中で、小さく氷の溶ける音がした。

「ローハイドさん! それは違うだよ!」

 彼が、オドロき、顔を上げた。

「ワシはガクは無いからムズカしい事は分かりゃあせんけんども、それだけは、貴方アナタの見当違いじゃ! 大抵タイテイ、生ける者は皆、病気で亡くなるじゃろう! じゃけんども、サンゴさんは命がきる、その最期サイゴの瞬間まで、自身の使命を、たしたんじゃないかね。

 彼女は、賢聖術を受けなかったら亡くなった訳じゃぇだよ!

 病気がもたらす肉体的、精神的な苦しみを、むしろ生きる希望に変えてしまう崇高スウコウ境涯キョウガイ

 つまり、病苦ビョウクを乗りえた、力強い生命の姿を家族に残して、堂々とかれたに相違ソウイねぇだ」

 ゆっくり、ミズカら、ウイスキーをぐ。

「誰しも、自身の生は自分で責任を取らんとイカン。当然の道理ドウリだ! じゃがのう…自身の死は誰しも自分で始末シマツが着かねぇモンだ!

 ヨウは、を知った自分以外の他人が、各々オノオノに受け止めて、解釈カイシャクをする代物シロモノなんじゃ…。自身の死は、ハナっから自分のモンじゃ無い! 結局、他人の心の中だけに存在するんじゃ!

 だからのうローハイドさん…。奥さんの死は、貴方アナタが正しく受け止め、今後の自身の生き様に投影トウエイし、共に生きて行くべきだと思うんじゃ」

 大粒の涙を流す彼は、深々と何度もコウベを下げると、人目をハバカらず大声で泣いた。

 そんなローハイドさんを見たのは、初めてじゃった。

 ─胸に、つかえてたモンが取れたんじゃろう…。

 ワシは、ピアノから見つめるサンゴさんにアユミみ寄る。

 ─白鍵ハッケンにグラスをカタムけた。

『ポロン…!』

 彼女が笑っただ。

 ワシは、それを一口に飲みほした。

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