第12話 魔人を赦すということ

俺は死という物をしっかり見届けた事が無かった。


昔飼っていた犬が死んだ時も実家を離れていた時だったし、家族は魔人が攻めて来て連絡を取る所じゃなくなるまでは元気していた。


そういえば、家族は今何処にいるだろう。

元気にしているだろうか。

最後に会ったのはもう何年も前だ。


「ギンジ……」


こうして、腕の中で弱々しくなっていく命を感じていると不思議な感覚に襲われる。


底知れぬ闇を人型に切り取ったような魔人、『傲慢』のムールの血は意外にも俺と同じ様に紅く、それが流れれば流れる程に彼女の体温が下がっていく。


命の気配が弱くなっていく。


これが死なのか、あまりに呆気ない。


「……」


ごめんなさい、すまない、と言った謝罪の言葉を無責任に言う事は出来ない。


俺がこいつを殺すんだから、魔人を殺すのが俺の悲願な訳だから、謝ってはいけない。


「ぎゃはは! なんてザマなの、無敵の、ムールが! 『傲慢』だなんて片腹痛い! 弱くて、惨めで……醜いクソ野郎が! 」


気分が高まり過ぎて、カレンは滅茶苦茶な罵詈雑言を吐き出して止まらない。

破壊の手を緩める事は無く、ムールを痛ぶり続けていた。


カレンの手には歪で悪趣味な白いナイフが握られている。


あれはつい先日、カレンが俺から作り出した物だ。


素材は俺の右前腕、握力が無くなった。


詳しい名前は良く知らない幾つもの骨を組み合わせて、アレは成り立っている。

見る度に吐き気がする。


「良いでしょう、あんたの大好きなギンジの刃よ。何度も実験したの、ギンジの赦しは体内に入り込めばより強く作用する……」


グリグリとナイフに力を込め、自慢気に俺の骨を語る。


「使用する私は手袋をはめれば簡単に対策出来るわ。コレを使えば……ギンジ本体が居なくても魔人を無効化出来る、試してあげましょうか? ギンジ、もう拘束しなくていいから、離しなさい」


「……」


腕に力を込めた。


「……あっそ、まあ良いわ。試す機会なんて山程あるんだから今度にしてあげる」


懇願するような視線をカレンに向けていた俺は、何かを話そうとするムールに気付いて視線を落とした。


「ギンジ……」


貫かれ、砕かれ、弱々しくなりながらも美しい黄金の瞳。

彼女の象徴とも言える瞳はじっと俺を見据えていた。


裏切った事に対する恨言、俺の行く末を呪う言葉、ストレートな怒りの声。

どれを受ける事になっても仕方ない、相応しいと思う。


返事をせずに、彼女の声を待つ。


「お前と出会えて幸せだった」


予想と全くに反し、ムールは愛情深そうに額を俺の胸に押し付けた。


「私のような圧政者には過ぎた、幸せな時間だった、夢のようだった。狂うような長い生の中で、唯一意味のある時間を与えてくれて……ありがとう、ギンジ」


「は……? ムール? 」


「驕り高ぶった我如きに相応しい結末だ。どうか泣かないで、我のような小さな存在に気を取られて後ろばかり振り返らず生きてほしい」


人智を超えた魔人の恐ろしき生命力。

それは俺により無効化され、カレンにより痛ぶられ、ついに底をついた。


たっぷりと遺言を残し、ムールは瞳を閉じる。


唯一の色彩である瞳を閉じたムールは、身体の殆どを破壊されている事も相まって生物にはとても見えない。


彼女はただ、ひたすらに暗い。


「無様ね……ムール! 今まで散々私達を虐げておいて、安らかに眠らせてもらえるだなんて思わないで」


カレンは俺からムールの死体を奪い取って、まだ原型をギリギリ保ってる部分を破壊し始めた。


「おい! いくら何でも、やり過ぎだ! もう死んでるんだぞ! 」


「あはは! 馬鹿言わないでよ! 死なないわよ、魔人なのよ? 」


強く床ごとムールを踏み砕き、カレンが吠える。


「暫く触らないでねギンジ、再生してから、また痛ぶってあげるんだから……! 」


骨のナイフを引き抜いて、カレンは距離を取る。


嗜虐性に溢れた紅い瞳を歪ませて、カレンは待った。

ムールが生き返り、再生してまた復活するのを。


5分、10分。


カレンは怪訝そうに目を細めて、苛立たし気に時間を気にしている。


さらに数分。

カレンが痺れを切らす。


「……どうして? ギンジ! もっと離れなさい! 」


ムールの死体から距離を取った。

赤い水溜りが、彼女だったものを中心に広がっていく。


「うそ……嘘よ、あり得ないわ」


かつて、ムールとカレンが対決した時の様に超常的な回復は行われない。


俺の持つ常識の通り、死んだ者は生き返らない。


「どうしたんだよ、コレが目的だったんだろ。望み通り、死んだじゃねえか」


「そんな訳無いでしょ! 殺したくらいで死ぬだなんて……そんな訳……」


先程までの調子の良さは一転して、カレンは酷く狼狽している。


少しして、塔の中からマリアが現れた。


懐かしい無表情。

腕は六本、その全てに血塗れの武器が装備されていてメイド服も真っ赤に返り血に染まっている。


「お嬢様、城の制圧は完了いたしました。処置は済んでおりますので、24時間は再生の時間を稼げるかと……」


「マリア……どうしよ……」


少し眉を顰めたマリアはムールの死体を確認すると、側に屈んだ。


「……脈も呼吸もございません。これはお嬢様が? 」


「わ、私はただ……仕返しに、何度か殺そうとしただけで……」


マリアは布を取り出すと、ムールの死体を丁寧に包み脇に抱えた。

肉体の大部分を失って絶命したムールは、布で包むとその小ささが際立ち、現実味が少し和らでいく。


「ともかく城に帰還致しましょう。車を回して参ります」


冷静さを失い、青い顔でブツブツ言うしか出来なくなったカレンの代わりにとマリアは支度を済ませていく。


「お嬢様、お乗りください。ギンジ様もお早く」


俺とカレンを乗せて、車が唸りながら走り出した。


カレンは血に塗れた手袋越しに、横に座る俺の手を握る。


「ね、ねぇギンジ……あなたは私の味方なのよね。私の事、好きなのよね? 」


「……」


「ねぇ、ってば」


自分でも驚く程、冷たい目をカレンに向けていた。

湧き上がるのは怒りや憎しみを通り越して、冷え込んだ今まで抱いた事もない強い感情。


あれだけ必死になって取り繕った忠誠や、頑張って考えた生存戦略も何もかもどうでもいい程、あの黄金の瞳が忘れられない。


「そんな訳ねぇだろ、ぶっ殺すぞ」


やってしまった、全部台無しになる。


「……う」


激昂したカレンに何をされるかと身構えるが、予想していたのとは全く違う反応が返ってきた。

鮮やかな紅い瞳を曇らせて、叱られた子どもの様に小さく震えている。


「……」


カレンの手を振り払って、窓から空を眺めた。


ガラスに反射してカレンと視線が何度も交差するが気付かないフリをする。 


「ギ、ギンジ。ねぇ」


余計に刺激する気にも、機嫌を取る気にもならないので無視をし続けた。

やがてカレンは静かになり、俺とは反対の空を眺め始める。


相変わらず黒雲に覆われ、ひっきりなしに稲妻が迸る魔界の空。

俺はこれからどうなるんだろうか。





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