Re:memory……




 まさにカウナの言う通りだと、正文は思っていた。


 たちの悪い冗談だと、自分でも思いたかった。



『熱くなるなよ、折角の二枚目が台無しだぜ?』



 そう言って、カウナを白けさせてやりたかったが……。


 だが……。



 こんな時でも、正文の脳裏ではシェーレの姿がちらつく。


 自分が何者かも分からなかった……縁側で独り佇んだ、シェーレの寂しそうな顔がちらつく……!



 カウナの言う通り、正文のなかで、日に日にシェーレの存在感が大きくなっていくのだ。抑えようが無いのだ。



 だから……!



「いきなり蹴ってきたと思えば……ケツ痒くなるクッセェ台詞をペッラペラペッラペラ垂れ流しやがって……!」



 鈍痛いたみがはしる右脇腹を抑えながら、正文は立ち上がり、カウナを睨め返す。


 破廉恥なんぞ……正文じぶんが一番……よく分かっている……!


 腹立たしいほど……!



「倍返してやるぜ……馬鹿野郎ッ!」



 平沢庵の床を蹴って、正文はカウナ目掛け飛燕の如く疾駆する。


 呼吸と筋肉の躍動を同調させ、全身を強靭なバネへと変えた正文のスピードは、カウナの反射神経の許容量キャパシティを大幅に凌駕した。


 群青と臙脂、左右異色の正文の瞳がぎらつき、妖しい眼光が、予測不能な軌跡を宙に描く!



「な!?……っごふっ!!」



 次の瞬間、カウナは衝撃に身を仰け反らせた。



「カウナモッッ!?」律の悲鳴が迸る。



 まさに韋駄天!自らが食らった場所と同位置、カウナの右脇腹に、正文はどうにもならない苛立ちを込めた……カウナに理解して貰えそうにもない哀しみをも混ぜた拳を、撃ち込んだ……!



「がはっ……!マサ……フミ……貴様……ッ!」

「俺だってな……こんな……気持ち……ッ!」

「貴様……はッ!?」

「どうして良いか……分かんねぇんだよ……ッ!!」




 ****




 シェーレは夢を見ていた。


 楽しい夢、つい最近の……記憶を失ったシェーレにとっては数えるほどしかない……新鮮で大切な思い出。



「そら、行くぞシェーレ!」

「あ、ははっ……!待ってマサフミ!きゃ、きゃあっ!!」



 歩けないシェーレを抱えて、正文は悪戯小僧の笑みで草原を駆け抜ける。


 最初は驚いていたシェーレだが、正文が駆けるその爽快感に、瞬く間に笑顔になった。



「速いだろ俺様は?もっと速く走ってやろう……!」

「あ、ああ!」



 風が、草の香りが、シェーレの心を暖めていく。


 今では思い出せない、凝り固まった忠誠心何かを……解きほぐしていく。



「マサフミ?重くないか?」

「馬鹿野郎、お前軽過ぎんだよ……!もう少し食え。食って肥えろ……!」

「ちゃんと食べてる!昨日の夕飯……あの『サシミ』が美味かった!サシミ!アレはどんな動物の肉なんだ?」

「………………」



 正文のやや乱暴な言葉が返って気持ちが良い……。


 安心しきったシェーレは正文の、薄いようで実は分厚い胸板に頭を預ける。


 正文の鼓動が、力強く優しい鼓動がシェーレを満たしていく……。



(私は……この地球ほしの人間じゃない……それでも……)



 もし許されるのならば……地球ここに居ても良いならば……。




 …………。












「…………なん、だ?」



 床を伝う不自然な振動にシェーレは目を覚ます。


 部屋を見渡すと、正文が居ない。


 何故だろう……嫌な予感がしたシェーレは、同じ布団で昼寝をしていた修二をさすって起こした。



「シェーレ姉ちゃん……なに?」



 一週間後に出場予定の、ミニ四駆ジャパンカップで優勝した夢を見ていた修二は、起こされて若干不機嫌だった。



「何だか変な音がしない……?」

「音ぉ?」



 シェーレに言われるまま、修二は耳を澄ます。


 ……確かに。何かが割れる音、倒れる音が聞こえる……。


 修二はシェーレと怪訝な顔を見合わせた。



「……何だろ?ロビーの方から聞こえるね」

「シュウジ…済まない、気になるから……連れて行って貰えるか?」



 シェーレの望みに、時間が経って機嫌が直った修二は「うん」と快諾する。


 そして、修二は部屋の入り口に置いてある最新型の自走式車椅子へ、擬態装置(ラヴィーがルーリア本星カロト社から取り寄せた最新型)を作動させて地球人の姿を取ったシェーレに肩を貸し、半ば引きずるように運んだ。



 ばたん、どすん。



 また、嫌な音が聞こえた……。





 ****





「な……!?」

「う…わ……!?」



 車椅子を使い、平沢庵の本館へと到着したシェーレと修二は、揃って絶句した。


 廊下を飾っていた活け花はことごとく倒れ、剥がれ落ちたスキー場案内やウォーキングイベントのポスターが廊下のあちこちに散乱していてーー



「この……野郎ッッ!」

「マサフミィィッ!リツに謝れ!土下座して謝れッッ!!」

「律を幸せに出来るのはテメェだって言っているッ!!」

「まだ言うかッ!?貴様ァァァァッ!!」



 中庭で……。


 正直まさなおが折角作った枯山水庭園をを滅茶苦茶にして……。


 顔面を腫らし、唇の端から血を垂らした正文とカウナが、殴り合っていた。



「リツは……貴様の話をすると嬉しそうなんだァッ!!」



 カウナが正文の顔面に頭突きを食らわす。


 正文の鼻から、鼻血がぱっと鮮やかに散った。



「俺のことはほっとけって言ってんだッッ!!」

「シェーレ卿に逃げる気だな!?」

「分からねえってんだよおッ!!」



 返礼とばかりに、正文はカウナの鳩尾に膝蹴りを減り込ませる。カウナは苦悶に痙攣し、胃液を吐いてぶち撒けた。



「あ……あぁ……」



 二人は一体……何をしている……?


 何故、争っている!?


 シェーレはどうして良いか分からない。


 あんな鬼気迫る正文の表情を見るのは初めてだった。


 いつもの、優しい正文ではない。


 怖い……怖い!シェーレは慄いた。



「止めろ!二人とも!好い加減にしてくれっ!!」



 そんなシェーレの視界を、長くて綺麗なポニーテールが掠めた。


 律だ。


 律は声を張り上げ、正文とカウナを静止させようとしたが、二人の争いは止まらない。



「……っ!」



 ふと、律はシェーレの存在に気付きーー



「おいっ!お前っ!!」



 涙をいっぱいに浮かべた瞳で、シェーレを睨んだ。



「正文だけでも止めろッ!」

「わ、私は……!」

「正文はもう!多分!!!」



 律の叫びに、シェーレはびくりと跳ねた。


 律に気圧されたせいでもある。


 どうにかして正文たちを止めたくもある。


 だが……他に……?他に何か……大切なことが……?



(私は……私は……!?)



 戦い……争い……怒り……。現状……正文の激情……。この感じ、シェーレは……知っている……?



「う……う……ぁ!」



 ちりちりと、脳髄が灼けるような感覚に、シェーレは頭を抱えた。



「シェーレ姉ちゃん!?」

「お、おい!?」



 尋常ではないシェーレの様子に、修二と律は粟立つ。


 二人に抱えられながら、シェーレは虚ろな表情で戦う正文たちを見る。



(戦い……戦い……私は……私は……!)



 頭が熱い。燃えるように熱い!


 脳を、無理矢理こじ開けられるような……苦痛!



 知っている?知っている……!


 戦い、戦い。


 気迫と気迫。翡翠色の光刃。憎いのは白い巨人!


 そして、立ちはだかったのは……。


 愛する……愛していた……あのひと




「あ……!あ……!あ……!ああああああああ!!!!」



 振り絞るような叫びを上げて、シェーレは身を仰け反らせた。


 身を襲う熱は更に激しく、シェーレの脳を白く灼いてーー














「止めろマサフミ!!これだから……!!」






 かっと目を攻撃的に見開き、これまでの儚さを霧散させて。


 シェーレは怒号は迸らせた。



 正文とカウナは驚き、怒るシェーレを見つめる……。



 その時……。



 正文とカウナの間に颯爽と、気付く暇すら与えず、人影が割って入る。


 正直まさなおだーー。



「二人とも……喧嘩両成敗……」



 正直まさなおの、問答無用の手刀が、正文とカウナの後頭部に打ち込まれ……。




「「…………」」




 正文とカウナは二人揃って、昏倒した……。

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