第78話 旅立ち

 自由人はビリーたちと別れてからあてどもなく街をさまよい歩いていた。月明かりの元、いつの間にか自由人はアメリカの城までやって来ていた。城壁が自由人の目の前に天高くそびえ立っていた。城の裏側に当たるそこは人っ子一人おらず、物音もしない静けさに包まれていた。自由人は壁を背にしてズルズルとへたり込んでしまった。座って空を見上げるとさっき店を出たときの赤っぽい月がまた自由人を見下ろしていた。自由人は思った。

(赤羽・・・この中にいるんだよな。どうすればお前を助けることが出来る?俺はこんなにちっぽけでこの城の壁すらよじ登ることが出来ない・・・この命を差し出してお前が助かるなら今すぐにでも喜んで差し出すがそんなもの誰も受け取ってすらくれねえ。赤羽元気か?傷ついてないか?痛い想いをしてないか?赤羽・・・赤羽・・・)


その同じ月を城の中から見上げながら樹蒼は婆様とまだ念の輪の中で繋がっていた。

婆様は樹蒼に告げていた。

(樹蒼、木そして青の化身。南南東のブラジルの地に赴くがいい。婆には・・・見える・・・城の外にあのもの自由人が現れた。樹蒼お前は外の世界を全く知らぬ。城の外にでて自由人を使いその地へ赴くのじゃ。行け!樹蒼。今ならあの男が・・・)

婆様の意識はそこで途絶えた。


樹蒼は手早く用意していたバッグを手に取るとコートを羽織り部屋を出た。念で自分の姿を消して動いた。ドアの暗唱ロックの番号も出口への通り道も、とうの昔に調べ尽くしていた。樹蒼にとってはこの城はいつ何時(なんどき)でも抜け出すことは可能だった。しかしあえてそれをしなかったのは残された母の行く末を案じたからだった。しかし今樹蒼はその母を助けるため、引いては父すらをその呪われた悪のスパイラルから解き放つために自ら進んで城を後にしようとしていた。

係員が乗り込んだと同時にエレベーターに乗り込み後はこのエレベーターが地下の出口につくのを待つだけだった。エレベーターは十三階で止った。十三階のフロアは母リリアがいる階だった。一瞬、樹蒼は母・リリアの顔が浮かび後ろ髪を引かれる思いだったが必死にその思慕を振り切り目を開けた。樹蒼の目の前でエレベーターの扉が開きミズフィンレイが疲れ切った表情を浮かべて機に乗り込んできた。変わって今いた係員がその階へ降りていった。ミズフィンレイは右の肩を左の手でトントンとたたいてからため息をついた。樹蒼は幼い頃から自分の面倒を見てきてくれたこの乳母同然の女性が最近悩んでいるのを知っていた。それは娘のルーシーの結婚問題についてだった。そしてその娘はつい先月樹蒼の母・リリアの看病を手伝いながら今の彼氏との駆け落ちの計画を密かに立てていたことも樹蒼は感じ取っていた。そうとは知らないミズフィンレイは今も頭の中で娘の行く末を案じていた。樹蒼は迷った。ミズフィンレイにとって身内の一人がアメリカから姿を消すということは当人の身が危うくなると言うことだった。一刻を争う時とはいえ幼い頃から自分の面倒を見てきてくれたミズフンレイの窮地を放っておくことは樹蒼には出来なかった。

 樹蒼はミズフィンレイの後ろから念を送った。

(ミズフィンレイ私です。マリオンです。驚かないで。監視カメラがあるのでどうかそのままの表情で・・・私は今あなたの後ろにいます。出来たらそのままいつものように更衣室へ行ってください。私は後ろからついて行きます。どうしてもお話したいことがあるのです。)

ミズフィンレイの表情は少しこわばっていたが何事もなかったかのように十階で降りて更衣室へ向かった。部屋に入り扉を閉めるがやはりそこには監視カメラがついていた。樹蒼は続けてミズフィンレイへ念を送った。

(出来るだけゆっくり支度をしてください。そして私の話をきいてください。ミズフィンレイ。あなたは私が幼い頃から母親代わりに私を育ててくれた。ほんとうにありがとうございました。他の係のものたち同様、あなたも家族の弱みを握られた辛い立場であるにも係わらず、いつも私のために涙し、時にはかばってさえくれたのはあなただけでした。私の特殊な能力も早くからあなたは気づいていたけれど“ご両親の前では絶対に使ってはいけない。特にお父上の前では・・・”と最初に注意してくれたのもあなたでした。父上が母上に暴力を振るわれるときも私に見せないようにいち早く私を抱えて部屋から連れ出しかくまってくれた。そして泣きながら私を抱きしめて“大丈夫。大丈夫。”と慰めてくれました。あなたの心の優しさそして私を思ってくださる気持ちに私は本当に今まで助けられ救われていたのです。感謝しています。私の特殊なこの能力でミズフィンレイあなたの娘さんが考えていることが先日お会いしたときに解ったのです。あなたのご心配通り娘さんルーシーは今夜恋人のジョー・ワイズと旅立ちます。)

ミズフィンレイは汗を拭く振りをして掴んだタオルに顔を埋めた。

(そうなったらあなたの身の保証は無いでしょう。だから一刻も早くあなたも身を隠して欲しいのです。私は・・・これから旅に出ます。今は理由は言えませんが、私は母上を父上を助けるために外の世界へ旅立つのです。ミズフィンレイ今まで本当にありがとう。どうか一刻も早く・・・)

そこまでをミズフィンレイに伝えると着替え終わったミズフィンレイは顔を上げ心の中で呟いた。

(マリオン様ありがとうございました。聞こえますか?私がいったん地下まで降ります。ついてきてください。同じ車に乗って城を出たところで私はいったん車を止めます。そこで降りてください。)

帰り支度を終えたミズフィンレイはもう一度、更衣室の扉を開けてエレベーターの所まで行った。樹蒼はミズフィンレイに礼を言い地下の出入り口を通りミズフィンレイを迎えに来た黒塗りの車に同乗した。城の外周を取り巻く高い塀を抜けるとミズフィンレイは運転手に後ろの席からブザーを鳴らした。運転手が何かと訪ねるとミズフィンレイは言った。

「コートの裾を車のドアに挟んでしまったみたいなの。すみませんが開けてください。」

運転手は車を停めるとゆっくりとドアを開いた樹蒼はその隙にドアから外へ飛び降りた。降りる際にミズフィンレイの頬に口づけをして

(必ず生きてまた会いましょう。)

と念じて告げた。飛び降りた樹蒼の目の前で車のドアは閉じられ土煙を上げ発信した。車が見えなくなりあたりは月明かりのほんのりとした明るさで照らし出されていた。高い城壁を左手に右手は草むらが数メートルほど続きそこから先はうっそうと茂る林のようになっていた。樹蒼が城壁を左手に数メートルほど歩くとその壁を背に一人の男が座って夜空の月を見上げていた。樹蒼は自分の姿を現わしその男へ近づいていった。樹蒼はその男を見下ろし声をかけた。

「自由人さんですね。」

自由人は座ったままこの緑の瞳を持つ青磁にそっくりな青年を、驚いた表情を浮かべたまま見上げていた。樹蒼はニッコリと微笑むと自由人の目の高さまで座り込んだ。そして再び口を開こうとした時自由人がいきなり樹蒼を抱きしめた。自由人は低くちぎれるような声で樹蒼を抱きしめたまま呟いていた。

「せい・・じ・・ああ・・・青磁・・・生きていたのか・・・本物なんだな・・」

自由人に抱きしめられたまま樹蒼は自由人の心を感じ取っていた。同時に母・赤羽の身に一度に降りかかってきた不幸の事実も自由人の頭の中から読み取っていた。砂漠の襲撃・・・自由人が率いるアメリカ軍によりヤマトの残党が皆殺しにされ緑尽が殺され母・赤羽を助けるため母の最愛の人青磁が自由人により母の目の前で殺される・・・。これまでも白虎の念の中からその場面は幾度と無く見聞きしていたが白虎自身が体験したものでは無かったため樹蒼の中では又聞きという状態での知識だった。そのため本物の体験を感じると母がその記憶を閉じてしまった訳も樹蒼には理解できるのだった。そして自由人の記憶に刻まれている青磁という人物が、本当に自分にそっくりであることに改めて驚きを隠せない樹蒼だった。樹蒼は自由人が少し落ち着いたのを見計らって自由人の両肩を掴んで起こして自分と向き合わせて言った。

「自由人さん。私は青磁さんではありません。母・赤羽の息子の樹蒼といいます。」

自由人は何が起こったのか解らないといった表情で当分樹蒼を見つめていたがやがて涙をぬぐうと樹蒼の顔をまじまじと見て言った。

「赤羽の・・・息子?あのフレデリックとの間に生まれた・・・?」

樹蒼は頷くと自由人にこれまでの訳を説明した。そして念の五方陣を作るために自分を南南東の方角ブラジルのリオデジャネイロへ行く方法を教えて欲しいと告げたのだった。樹蒼が一通り話し終えると自由人は複雑な表情を浮かべ樹蒼の瞳をのぞき込んでいた。疑うような表情のまま自由人は呟いた。

「地黄・・・地黄もそれに参加するっていうのか?どうして?地黄は関係ないだろう。俺が始めてしまったこの馬鹿らしい運命に巻き込まれることはないだろう!」

自由人は樹蒼にしがみついて続けた。

「えっ?そうだろう?青磁お前だってこれから・・・赤羽と一緒に生きてやり直せば・・・」

樹蒼は自由人が混乱しているのを感じ取り自由人を見つめながら頭を振った。そしてゆっくりと口を開いた。

「自由人さん。私は青磁さんではありません。そして地黄さんは自分の意志でこの念の五方陣を作る事への参加を決められたのです。誰に強要されたわけでもありません。彼女は今の彼女の意志でそう決めたことなのです。どうかその気持ちを解ってあげてください。」

自由人はへなへなと力なく座り込むと呟くように言った。

「・・・そう・・そうだよな。俺は地黄を五年も放り投げて、赤羽へたどり着く方法を必死になって探していた。あいつに地黄に何の連絡もしちゃいない。あいつが今何を考え、どう思っているのかなんて今の俺に解るわけがないんだ。おれにあいつの行動をとやかく言う権利も無い・・・」

自由人は悲しげに顔を上げると樹蒼の顔をまじまじと見つめて続けた。

「じゅ・・・そう?すまない。青磁じゃないんだよな。樹蒼ブラジルへ行きたいのか?」

樹蒼はうなずき自由人を立ち上がらせながら言った。

「ええ。行かなければならないのです。母・赤羽の為に。私自身のために。」

自由人は顔半分で苦笑いすると樹蒼の肩をたたいて言った。

「解った。」

二人は見つめ合い頷くと目の前の林の中へ消えていった。


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