第73話 情報

 何不自由なく暮らしていた大学生のルーシー・フィンレイはその日も髪の毛がうまく外巻きのカールに決まらないことに全身全霊で苛立っていた。

「ああ!もう!最悪!この世の終わりだわ!」

その時階下から母親の呼ぶ声がした。ルーシーの母メグ・フィンレイだった。ルーシ-は

「ちょっと待って!」

と言うとあわててワンピースに身を包み階下へ駆け下りていった。

 階下へ降りてみると母親のメグは青ざめた顔で立ち尽くしていた。ルーシーがメグに近づき顔を覗き込むとメグははっと我に帰りルーシーの肩を両手で掴んで真剣な表情で言った。

「ルーシー!お願いがあるの!今日から一週間学校を休んでママの手伝いをしてちょうだい。」

ルーシーはキツネにつままれたような顔をして母親を見詰めた。と言うのも母親が城の中でメイドの仕事をしていると言うのは世間に言わないように幼い頃から言われて育ってきていたし何よりその母が自分の仕事のことを娘に言ったことはこれまで一度も無かったからである。ルーシーは驚きながら返事をした。

「何?いいわよ。・・・大丈夫よ。どうしたの?真剣な顔しちゃって?」

メグははっと我に帰りルーシーに付け加えた。

「いい?ルーシー。城に入ったらママの言うとおりにして言う部屋しか入っちゃいけないよ。それにママのことは“ミズ・フィンレイ“と呼びなさい。あと・・・」

言いよどんだ母親にルーシーは明るく尋ねた。

「あと、なあに?」

メグはルーシーの目を真剣に見据えて言った。それはルーシーが幼い頃よく母親が読んでくれた童話の中に出てくるセリフだった。

「城へ行くことも城の中の仕事を手伝ったことも城の中で起こったことお前が経験したことも絶対に誰にも言ってはいけないよ。お願いだから約束しておくれ。」

そう言ってメグはルーシーの両腕を掴んだまま崩れ落ちた。ルーシーには母親が泣いているように見えたが少し恐くなって背中をさすってやることしか出来なかった。

(どうしてお城の中で起こったこともお城へ行くことすら人に言ってはいけないのだろう?)

ルーシーは不思議に思ったが母親の思いつめた態度を見てそれ以上聞く気にもならなかった。何より女手一つで自分をここまで育ててくれた母親に何か恩義を返したい気持ちがルーシーを黙らせ言われるとおりにしてあげようと言う気にさせたのだった。


 ルーシーの父親は軍人だった。しかし早くに亡くなっており、その遺族という関係で母親メグは今の職を得ることが出来たのだと言うことはルーシーにも解っていた。そして父親が亡くなっても、と言うより父親が無くなって以降の方が広い家に住みステキな洋服を買ってもらうことも出来たし、いい学校へ通うことが出来るようになった。幼心にルーシーがどうしてなのか母親に尋ねても母親は「お父さんは節約家だったからお母さんは自由にお金がつかえなかったのよ。」と答えるばかりだった。ルーシーは幼い頃から母親の職業を聞かれるとアメリカの国家公務員と答えるように教育されて育っていた。確かに国家公務員なのかもしれないが成長するに従ってその職名に違和感を覚えるようになっていたのは事実だった。かくしてルーシーは城の中へ入っていくことになったのだった。


 母に連れられバスを降りると母は慣れた様子で街の角を曲がった。通勤時間より早いとは言えその角を曲がった箇所には恐いくらい人が居なかった。まるで都会に出来たブラックホールのようなその場所に母が曲がると同時に黒塗りのベンツが音も無く停まった。母は手馴れた様子でその車に吸い込まれるように乗り込んだ。ルーシーはあわてて母の後を追って乗り込んだ。車内では何一つ会話が交わされることはなかった。と言うのも運転席と後部座席とは黒いガラスで仕切られていたし母もルーシーに話しかけてこなかったからである。車の窓ガラスは真っ黒で外の景色もまったく見えない状態だった。車が停まると母が降りルーシーもそれに続いた。降りた先はコンクリートで囲まれた巨大な駐車場のようでどうやらいつの間にか地下へもぐり駐車場へついていたようだった。母に続きエレベーターに乗り込み十階で降りた。エレベーターのコントロールパネルには二十までの数値があったのでおそらくは二十階建ての建物なのだろうとルーシーは推測した。降りるとそこはメイド用の控え室のフロアーのようだった。長い廊下を進んでいくとホテルの催し物会場のように開け放たれた大広間もあり小部屋もあり締め切った部屋もあった。そのまま進んでいくとクローゼットらしき部屋へ案内され、そこで着替えるよう母親に指示されてルーシーは制服に着替えた紺色のシンプルなロングドレスのような制服だったが襟元は喉までの高さにつまり袖も長袖でぴったりした作りになっていた。ちょっと紺色のチャイナドレスのすそをフレアーにしたようなその制服は被り物をして色を黒に変えればまるでシスターのようだとルーシーは思った。母も隣のクローゼットで着替えルーシーを呼びに来た。ルーシーは連れられ、またエレベーターに乗り三つ上の十三階で留まった。母親は一つ大きく深呼吸するとエレベーターの扉が開こうとするのをボタンを押して閉じた。そのボタンを抑え続けたまま母親であるミズフィンレイはルーシーへ半身振り返り言った。

「いいですね。ミス ルーシー・フィンレイ。心してください。決して悲鳴を上げたり泣いたりしないように。あと・・約束は・・・他言無用の約束は絶対に守るように!」

強い口調で母メグは言い切り、エレベーターの“開く”ボタンを押した。扉が開くと廊下の先にもう一つ大きなシルバーの色をしたドアがあり鍵がかかっているようだった。ドアの両端にはガードマンらしき黒服にサングラスの男がイヤホンをして立っていた。男達は母親の姿に気が付くと身分証の提示を求めた。母親は慣れた手つきで自分とルーシーの二人分を渡すと男たちはチラリとルーシーを見詰めたがまた何事も無かったかのように元の立ち居地に戻りドアを開けるために自分の横にある暗証番号を押した。ドアはスっと音も無く開いた。ルーシーは目の前に広がる光景に息を呑んだ。


二百㎡はあろうかとい言うほどの広い室内は全面床も壁も大理石張りで輝くような白さを誇っていた。高い天井はドームのように丸くなっており一番高いトップを中心に宝石のようなシャンデリアが所狭しと吊されて神々しい光を放っている。正面には天井まで届く大きなスクリーンがありそこにはあふれ出る噴水と咲き誇る美しい花々舞い飛ぶ小鳥の立体的な映像が映しだされていた。部屋はかぐわしい香であふれ小鳥のさえずりや小川のせせらぎのような癒される音が囁くように流れている。右手には本物の暖炉があり薪がパチパチと燃えていた。その前には高そうな装飾が施された応接のセットが置かれている。その暖炉の反対側に天蓋が施された大きなベッドがあり中に人が寝ているようだった。

部屋の豪華さに圧倒されているルーシーをつついて母、この場合ミズ・フィンレイは足早に歩き部屋に付いている収納部分から新しい枕と掛け布団を取り出し布団をルーシーに持たせて自分に付いて来るように合図した。ミズ・フィンレイはベッドの天蓋をめくり中へ入った。ルーシーもあわてて母に続いて中へ入っていった。ルーシーは母の後ろで布団を横の机に置くとそのベッドに横たわる人を見た。その瞬間ルーシーは思わず悲鳴を上げそうになり自分の両手で自分の口を押さえた。そんなルーシーに構わずミス・フィンレイは慣れた手つきでそのベッドに横たわる女性の頭を抱きかかえて優しく枕を取り替えた。ルーシーに目で合図をして掛け布団を変えるよう指示している。ルーシーは恐る恐る掛け布団を取り替えた。取り替える最中その女の人をルーシーは観察した。恐いもの見たさと言う心理だった。

ベッドに横たわる女性は口の端が切れ紫色に腫れ上がっていた。左の瞼の上も赤紫に腫れ上がり少し切れているようだった。右の目は大丈夫な様でそこから推測するには綺麗な人のように思えるが“形相が変わるほど殴られる“というのはこのことだと思えるほどガーゼが当てられ手当てされている箇所以外にも切れた傷跡のようなものが見て取れた。右手にも包帯が巻かれており打ち身か捻挫か定かではないが負傷しているようだった。布団をめくると右足首にも包帯がまかれ薄い夜着の下どうやら胸の下辺りにも包帯が巻かれているのが見て取れた。

(どんな目にあえばこんな傷だらけになるというのだろう?)

ルーシーは多分この女性が事故に会いこのような状態になっているのだと思った。それにしては何故病院ではなくこんな普通の部屋にかくまうように置いておかなければならないのか疑問でならなかったが母の言いつけを守り何も感じていないような振りをして仕事を続けた。起きることも立ち上がることも出来ないこの女性のために交代の世話がいるようでどうやらルーシーは朝から夕方を担当し夕方からはまた別の女性がやってくることになっているらしかった。一日目はミズ・フィンレイの指示通り行い同じように二日目からはルーシー一人が面倒を見た。傷の手当てや点滴の交換は専門の医師がやってきて行うがその他の着替えや食事の支度はもちろん、排泄の世話までベッドで行った。初めての経験にルーシーは戸惑いがちだったがこの事故にあった女性に対する同情の念の方が強く下の世話もあまり苦にならなかった。それよりも世話をされる方が辛いのではないかと思うほどだった。四日目を過ぎるくらいになるとトイレも一人で行けるようになり顔の腫れも引いてきた女性はルーシーに礼をいい「大変いやな仕事をさせました。」と何度も詫びるほどだった。ルーシーはミズ・フィレイから「余計な事は答えず何も聞かないこと。」を約束させられていたので「YES」と「NO」しか返答をしなかった。女性もそれが解っているようであえてルーシーに何も聞かず自分のことも何も話さずに世話をしてもらっていた。しかしそれは高飛車な感じではなく自分の事を知ってしまうと逆にルーシー自身に迷惑がかかるといった配慮からなのではないだろうか?とルーシーは思っていた。そういう訳で一週間という期間にも係わらずルーシーはその女性の名前すら知らないしどんな事故に合い今どんなことを考え思っているかなどは一切知るよしも無かったのである。ただルーシーがベッドのシーツを換えている間など一人寂しそうにスクリーンの噴水を見詰めて左手にしている緑の石がはまった指輪を大切そうに撫でて眺めている姿が印象に残っていた。そして時々鼻歌のように口ずさんでいる歌がルーシーには印象的で異国情緒漂う外国語の歌をルーシーはすっかり覚えてしまっていた。歌詞の意味はまったく解らないがメロディがステキでそこを離れてからもその歌が入ったCDが欲しくてCDショップやインターネットで検索してみたがまったく解らなかった。

ルーシーはその女性の瞳が事故のせいで出血して赤いのだろうと思っていたが仕事が終わる頃になっても赤いままだったので元々赤い瞳なのだということを終了間際に気が付いた。そしてルーシーの仕事も今日で最後という日、女性はすっかり元気になり顔も少し青あざがのこる唇を別にしてほぼ回復していた。こうして見ると女性は妖艶な美しさをもっっていた。顔立ちや肌の感じからアジア系の人間では無いかとルーシーは推察した。年の頃は三十代前半と言ったところだろうか?アジアの女性は若く見えるというから本当はもう少し年を重ねているのかもしれないとルーシーは思っていた。その時部屋のドアが音を立てて開き若いの男の子が入ってきた。その男の子は黒髪に緑の目をした綺麗で賢そうな顔立ちをしたアジア系の子で部屋へ入ってくるなりその女性に抱きついて

「母上!心配いたしました。」

と叫んだ。ルーシーはあっけに取られて片付けかけていた女性の夜着を胸に抱えたままこの一週間何も起こらなかった部屋で初めて起こった変化に気を取られていた。男の子はその女性の顔見て手を取り「大丈夫ですか?大きな事故にあったと聞きました。」と心配そうに言った。女性は寂しそうに微笑むと「もう心配は要りません。」と答えルーシーがいる事を視線でその男の子へ伝えた。その子はやっとルーシーに気が付いた様であわててルーシーの方へ近づくと手を取り

「母の世話をしてくれてありがとう!」

と言って上下に手を振り握手した。ルーシーはあっけに取られたままこの美しいグリーンの澄んだ瞳に魅了され頬を赤らめて手を振られ続けていた。その時あわててミズフィンレイが入ってきて「まあ!」という驚いた表情を見せるとその男の子へ近づき言った。

「お母様は大丈夫ですからもうしばらく安静にさせておあげなさい。さあ。」

男の子はミズ・フィンレイに促され

「解りました。」

と小さく頷くと母へ走りより頬へ口付けをすると名残惜しそうに部屋を後にした。残された紅い瞳の女性は少し複雑な表情を浮かべ立っていたがルーシーの視線に気が付き歩み寄るとそっとルーシーの手を取り言った。

「今日までと聞いています。本当にありがとうございました。」

ルーシーは最後に一言だけ「YES」と「NO」以外の言葉を言った。

「あなたに神のご加護がありますように。」


それが城で見た全ての事でそれ以来ルーシーは母メグとも家でその話は一切しなかったし外ではもちろんしたことが無かった。しかしジョーと付き合い始めてからルーシーは少しづつだが変わって行った。典型的なブルジョワ娘が下級労働層の男と付き合い始めて通る道をルーシーも迷うことなく進んで行ったのだった。


幼く記憶があまり鮮明で無い頃は別として物心ついてからはルーシーは上流階級としての生活を当たり前だと思って生活してきた。もちろん学校では上には上がいて到底ルーシーの家では買えないような高級車を何台も所有し自家用ジェットまで持っているような家の子供達もいたがルーシーはまあ自分の家は中の上くらいなのだろうと認識していたのである。そんな家庭の子供たちばかりが集まる学校へ通っている為比べる対象が無かったからだった。しかし食べることも儘ならないどん底の生活を強いられてきたジョーと付き合い始めその幼少期の話を聞きそんな世界があるのだと言うことを知り始めてからというもの、ルーシーはいかに自分が恵まれた裕福な生活を送ってきたのかという事を自覚しそれが当たり前だと思っている回りの友人達がくだらなく思えてきたのだった。新作のブランド品と有名人の噂話にしか興味がないクラスメイトよりは既に働いて今の政治体制に批判の目を向けた意見を言うジョーはルーシーにとってちょっと悪い不良のボスに惹かれるお嬢様といった状況だった。そうしてジョーと交わされる会話の中で特にSEXをした後はルーシーに無関心になるジョーの気を引くために「城の中へ入ったことがある。」と口を滑らせてしまったのだった。当然ジョーは興味をそそられた。もう一回ルーシーを気持ちよくさせることを条件に二人だけの秘密としてジョーはその内容を聞き出した。ジョーがその話に興味を示したのも当たり前だった。というのも軍の中ではどんな下っ端であろうとあの城の中には大統領フレデリックの大きな秘密が隠されているというのは公然の秘密となっていたからだった。若い下っ端軍人はまだ小さな自分の姿を同僚に少し上の先輩により大きく見せるため時にはホラをも吹いて見せる。それが階級で仕切られた男の世界の性だった。御多分にたがわずジョーもそうだった。ビリーへ自分達の恋愛話の相談をする際めんどくさそうに気乗りしないジョーの気を引くためにまた「こんなすごいことを俺は知ってるんだぞ」と示すためにルーシーから聞いた話を打ち明けた。ビリーの目の色が変わったことは間違いが無かった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る