第三十二章 帰って来た時緒

彼の存在感



 アイズネクストのハイパールリアリウムバスターキャノンが、超高出力の粒子ビームが松風の船底を、掠める。


 松風の船底装甲は白熱化、泡を噴きながら融解し、次いで小規模な爆発が、松風の各所で起きた。


 船体が小刻みに揺れて、空中で傾く。


 しかし、撃沈には及ばない。松風は弱々しく、かろうじて浮遊していた。


 今、更に追撃を仕掛ければ、松風を確実に沈めることが出来るが――



「リッちゃん、よくやった」



 喜八郎が掌を翳すと、律はトリガーから手を離した。


 今日いまは、その時ではない……。


 しかし警戒は怠らない。


 喜八郎たちは、臨戦態勢を解かぬまま、手負いの松風を見遣る。


 撤退か、それとも……自棄やけっぱちの特攻か……。



 ――彼奴は、そんな阿呆ではない



 喜八郎が思考する中、松風はその鯨のような船体を、ゆっくり……左へと回頭させた。


 虫の息のルリアリウム・レヴを総動員して、松風はふらふらと東へ……ふくしま宇宙港の方角へと、飛行を開始した。


 渇いた破裂音と共に、松風から青空に、閃光が打ち上がる。


 信号弾……撤退を示す合図だ。


 その合図を、敵方であるイナワシロ特防隊は理解する。


 しかし、防衛軍の地上部隊に気付く者は、殆どいない。


 正直の自爆によってK.M.X部隊が消滅し、混乱状態に陥っているからだ。


 各所から煙を上げながら、アイズネクストに尻を向けて、退き去っていく松風を、喜八郎はただ眺めていた。



 ――儂とお前の戦いがこんな即席ではつまらんだろう?な?松井……!



 やがて、松風の船体シルエットが、山の向こうに隠れて見えなくなる。



「松風、レーダーレンジ外に離脱します」



 薫の報告に、喜八郎はやっと溜め息を吐く。


 防衛軍は、撤退した……!



「状況、終了。皆よく頑張ってくれた……!薫君、艦内放送宜しく」



 喜八郎の安堵が、艦橋中に伝播する。


 圭院と嘉男はシート座ったまま天井を仰ぎ、薫は反対に、ディスプレイにうつ伏せになる。


 伊織と律は達成感に満ちた顔で頷き合った後、浮き足立った様相で、二人揃って喜八郎を見た。



「時緒に会いに行っても良いですか!?」



 伊織の問いに、喜八郎は確りと頷いた。



「勿論、その前に船を自動航行モードに移行しておきなさい。予定通りに会津若松へと向かう。……儂も孫たちを叱りに行かなくては」



 ずれかかっていた艦長帽を直して、喜八郎も艦長席から立ち上がろうと――



「すみません」



 その時、大竹と渡辺が同時に起立して、喜八郎たちをぐるりと見渡す。


 悔いているような、大竹の表情――



「時緒君の身体について、話しておきたいことが……」



 喜八郎たちは揃って、緩みかけていた表情筋を、きゅっと引き締めた。




 ※※※※




『戦闘行動終了!艦内の非常臨戦態勢を解除します!お疲れ様でした!』



 非常態勢解除!外に出れる!


 薫による艦内放送が終わるや否や、真琴はティセリアに修二、ゆきえと共にリタルダのハッチへと殺到した。



「リースンさんお願い!ハッチ開けて!!」

「は、はい!!」



 真琴の凄まじい気迫に気圧され、リースンは慌ててディスプレイを操作した。


 リタルダのコクピットハッチが開く。


 ハッチが開ききるのを待てない!真琴はハッチの隙間を這いつくばるような姿勢で抜け出し、キャットウォークの床を踏み締めた。


 眼鏡がずれたが気にしてられない。そのまま、脇目もふらず、真琴はリタルダの直ぐ隣に立つエクスレイガに向けて駆ける。



「ぁ……っ!」



 眼鏡がずれている所為で視界が霞むが、それでも真琴は確と見た。


 大きな二本角に鋭い目。改めて見ると、少し怖い顔をしているエクスレイガの……。


 その、背中のコクピットハッチが、開いて……。


 中から、細身の男の子が、出て来た……!


 あの焦げ茶色の髪。間違い、ない!


 ずっと、会いたかった……!


 やっと、会えた……!


 極度の幸福と、緊張に、喉が痙攣する。


 涙が出て、視界が更に滲む。


 しかし、それでも、真琴は力の限り、その男の子の名前を……大好きな男の子の名前を叫んだ。



「時緒くんっっ!!」



 真琴の叫びに、時緒は振り向いて、柔らかな笑顔を浮かべた。



「ただいま……真琴……!」



 自分の名前を呼んで頭を下げる時緒に、真琴は涙が止まらなくなってしまう。



「……お、おか……おが……おがえり……どぎおぐん!!」



 涙声を迸らせて、真琴は時緒のもとへ駆け寄り、



「……!」



 時緒の胸板に、自分の顔を埋めた。



「真琴……!?」



 時緒の、細身の割りに分厚い胸板の感触が心地好い。


 抱き付くなんて……真琴は、今の自分の大胆さに、いささか驚いた。


 時緒は驚いた顔をしたが、拒絶したりはしない。それが嬉しかった。


 なので、しばし真琴は、極限状態が生み出した大胆に身を任せることにした……。



「おかえり……なさい……!」

「うん……ただいま……ただいま……!」



 時緒の手が、真琴の二の腕に添えられる。


 掌の熱が伝わって、真琴は嬉しくて蕩けそうになってしまう。


 二人きりだったら、どれだけロマンチックだったろう……?


 しかし、それは余りに贅沢過ぎると、真琴は思った。




「うゆ~~~~ん!トキオゆ~~~~ん!!」

「時緒兄ちゃ~~~~ん!!」

「………………」



 時緒の左右の足に、其々ティセリアと修二が、背中にゆきえが抱み付く。



「「お~~い!時緒コノヤロォ~~~~!!」」



 キャットウォークの彼方から、整備班の面々が群れを成して駆けて来る。


 少し心惜しいが、真琴は時緒を独り占めにはしない。


 皆、時緒が大好きなのだから……。



「みんな、痛い!痛いですって~~!!」

「心配したんだぞコノ~~!!」

「よく帰って来たなコノ~~!!」

「時緒うゆ~~ん!さびしかったのョ~~!あたしリースンたちと仲直りしたのョォ~~!!」



 ティセリアや整備班員たちに揉みくちゃにされ、時緒は苦笑する。



「マコっちゃん小腹が空いたにゃ。グミちょうだい」

「もうちょっと待って」



 真琴は、直ぐ隣で物欲しげな顔をする佳奈美を適当にあしらって、時緒を眺めた。時緒がいる現実を噛み締めた。


 やがて――



「そう言えば……」



 修二を肩に乗せながら、時緒は真琴に尋ねる。



は?」



 何も知らない時緒の問いに、その場の空気が、若干凍った。


 整備班員たちは気まずそうに顔を俯かせ、ティセリアは不愉快げに頬を膨らませる。



「……?」



 皆の雰囲気を察知した時緒が、何事かと首を傾げる。



「……芽依子ちゃんは……」



 意を決した真琴が、時緒に、芽依子の出奔を告げようと――



「時緒ッ!!」



 その時、近くのエレベーターが開いて、中から圭院が飛び出して来た。



「今すぐメディカルルームに来い!精密検査を行うっ!!」



 焦燥の顔の圭院は整備班員たちを押し退け、時緒の腕を強く掴んだ。



「圭院先生?何が……?」



 困惑する真琴に、圭院は顔をしかめる。


 心底、悔しそうに……。



「真琴、ゴメン。言いそびれた……」



 時緒は、後頭部を掻きながら、苦笑して……言った。



「僕、目が視えなくなっちゃった……」




 続く

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