クォ・ヴァディス



「…………」



 真理子は微動だにせず、タブレットの画面をじいと見つめる。


 画面に映る、を前にした真理子の顔は……



「何じゃコリャ……」



 怒りも悲しみも、無い。


 ただただ……真理子は呆れ返っていた。



『エムレイガのデータを盗んだのです。エクスレイガの紛い物くらい容易いでしょう……?』



 タブレットから声が聞こえる。


 幾度となく真理子に防衛軍側の行動を密告リークしてきた男、渡辺 晴明わたなべ せいめいものだ。



『如何でしょうか?』

「如何も何も……この映像本物か?」



 未だに渡辺がどんな人間おとこか、信用し切れない真理子はしかめ面を作って、タブレットのマイクに向かって問いかける。



『幾らでも調べて貰って構いませんよ。私も最初から丸々信じ込まれると……それはそれでやり辛いので』



 揺さぶりを掛けたつもりだったが……。


 笑いを含んだ渡辺の回答に、真理子はフンと鼻を鳴らす。


 実は、渡辺から連絡を受けて直ぐに、真理子は映像処理判別ソフトをこの動画に使用していた。


 結果は、真実シロだ。


 判別ソフトは中学時代の正文がプログラミング作製して、その上真理子自身が監修した代物だ。


 女湯に侵入したいが為だけに光学迷彩マントを自主開発した正文ヤロウが、アダルトビデオのモザイクを消去せんと寝る間も惜しんで作製したのだ。信頼性は折り紙付きだ。



『現在軍内では厳重な緘口令を敷いています。この動画が公になるのはもう少し先でしょう』

「なるヘソ……んのか……」



 真理子の呟きに渡辺ははいとも、いいえとも言わなかった。



で、私達を潰しに掛かるか?」

『準備するに越したことは無いでしょう?……これ以上の通信は幾ら私でも傍受される恐れがあります』

「へいへい、密告チクりありがとさん」

『では……』



 渡辺からの通信が切れて、【道の駅いなわしろ】の駐車場に停めた愛車ジムニーの中で、真理子は溜め息を吐く。


 もう一度、真理子は動画を見遣る。



「時緒や薫的に言えば……〈エクスレイガ海賊版ブートレグ〉……ってな具合か……」



 画面の中の、エクスレイガに酷似したシルエットを、真理子は指先でつつく。



「造形が甘いな。私のエクスはもっと尖る所は尖っていてかっこいい……」



 その時、携帯端末の着信音が鳴った。


 真理子はうんざり顔で端末を起動する。



『……私だ』

「お、

『首相権限で縛り首にしてやろうか?』



 バリトンの効いた女の声。


 その主は、イナワシロ特防隊の協力者の一人、|尾野中 千尋〈おのなか ちひろ〉……現



「こないだ贈った馬刺しどうだった?」

『もう美味くてあっという間に無くなって家族間で骨肉の取り合いに……』

「…………」

『……私は世間話をしに来たのではない』



 受話器の向こうから聞こえる尾野中総理の咳払いを、真理子は愉快に嗤った。



『充分余裕な声色じゃないか。軍部がかなりキナ臭くなってるぞ?大丈夫なんだろうな?』



 念を押す尾野中総理の声色に、「モチのロンさ」と、真理子は目を細め……運転席から外の駐車場を見た。



「息子達を更に成長させるまたと無いチャンスだ」



 道の駅の駐車場の片隅で、旅の準備を終え、別嬪号バイクに跨る正文を、時緒達が囲んでいた。


 真理子の目が、決意に鋭く光る。



「〈アイズ・ネクスト〉の竣工を前倒しにする」

『ルーリア決戦用の艦を軍にぶつけるのか?間に合うか?』

「艤装はもう完成してるし……恰好の標的だ。肝心のも、とっておきの人材を用意しといたぜ……!」



 そして……。


 真理子は携帯端末の写真フォルダから、一枚の写真を選んで、尾野中総理へと送信した。



『……!成る程そうか……!あの男も、今は猪苗代に……!』






 ****






「正文……?ちゃんと着替え持った……?」

「応よ時の字……勝負用のハート柄パンツを5枚も入れたぜ……」

「学校には言っといたのか……?」

「応よ伊の字、昨日小関先生コッセンに暫く休学するって言っといたぜ……。一応、主水会長にもな……」




 磨き上げられた別嬪号の黒いボディーに、颯爽と跨る正文に、時緒と伊織は名残惜しげに笑って見せた。


 寂しげなのは、時緒と伊織だけではない。



「正文さん……他の女の子にイタズラしちゃ駄目ですよ……」

「平沢くん……絶対警察のお世話になっちゃ駄目だからね……」




 瞳を伏せながら、さり気なく失礼なことを宣う芽依子と真琴にーー



「お、応……」



 正文は、先程まで浮かべていた気障な笑みを微かに引きつらせた……。



「「…………」」



 時緒、芽依子、真琴、伊織、そして、正文……。



 夏休みの終わりを迎えようとする、そんな彼等の目の下には……。


 寝不足を原因とした、が出来ていた。



「みんな変な顔にゃ〜〜!」



 かんらかんらと、溌剌とした佳奈美が笑うがーー



「「ああ……っ!?」」



 時緒達に一斉に睨まれ、佳奈美は後退りした。



「誰の所為だと思ってるんだ!」

「オメェの課題手伝って俺ら徹夜したんだよ!」

「何で出立する前に一日徹夜ワンテツしなきゃならねぇんだ」

「全部手付かずなんて……佳奈美さん貴女良い加減にしてくださいな!?」

「佳奈ちゃん……いつか絶対天罰降るよ……」





 時緒達は、昨晩を思い出す。


 課題を包んだ風呂敷包みを背負って椎名邸に突撃した佳奈美の阿呆面を……。


 皆を招集して、やっと課題を片付けたのに、一人夢の中へと落ちていた佳奈美の寝顔を……。


 皆、怒り心頭だった。


 たった一人……



『カナミさんの為なら、一日だって一ヶ月だって徹夜して見せますよーーッ!!』



 ただ一人、佳奈美に恋い焦がれるラヴィーだけが嬉々としていたが……。




「にゃ……感謝してます……ハイ。反省してます……ハイ」



 まさに、非難轟々だ。


 極めて温厚な真琴にまで険しい目付きで睨まれ、これには流石の佳奈美バカも居心地が悪そうに縮こまり、皆の機嫌を伺うように右往左往するしか出来なかった。



「…………」




 時緒は周囲を見渡して、溜め息を吐いた。


 一応、連絡はしてみたのだが……。




 律は、来なかった。




「……時の字、これで良い」



 落胆してしまっていた時緒の背中を、正文は優しく小突いて見せた。



「今、律と面と向かっていたら、俺様と方が小っ恥ずかしくなっていた所だ……」

「正文……」



 すると、正文は時緒の肩をグイと掴んで引き寄せ、吃驚した時緒の耳元に、そっと囁いた。



「……戦え、時の字」

「え……?」

「戦い続けろ。挫けても良い。立ち上がれ。何度でも。そして……お嬢や真の字の笑顔を護り続けろ」

「…………」

「それが……お前の……お前にしか出来ない使命だ……!」



 時緒は、正文に示されるまま、昇り始めた朝陽を背にした、芽依子と真琴……掛け替えの無い、二人の乙女の笑顔を目に焼き付ける。



「そして……お前も……たった一人を……共に歩むひとを……選ぶ日が……きっと来る!」





 ****





「じゃあな……お前達!」



 いきなり正文はアクセルを噴かし、別嬪号を急発進させる。



「正文!」

「正文!」

「正文さん!」

「平沢くん!」

「正文ぃ!」



 背後から時緒達の声が聞こえるが、正文はピースサインを掲げ、振り返らない。


 振り返って時緒達を見たら、名残惜しさが再燃する。何よりも、余所見は道路交通法違反だ。



 暫しの別れだ……友よ……!



 必ず小名浜へ……イナワシロ特防隊第二支部へと辿り着き、必ず力を手に入れる。


 シェーレを再び迎えられるように……!



「に……ちゃ……ん!」



 ふと、聞き慣れた声が聞こえて、正文は目だけを動かし、周囲を見渡す。


 視界の左側。


 やや垂れ始めた稲穂の絨毯の中を、何やら長方形の幕らしきものが揺らいでいる。


 その下には小さな人影が三つ。


 案山子か……?




「にいちゃ〜〜ん!」



 案山子ではない。


 弟の修二だ!



「にいちゃ〜〜ん!」

「マちゃフミうゅ〜〜!」

「〜〜〜〜!」



 修二と、ティセリアと、ゆきえだ。


 畦道の真ん中で、三人は時折飛び跳ねながら、正文に向かって掲げた白幕を揺らしていた。


 白幕には、お世辞にも綺麗とは言えない文字でーー



【にいちゃん がんばわ!】



【れ】がどう見ても【わ】にしか見えないのが、逆に愛らしかった……!



「にいちゃ〜〜ん!がんばれ〜〜っ!」

「じぇったいにかえってくるのョ〜〜ッ!」

「…………!」



 正文は、心に溢れて止め処無い、熱い想いを必死に堪え……修二達に向かって高く親指を立てサムズアップしながら、別嬪号を更に加速させる。



 正文の目の前に、猪苗代湖が広がる。



 美しく、雄大な水面の群青を確と覚えてーー



「暫し然らばだ……!猪苗代!!」





 友や弟達の声援を胸に、正文は笑顔で猪苗代に……美しき故郷に暫しの別れを告げた。


 必ず強くなって、帰って来ると誓って……!





 ****






 猪苗代湖沿いの国道四九号線を、緑の木々に囲まれたレイクサイドロードを颯爽と駆け抜けていく、正文の別嬪号……。


 それを、空高くから見守る、巨影が三つ。



「……行ってしまったか。寂しくなるな……」



 一つはシーヴァンが駆る専用騎甲士ナイアルド〈ガルズヴェード〉。



「大丈夫かなぁ?マサフミ……」



 一つはラヴィーが駆る量産騎〈ゼラ〉。



 そして……。



「なに、奴ならきっと……叶え果たして帰って来るさ」



 カウナ専用の〈ゼールヴェイア〉だ。



「だろう?リツ?」



 操縦宮を解放し、笑いながら問い掛けるカウナにーー



「……ああ!」



 ゼールヴェイアの掌の上に腰掛けながら……。


 美しい黒のポニーテールと巫女装束を風になびかせて……。




「もし中途半端に帰ってきたら、私とお前で蹴り飛ばしてやろう!カウナモ!!」




 律は不敵な……それでいて屈託の無い笑顔で、カウナに即答した。




 ****




 猪苗代の夏が終わる。



 少年を成長させた夏が終わる。


 少女をときめかせた夏が終わる。



 そして……。



 混沌の秋が始まる。





 続く

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