第一章 トライアル

わたしのせい。きみのおかげ





「………………」





 時緒が目を覚ますと、自分の身体はベッドの上に在った。




 見渡せば、壁も家具も白で統一された部屋の中ーー。


 窓の外には青々とした広葉樹の葉が、太陽光を反射しながらそよいでいるのが見える。


 はて?と、時緒は首を傾げた。



 何故、自分はこんな所にいるのか?



 ここは何処なのか?



 いや……そもそも……。



 自分は……何なのか……?



『しいな ときお』という自分の氏名は分かる。


 だが、その他の記憶が無い。


 何処に住んでいるのか?


 どんな食べ物が好きなのか?


 仲の良い友達は?


 まるで頭の中を綺麗さっぱり洗い流したかのよう。


 何も……思い出せない、思い出せなかった……。





 その時、ドアが音も無く開いた。


 時緒がドアに目を遣ると……。



「ぁ……っ!?」



 一人の少女が、ドアの縁から顔を覗かせてこちらを見ている。


 大きな琥珀色の瞳、セミロングの銀髪の、可愛いらしい少女だった。


 しかし、少女の頭に巻かれた包帯は、時緒に若干痛々しい印象を与える。



「「……………………」」



 時緒と少女の視線が合い、二人の間に数秒の沈黙が訪れた。




「トキオ……トキオッ……!」



 少女は覚束ない足取りで時緒へと駆け寄り、時緒の小さな身体をひしと抱きしめる。


 時緒は凄く驚いた。


 凄く驚いたが、決して嫌な感覚ではない。


 微かなバニラに似た、震える少女の体臭が、鼻を優しくくすぐる。


 暖かかった……。



「トキオ……良かった……良かった!目を覚ましたんだね!」



 少女の目尻から涙が、ぽつぽつと音を立ててシーツに落ちていく。


 時緒は首を傾げた。


 この子は何故泣くのだろう?


 僕が……何かしたのか?



 時緒は一生懸命に考えるが、矢張り、何も思い出せない。



 涙を流しながらも微笑む、この少女の名前すらーー。



「お腹は空いてない?お水持ってくる?そうだ!ご本とおもちゃをーー、」



 息を巻いて尋ねてくるこの少女に、時緒は緊張しながら尋ねてみた。


 だって、ーー。





「ぼくはときお!しいな ときお!きみのおなまえはなに?」




 ーー少女の笑顔が凍りついて、大きな涙が一つ、虚しく頬を伝った。





『記憶を有していないとはどういう事だっ!?それでも貴様、我が輩と同じプー・ニャン人か!?プー・ニャンの医者かぁっ!!』

『あ、あの黒焦げの状態から基礎人格を再生出来ただけでも……奇跡なんですっ!!』

『とっつぁん……もう良い!息子が無事ならそれで……それで良いんだ……っ!』





 部屋の外で誰かが騒いでいるようだ。


 首を傾げる時緒の前で、呆然と立ち尽くす少女の頭から、包帯がはらりと解けて落ちる……。



「ごめん……なさい。ごめん……なさい」



 その少女の頭には……。




「わたしの……せい……!みんな……わたしの……せい……!」





 左側が大きくケロイド状になって欠けた、狐めいた耳が生えていた。






 ****






「っ……!」



 びくりと四肢を痙攣させて、時緒は跳ね起きる。



「………………」



 夢を見ていたようだ……。


 幼い頃の夢だったような気がするが、よく覚えていない。


 何故だか、罪悪感めいた後味の悪さが、覚醒したての時緒の頭に引っかかっていた。



 何か、取り返しのつかない事をしたような……。



 時緒は辺りを見回した。


 家じゃない……?


 視界に映るのは、暗く沈黙したディスプレイと、半球型のスクリーン。


 背中の感触は、低反発ウレタン製のコクピットシート。


 エクスレイガのコクピット内だった。


 何故コクピットの中で寝ていたのか?



「あぁ……そうだ」



 独り言ちながら、時緒は自分の置かれた状況を自己確認する。



『夜中しか区域閉鎖出来なかったので〜……エムレイガ の模擬戦闘は夜中やりま〜す……』

『え〜〜〜〜〜〜!?夜中〜〜〜〜〜〜!?起きれるかな〜?』

『おめぇこないだカブトムシ捕りに夜中出てっただろうがッ!!』





 先日真理子に言われた事を思い出した。



 完成したイナワシロ特防隊の量産型ロボット《エムレイガ 》。その試験模擬戦闘トライアルが開始するまで、エクスレイガのコクピット内で仮眠をとっていたのだった。


 時緒は欠伸を噛み殺しながら、パイロットスーツの耐水耐衝撃ポケットから携帯端末を取り出す。



 液晶画面に映る時刻は、午前三時半ーー。



「時緒くん?」

「はいっ!」



 背後から響く凛とした声に、時緒は条件反射的に返事をする。



「あら……起きてらしたんですね」



 芽依子だった。


 外気を取り入れる為に開放されたコクピットハッチの端から顔を覗かせた芽依子は、暗がりの中に浮かぶ時緒の顔を確認すると、琥珀色の瞳を細めくすりと優しく微笑んだ。



「サンドイッチ持って来ましたが……食べます?」

「勿論!頂きますっ!!」



 丁度小腹が空いていた所。時緒は芽依子に手招きされるままコクピットを出る。



 浄土平レストハウスの駐車場に、エクスレイガは片膝をついて待機していた。その肩部装甲の上で時緒と芽依子は並んで座る。


 天に浮かぶ満天の星光が、時緒達の眼下に広がる浄土平の、荒涼とした大地を照らしている。



「すごい星……!」

「流石、福島で一番宇宙に近い場所……!」



 並んで星空を見上げ、時緒と芽依子は感嘆の声をあげる。


 ーーあと一時間少しで夜明けだが、真夏の夜闇は未だ深い。


 しかし、星空を楽しむには充分な、神秘をはらんだ美しい闇だった。




「さあ召し上がれ」



 懐中電灯で照らしながら、芽依子は携えていたバスケットを開けた。


 中には、掌サイズの長方形に切られたサンドイッチがぎっしりと詰まっていた。



「伊織さんのお母様に教えて貰ったんです。タマゴにツナにソースカツ、フルーツもありますよ!」

「好きな物しか無いっ!いただきます!!」



 時緒は芽依子に向かって手を合わせると、先ずは大好物のタマゴサンドを取って齧りつく。


 尊いタマゴサンドの美味に、時緒の顔が綻ぶ。粗めに砕いた茹でタマゴの歯応えが嬉しい。


 ツナサンドのさっぱりした塩味も、甘辛いソースがさくさく衣に絡まるカツサンドも絶品だ。



「……美味しいです?」

「美味いっ!」



 時緒の即答に、芽依子は心底幸せそうに笑った。


 あまりに美味しくて、口いっぱいに詰め込み過ぎてしまったソースカツをなんとか嚥下すると、時緒は芽依子に向かって深々と礼をする。



「ありがとう、芽依姉さん」



 いきなり時緒が頭を下げるものだから、芽依子は笑顔の中に、ほんの少しの驚き混ぜた。



「そんな畏まる程美味しかったですか?また作りますね」

「あ、いや、サンドイッチも美味かったけど」



 すると、時緒は正座をして芽依子と向き直る。


 巨大ロボの肩の上で正座するパイロットというのは、なんともシュールな光景である。



「改めてだけど……今の今までエクスレイガで戦って……シーヴァンさん達と分かり合えたのは……姉さんが僕を鍛えてくれたからだと……思ったから」



 そう真面目な面持ちで言う時緒を、芽依子は瞳を丸くしながら眺めたのち、少しだけ意地が悪そうな声色を作って応えた。



「……最初に、時緒くんがエクスレイガに乗ろうとした事、反対したの私ですよ?」



 そんな事もあったと、あの時は色々無茶をしたと、時緒は恥ずかしくて苦笑した。



「でも、最終的には乗せてくれたろ?」

「それは……ええ」



 今度は芽依子が苦笑する番だった。



「芽依姉さんが許してくれたから、僕はエクスに乗ってられるんだ。姉さんのおかげだよ。姉さんのおかげで、今の僕がいるんだ」

「………………………………」

「ありがとう。芽依姉さん」



 ………………。


 …………。


 ……。



 数十秒、芽依子は沈黙した。


 高標高の冷たい風が吹いて、芽依子の長い亜麻色の髪を夜闇に舞わせた。


 星々を背景に佇む芽依子の姿は、まるで出来過ぎた絵画のようで、時緒は少しセンチメンタルな感覚を覚えた。



「……それは……私のほう」



 不意に芽依子が手を伸ばして来たので、時緒は咄嗟にその手を掴む。



「時緒くんがいてくれたから……私は今も猪苗代ここに居られるの……」



 暖かいが、少し震えてる、芽依子の掌の感触ーーその体温。



「……ありがとう…………トキオ…………」



 そう言って、芽依子は再び微笑を浮かべた。


 頬を伝う涙が、星の煌めきを反射して輝いていた。





『時緒、芽依、そろそろ試験を始めっから、準備しろ』



 携帯端末から聞こえる真理子の声が、時緒と芽依子を現実へと戻す。



「じゃあ……時緒くん、頑張ってくださいね!」

「う、あ……はいっ!」


 涙を拭い、鼻を啜りながら、芽依子は無理矢理な笑顔でエクスレイガを降りようとする。


 風が吹いて、普段は髪に隠れている芽依子の耳を露わにした。



「…………あ」



 時緒は、小さく声をあげた。



 何故、四ヶ月も一緒に暮らして気がつかなかったのか……?


 芽依子の左耳には、大きくケロイド状の傷痕が、あった……。





 ****




『午前・四時・丁度を・お報せします』



 時報を合図に、スクリーン視界の下、指揮トレーラーの前に立っていた茂人が手を上げた。開始の合図だ。



「エクスレイガ、起動します!」



 時緒が操縦桿を握ると、グリップに取り付けられたルリアリウム・クリスタルが翡翠色に輝いて、時緒の精神力をエネルギーに変換、エクスレイガの躯体中に伝播させる。


 浄土平の大地を、鋼の巨人エクスレイガの足が力強く踏み締めた。



『エクスレイガ、起動を確認』



 スピーカーから芽依子の声が聞こえる。



「ところでーー」時緒は芽依子に尋ねてみる。



「エムレイガは何処にいるんです?パイロットは?」

『それは今真理子おばさまが……あ!』



 芽依子が素っ頓狂な声をあげるのと、エクスレイガのレーダーがアラーム音を立てたのは、ほぼ同時の事だった。



 エクスレイガから見て右側、時緒も毎年登山した事のある吾妻山の稜線から、輸送ヘリが音も立てずに、回り込むように飛来してきた。


 夜闇の中でありながら、光量調節をされたエクスレイガのカメラがその様を鮮明に映し出す。


 イナワシロ特防隊のヘリがエクスレイガに接近する。


 その機体下に、巨大なヒト形をーー巨人を吊り下げていた。



『……はい!時緒くん、状況開始して下さい!』

「合点……!戦闘体勢!』



 時緒の意のままに動くエクスレイガは、精神集中のための九字を組みつつヘリを睨め上げる。


 ヘリが巨人を投下。ずしんと申し訳程度の地響きと土煙を巻き上げて、着地する。


 巨人のその姿はーー。


 エクスレイガから鋭角的な部分を取り払った、やや丸みのある出で立ち。頭部の殆どを楕円形のバイザーで覆った貌。


 事前に真理子から受け取っていた資料通り。



「あれがエムレイガ……。エクスレイガの量産型……!」



 エクスレイガが徒手空拳を構える中、対峙したエムレイガは、飛び去っていくヘリにしばらく手を振ったのち、



『…………』



 ゆっくり、落ちついた動作で、エクスレイガと向き合った。



「よ、宜しくお願いします!」



 一時構えを解いたエクスレイガが、深々と礼をすると、エムレイガも頭を下げた。


 綺麗な礼の仕方だ。エムレイガのパイロットはきっと礼儀礼節を弁えた人だろう、時緒は推測した。



「では……参ります!」



 時緒が宣うや、エムレイガのバイザーフェイスが光り、エクスレイガを睨む。




『良いよ。掛かっておいで……!』

「え……っ!?」



 エムレイガからの通信音声を聞いた途端、時緒は反射的に背を正した。




「な、なんで……!?」



 スピーカーから聞こえるのは、耳にしただけで高揚してしまいそうな優しい声。しかし時緒にとっては、憧憬と共に畏怖も抱いてしまう声。


 小学生の頃、剣の修行で何度も聞いた声。


 その声は。その声の主は……!




「なんでエムレイガに乗っているんです!?!?」



 驚愕する時緒の目前に、突如立体ウインドーが投影される。





 ウインドーの中でーー。



 着物姿のまま操縦桿を握っている、平沢 正直ひらさわ まさなおが笑っていた。







 続く

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