第5話
それから数日後。
キーンコーンカーンコーン。
桜高校の昼休みのチャイムが鳴り響く。
午前中の授業のストレスから解放された生徒達は、それぞれ友人同士で席を並べて昼食を取り始めた。
馬橋は昼食はいつも購買部でパンを買って食べていた。コンビニで買うよりも1~2割安いので購買部はいつも混雑している。
その日もいつものように苦労して、焼きそばパンとウインナーソーセージを手に入れた馬橋は、自販機でジュースを買おうとしていた。
「おい」
誰かが馬橋を呼んでいる。
馬橋は振り返ってみた。
するとそこには北がいた。
その目つきは鋭く睨んでいるようにすら見える。
「き、北さん?」
ナインレーサーの正体が北だったという、昨日の記憶がまだ鮮明に残っているため馬橋は警戒した。
「な……なにか僕に用ですか?」
北は周囲をきょろきょろと見渡し誰もいないのを確認してから、ピンク色の封筒を馬橋に差し出した。
「え……」
馬橋が眼鏡を直した。
封筒を受け取った馬橋の手がわなわなと震えた。
そして頬をヒクヒクと震わせながら言った。
「こ……これは、まさか……まさか、ラ……ラブレター!?げ……現実にあるんだ……。こういうものが。ゲームの中では定番のアイテムだけど」
馬橋が鼻の下を思いっきり伸ばしながら北を見た。
その馬橋の態度に北は思わずのけぞった。
(き…気持ち悪っ)
馬橋がもじもじしながら言った。
「僕、全然知りませんでした。まさか、まさか北さんが僕に好意をよせていたなんて。僕の馬鹿馬鹿馬鹿!」
握りコブシを作った馬橋は自分の頭をポコポコと叩いた。
「はあ?」
北は眉をおもいっきりしかめた。
コホン。
馬橋は制服の襟を正してから、北に向き直った。
「手紙を読むまでもありません。僕の気持ちはもう既に固まっています。さあ、僕の胸に飛び込んで来てください」
馬橋は両手を大きく広げて、北を受け入れる姿勢をみせた。
ふう…。
北がやれやれ、と首を2、3回振ってから馬橋に向かっていった。
馬橋の心臓はドクドクとこれまで体験したことの無いほどの高まりをみせた。
この世に生を受けて16年。こんなオタクな僕にも彼女が出来るんだ。神様ありがとうっ!
馬橋は心の底から産まれてきたことを喜んだ。
しかし……。
ドカッ。
馬橋が期待していた甘いハグなどでなく、代わりに痛烈な膝蹴りが馬橋のみぞおちを直撃した。
「ヒザあっ!ヒザあっ!!」
馬橋はその場に崩れ落ちた。
「何を勘違いしている。お前じゃないよ、メガネ。柏にそれを渡せ」
「え?部長に」
「そうだよ。頼んだぞ」
それだけ言うと、北はさっさと去っていった。
馬橋は心の底から今すぐ地球が崩壊することを願った。
その日の放課後。
校舎の北側に建てられたあまり日のあたらない場所に、研究会の部屋があつまる鉄筋の建物があった。ゆうに30年は建っているこの研究会棟は、大分老朽化していた。雑草が生い茂り、入り口のドアには真一文字に亀裂がはいっている。部屋数は全部で5つあった。一番奥がRC研の部屋だった。
部屋の中はわりに整頓されていた。窓の前には部長用のスチール机があった。これは元々職員用のものだったが、柏が頼んでもらってきたものだった。
西側の壁には、棚が二つ並んでいる。部長席の手前の棚上段にはRC研で作ったラジコンがディスプレイされていた。下段には工具類がしまってあった。
スチール机の上に足を投げ出し、ジャンプを顔の上に隠した柏は、うとうとと午後のお昼寝の時間に入っているところだった。
コンコンコン。
「ん……?」
その音で目を覚ました柏は、ふああ、と背筋を伸ばしながら「どうぞ」と言った。
「失礼します……」
入ってきたのはがっくりと肩を落とした馬橋だった。
馬橋を見て、柏は「なんだ」と言った。そして飲みかけの紙パックの牛乳をごくごくと飲んだ。柏は小さい頃から牛乳が大好きだった。
「どうしたんだい?ノックなんかしたりして。いつもなら勝手に入ってくるのに。それにメガネがずれてるよ」
「メ、メガネの事は言わないで下さい!」
馬橋は柏に八つ当たりをした。
半年ちょっとの付き合いだが、完璧に馬橋の性格を把握している柏は軽く受け流した。
「まあ、何かあったのか言ってみたらいいよ。とにかく座ってさ」
柏の言葉で馬橋は大人しく席についた。
馬橋は北からの手紙を柏に差し出した。
「ん……?」
手紙を受け取った柏は、じいっとその文面に目を通し始めた。
そしてにいっと目を細めた。
「や、やらしいです!部長!」
「何を興奮してるんだい、馬橋君?」
「デートの誘いですか?それとも、あ……愛の告白ですか!」
ふう、と柏はため息をついた。
「お……落ち着けよ、馬橋君。これはラブレターなんて可愛らしいもんじゃない」
「じゃ……、一体なんだっていうんですか?」
「ん~……」
柏は天を仰いでから言った。
「決闘状?」
「け……決闘状!?」
柏は便箋をぴらっと馬橋の前に広げて示した。
馬橋はひったくるように、その便箋を受け取った。
そこには又、ラジコン勝負をしたいという内容が書かれていた。
「困ったねえ。なんだか僕のことをライバルだとでも思っているみたいなんだよ」
ラブレターでないことが分かると、柏がほっとした表情を見せた。
「どうするんですか?部長」
柏が床にあるマシンをプロポで操作した。
柏のマシンが馬橋の椅子の周りを8の字にキュルキュルと音をたてながら回り始めた。
「ま、受けるのはいいんだけどさ」
「北さん。今度はかなりリベンジに燃えてくると思いますよ」
「ふうむ。そうだろうねえ。誰よりも早く走るのが彼女の生きがいみたいだからねえ」
柏が紙パックの牛乳をゴクゴクと飲み干すと、ポイッとゴミ箱に投げ入れた。
ふあああ。
大きく伸びをすると、柏が立ち上がった。
「ど…何処行くんですか?部長」
「帰るよ。相手が本気で来るんなら、それ相応の準備をこちらもするのが筋ってもんだからねえ」
もしかしたら、久々に怖い部長が出るのかもしれない。
一人、部室に残された馬橋はくんくんと便箋をかいだ。
「あ…。キタキタのシャンプーの匂いがするう」
どこまでもへたれな馬橋だった。
既に日は落ち、学校にいる生徒の数も少なくなった。
馬橋が家路に向かおうとした時だった。
ぐいっと、その襟首をつかまれた。
「わあっ」
驚いて振り返ると、そこには北の姿があった。
「おいメガネ。柏の奴に手紙は渡したか」
「は……はい」
ふふ、と北は少し嬉しそうに笑った。
「今度こそ、私のほうが勝つ…。あんなひょろひょろとした機械オタクの理系オトコなんかに負けてたまるか」
「や……やめて下さい!」
北はそれまで聞いたことのないような大声を馬橋が発したので、驚いた。
「僕の……僕も悪口はいいです。オタクと言おうがメガネと言おうが。実際メガネだし。でも部長の、部長の悪口だけはやめて下さい」
「恩人?あの男がか」
北はどうして柏が恩人になるというのか、全く想像できなかった。
馬橋が夕陽に照らされる校舎を眺めながらポツリポツリと語り始めた。
「僕、この桜高校に入ってからというもの、よくいじめられていたんです。クラスメイトに悪いやつらがいて、僕はいつもそいつらにパシリとして使われていたんです。それでいい加減いやになって屋上から飛び降りちゃおうかなって……。発作的に思ったんです。その日もパシリにされてた僕は屋上に上がって、飛び降りようとして、でも出来ずにいたら、柏部長が声をかけてくれて。あの時もし部長が僕に声をかけてくれなかったら、今頃僕は……。一人ぼっちだった僕をRC研にも誘ってくれて。おかげでこんな僕にもようやく居場所らしきものを見つけることができたんです。…だから、だから」
馬橋が鼻をこすり振り返った。
「だから部長の悪口だけは…っていないし!」
北はスタスタと前を歩いていってしまっていた。
「悪いけど、そんな話興味ないから。ネットででもやっててくれる」
それだけ言うと、北は後ろを振り返ることなく歩いていってしまった。
馬橋は心の底から、今すぐ地球が壊れてなくなることを願った。
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