ずっと君のままでいて……
夏休みになってから、佳奈美は……全く勉強をしなかった。
学習机の上には、グミの空き袋やゲームのパッケージが散乱し、修了式以降開けていない鞄の中には、全く手付かずの課題……。
汚れどころか、折り目すらも付いていない冊子の数々に、流石の佳奈美も青褪めた顔で立ち尽くした。
「やっべぇにゃ……」
明後日から、二学期が始まるというのに……。
今、佳奈美が出来ることは……。
「取り敢えず……掃除をするにゃ……」
そして佳奈美は黙々と……部屋の掃除を始めたのだった……。
終ぞ、夏休みの課題に手を触れることは……無くて……。
****
(さぁ時緒くん!私に甘えに来なさい!)
この間、薫と一緒に見たロボットアニメに登場した敵女性士官の台詞を心中で真似ながら、芽依子は基地の入り口で仁王立ちして時緒を待った。
「はい、王手…っと」
「ま、待て森一郎!待っただ待った!」
「はいはい、何回でも待ったしましょう」
「ぐ……こいつに将棋教えるんじゃなかった……!」
傍らでは、牧と麻生が、外に出した縁台の上で将棋を打っていた……。
芽依子はすっかり、シーヴァンに敗けて意気消沈している時緒が帰って来るのを信じて止まない。
悔しそうに首を垂れる時緒……。不謹慎かもしれないが、芽依子はそんな時緒が可愛いくて可愛いくて仕方が無いのだ。
やがて、基地の脇の林道から人影が二つ、歩いて来るのを芽依子は確認する。
ガサガサと腐葉土を踏んで、人影の一つは胸を張って堂々と、もう一つは肩を落として……如何にも落胆しているといった風体だ。
ほら見たことかと、芽依子は猛る母性本能に瞳を煌めかせた。
『ぐすん、また負けちゃったよ姉さん……』と落胆する時緒を『よしよし』と慰めるのだ。
やがて時緒は笑顔になって『そうだね!ネバーギブアップだ!』と言う。
そこまでの仕草が可愛いのだ……!
そうこう芽依子が(薫によって鍛えられた)妄想をしているうちに、人影が陽の下にその姿を晒す。
「時緒くん!今日も惜しかったですね……」
芽依子は聖母の微笑で、両腕を広げーー
「…………はい?」
そのままの格好で……首を傾げた。
「…………」
肩を落としていた人影は、シーヴァンであり……。
肝心の時緒はーー
「やぁ姉さん!ただいま!!」
満面の笑顔で、意気揚々と歩いて来た。
その顔に悔しさは一片も無く、ミニタオルで汗を拭う頬は、溌剌とした健康的な朱に染まっていた。
「えっと……?何が……?」
頭の中をハテナマークでいっぱいにする芽依子に、暗い表情のシーヴァンが音も立てずに近寄って……
「トキオにしてやられました……」
「え……!?」
「その通りの意味です。俺がトキオに敗けたのです……」
吃驚する芽依子の目の前で、シーヴァンは心底悔しげな溜め息を吐いた……。
****
十数分前ーー。
木の幹を蹴り上げて、時緒は高く高く跳躍する。
とどめを刺すつもりか!シーヴァンは光刃を構え、上空の時緒に向かって対空迎撃の姿勢を取る。
地の利を活かし、今の今まで時緒はシーヴァンを翻弄していた。
だが……!
(功を焦ったか!)
時緒の様を見て、シーヴァンは思った。
あれだけ高く跳躍すれば、その長い滞空時間の間に、迎撃法がいくらでも編み出せてしまう。
しかも、滞空している間は、引力に身を任せている時緒は回避が出来ない。
(貰った……!)
今度こそ、シーヴァンは己の勝利を確信した。
しかし、ルーリア騎士たるもの、最後まで手は抜かない!
真っ直ぐ落ちて来る時緒に、的確に剣を当てーー
「ふ……っ!」
次の瞬間、シーヴァンの視界から時緒の姿が消えた。
「……っ!?」
シーヴァンは驚き、言葉を失う。
山吹色に輝く光刃が、時緒を狙った筈の刃が虚しく空を斬った。
空中の時緒は落下の最中、直ぐ横の大木に剣の柄を当て、その身体を咄嗟に真横に跳ねさせたのだ。
シーヴァンはそのことにやっと気付くが、その時にはもう、時緒は着地に成功し、伽藍堂になったシーヴァンの脇腹目掛け、疾駆していた。
「隙を作る為に跳んだかっっ!!」
まさかここまで
激情のままシーヴァンは叫び、慌てて光刃を振り下ろした、が……!
絶好の勢いを会得した時緒の光刃は、見事なにシーヴァンの光刃を弾き飛ばす!
「…………」
「…………」
………………。
聞こえるのは、裏磐梯の木々が風にそよぐ音だけ……ら、
激しい『動』から一転、穏やかな『静』が、時緒とシーヴァン、二人の少年を包み込んだ……。
「……驚いた」
嬉しいやら悔しいやら、シーヴァンは複雑な苦笑を浮かべる。
その首筋には……。
時緒の……翡翠の輝きを放つ光刃が、ピタリと当てられていたーー。
****
「おじさん、ここ動かした方が良かったんじゃ?」
「えっ!?わ、分かっとる!お、俺もそうしようとしていたんだっ!」
麻生と牧の一局に口を出す時緒を見遣りながら……
「まさか……?時緒くんが……?」
狐なつままれたような声色で呟く芽依子に、シーヴァンは静かに首肯して見せた。
「終始落ち着いた冷静な挙動でした。今までとは大違いです。周囲環境の空間把握も完璧でした」
「シーヴァンさん……?貴方また手加減を……?」
シーヴァンは即座に首を横に振った。
「一体、どんな心境の変化があったのか……今日のトキオはまるで別人のようで……」
するとその時、基地の二階の窓が開いた。
中からリースンが顔を覗かせ、嬉しそうに眼下のシーヴァンに手招きをした。
「シーヴァンさん!マリコさんにスキヤッキーの作り方教わったんです!味見してみてください!!」
「何っ!?スキヤッキーだと!?」
途端にシーヴァンは目を輝かせ、芽依子に「では、失礼!」と一礼すると、足早に基地の中へと入っていった。
暫くして……
「美味いっ!美味いぞリースンッ!」
「ほんとです!?ああ良かった〜〜!」
基地内から聞こえる、シーヴァン達の楽しそうな声を聞きながら、芽依子は今一度、時緒に目を向けた。
「むぅ時緒!お前に見られると気が散るっ!昼飯でも食って来なさいっ!」
麻生に邪険にされた時緒は頭を掻きながら、芽依子の元へと歩み寄ってきた。
「姉さん、シーヴァンさんと何話してたの?」
「時緒くんのことです。凄く強くなっていてビックリしたと……」
芽依子が応えると、時緒は恥ずかしそうに微笑んで、首を横に振った。
「今日は偶々だよ!調子が良かっただけさ!」
時緒は笑う。
シーヴァンの言う通りだと、芽依子は思った。
風に焦げ茶色の髪をなびかせ、中性的な瞳を細めるその顔は、何処か大人びているようにも見えて……。
芽依子の芯が、微かに疼いた。
「時緒くん、肩に葉っぱ付いてます」
「え?どこ?どこ?」
「今取ってあげますね」
時緒の肩に付いたコナラの葉を取る次いでに、芽依子はそっと……時緒の肩甲骨に掌を充てる。
逞しく成長した、時緒の肉体。
芽依子は改めて思う。
もう、子どもの頃とは違う。再会した頃とは違う。
時緒は日に日に成長している。
あの、泣き虫だった男の子が。
身体も……
そう考えると、芽依子は己の目尻が熱くなるのを感じる。
これでは、時緒を甘やかすつもりが……寧ろ……。
「……時緒くん?」
「何?」
首を傾げる時緒に、芽依子は精一杯の笑顔で……寂しいような、嬉しいような……そんな笑顔で……。
「時緒くんはいつまでも……時緒くんのままでいてね……」
「え……?」
「じゃないと……お姉ちゃんは寂しくて……泣いてしまいますっ!」
****
日本国内、某所ーー。
轟々と燃える基地施設を、防衛軍兵士達は、ただ呆然と見つめていた。
一体、何が起きたのか……!?
突然、天から光が射して、あっという間に基地は壊滅した。
戦車を、戦闘機を、基地を構築する鉄骨を瞬く間に溶かしながら、人体に全く害を及ぼさない。
ルリアリウムの光に……!
「あっ!」
基地の購買所で勤めていた中年女性が、驚異の眼差しで炎の彼方を指差すと、焼け出された兵士の誰も彼もが、彼女の指先……その延長線上に目を遣る。
揺らめく炎の中に、巨大な何かが居る!
ヒトの……巨大なヒトのシルエットが、瓦礫を乱暴に蹴り上げ、その身を誇示するかのように両腕を広げていた!
「あれは……!?」
その姿は、テレビを観る者ならば誰もが知っている……!
頭部に在る左右一対の角。大きく出張った肩。そして……体躯を彩る白と青のカラーリング。
「まさか……!?」
「何故、俺達の基地を!?」
「嘘だろ!?」
「そんな……!?」
目撃者の誰もが己の目を疑った。
その巨人の姿は……。
まさしく……エクスレイガ!!
続く
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