第九章 彼女たちの新たな……
さよならリトル・マーメイド
「お前は……
『ええ……私は……
澄み渡った意識の海の中で。
目醒めたシェーレは己と……記憶を失っていた間の
不思議な感覚だ。こうやってもう一人の自分と向き合うことは、まるで鏡を凝視し話しかけているようでこそばゆい。
だが……。
「そうか……」
シェーレは、何となくだが理解した。
記憶を失っている間、自分が……忌み嫌っていた筈の地球で……地球人によって、優しい時間を過ごさせて貰っていたことを……。
「……楽しかった…か?」
『ええ、地球の……イナワシロの人たちは、みんな優しく私を迎えてくれた……』
「そう、か……」
そんな者たちが住む場所を、自分は一方的に蹂躙しようとしていたのか……。
騎士道不覚悟どころではない。ただの人でなしだ……。
「メイにも……見放される訳だ……」
シェーレはほとほと自分が嫌になって、自嘲に嗤って瞳を閉じる、が……。
『でも……私はもうお終い』
「なに……?」
シェーレは顔を上げて、息を飲んだ。
目の前の
徐々に……消えていく……!
「ま、待て!何故……!?」
『当然でしょう?貴女が目を醒ましたんだから……私の役目は……貴女の脳が防衛反応で作った
「そんな……!」
このまま消えて無くなるのか……!?
それでは、お前は……あまりにも……!
感傷的になってしまうシェーレを、
『私はいなくならないわ』
「え……?」
『私は貴女の記憶の一部になって……貴女と一緒に……これからも生きていく』
「記憶の……一部……?」
暖かくて、柔らかい手……。
メイアリアの傍に居ようと、緊張に強張っていた自分と同じ手とは思えなくて、シェーレは仮初を惜しんだ……。
「……お前じゃなく、私が消えれば良いのに……」
『だから……消えるんじゃないの。ずっと一緒よ……。それに……貴女じゃなきゃ駄目……』
そして、シェーレの前で、
『大丈夫よ。貴女は……挫折を味わった今の貴女は……こんなにも優しいのだから……』
記憶と引き換えに
『マサフミ……ありがとう……』
光の泡となって……
「……………………」
優しい記憶。人々の暖かい笑い声。
そして、自分の身体を優しく抱きかかえる、少年の武骨な手。恥ずかしそうに笑う、少年の顔ーー。
「そうか……この気持ちが……」
シェーレの頬を、熱い涙が一筋……伝った。
"マサフミ……貴方に会えて……幸せだった……"
****
「……
気絶した正文とカウナを抱えたまま、寒気のする声を発する夫
「子どもたちの喧嘩を仲裁する立場にある君が……何やってるんだい?」
怒っている。滅茶苦茶怒っている。
「ナナナ、
文子は慌てて正文とカウナの喧嘩を囃す為に頭に巻いていた【喧嘩上等】と達筆で印されたハチマキを脱ぎ捨て、両手に携えていた応援用サイリウムを放り投げる。
文子は目を泳がせ、知らぬ存ぜぬの口笛を吹いて、その場を逃れようと後ずさるがーー
「………………」
「げっ……ゆきえちゃん!?」
いつの間にか帰宅していたゆきえが、手を広げて文子の退路ーー平沢庵の玄関を通せんぼしていた。これでは逃げられない!
「フ・ミ・ちゃん……?」
冷たい笑顔
背後ではゆきえが眼を爛々と光らせている。
打つ手なしと悟った文子は敗北を認め、「だってぇ!」と半泣き顔で夫を睨み付けた。
「最近面白いこと無かったのよォ!」
大人げなく両腕を振り回して抗議する文子に、呆れた
「まぁ……
「ちょ!?
「
「
「問題は……」と、
其処には、蹲り、修二と律に背を摩られるシェーレの姿があった。
先ほどの叫び。カウナを『カンクーザ』と叫んだ辺り。
彼女は……矢張り記憶が……。
「……卦院の言う通りにはなったけど……」
そう呟き、
「……先生に連絡しといた方が……良さそうだね……」
****
「シェーレ姉ちゃん!シェーレ姉ちゃんっ!!」
「大丈夫かお前っ!おいっ!?」
修二と律が呼びかける懸命な声にーー
「だ、大丈夫だ……!」
シェーレは荒い息を吐きながら、確と頷いた。
覚醒の反動である、身体の震えは段々と鎮まってきた。
「ありがとう……二人とも……!私は……もう大丈夫……だ」
呼吸を整えて、シェーレは顔を上げて修二と律を見遣る。その瞳は記憶を失っていた頃と違い、鋭く、力強い。
「シェーレ姉ちゃん…!もしかして…!」
「お前……記憶が…!?」
察した修二と律に、シェーレは静かに、だが大きく頷いて肯定を示す。
そしてーー
「シュウジ……お前は確か……ティセリア様と親交があったな……?」
「ティセリアちゃん!?」
激しく頷く修二の頭を、シェーレは笑って、優しく撫でた。
「ティセリア様に……正確にはティセリア様のお側にいるだろう……シーヴァン・ワゥン・ドーグスたちに連絡がしたい。頼めるか?」
「シーヴァン兄ちゃんだね!?わ、分かった!!」
ティセリアたちが滞在しているペンションの電話番号が記してある自分の携帯端末を取りに、修二はシェーレの部屋へ向かって走っていった。
「………………」
車椅子に座り直したシェーレは、どうか転ばないよう願いながら、走り去る修二の後ろ姿を見送ったのちーー
「……?」
シェーレはふと、視線を感じた。
見上げれば、律の瞳と克ち合った。
安堵と困惑が入り混じった、律の美しい瞳と……。
「お前……記憶が戻ったってことは……」
「…………」
「記憶を失っていた間のことは……」
「覚えている」シェーレは確と答える。
律の手が、ぴくりと震えた。
「私がしでかした愚行も……、君たち…イナワシロの人々への恩も……全部……覚えているよ」
そう言ってシェーレは「君にも頼みがある……」と、申し訳なさそうな顔で、律に向かって頭を下げた。
「な、何だ?私に出来ることなら……」
「君は……エクスレイガの操主を知っているか?」
律は首肯する。
「ああ、時緒という……」
「トキオか……。レガーラの操縦席内で彼の声を聞いた。翻訳機を持って来なかったから何を言っていたか分からなかったが……明るい……元気な声だった」
そうか……そうか……と、シェーレは苦笑しながら二度、三度頷きーー
「トキオに……謝罪をしたい。連絡をしてくれないか……?」
シェーレの願いに、律は「分かった」と即答する。
断る理由なんて、無かった。
ほんの少し、ほんの少しだけ……悔しかったが……。
律は、そう思うことにして、携帯端末を起動させた……。
続く
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