第3話
その日の夜、8時56分。
二人はナインレーサーが現れるという噂の公園に来ていた。曇り空で星は見えなかった。
しんと静まりかえった公園には二人しかいなかった。
柏は白いシャツの上にグレーのカーディガンをはおり、ベージュのチノパンを履いていた。靴は白いスニーカーだった。
馬橋は女の子のアニメキャラがでかでかとプリントされたTシャツの上に、青い長袖のシャツを着ていた。下半身には余分な贅肉がつきすぎているため、ぴちぴちになったジーンズを履き、汚れきった赤いスニーカーを履いていた。背中にはナップザックを背負い、頭にはバンダナを巻いていた。
柏はベンチに腰を下ろし、もくもくとマシンの調整をしていた。
馬橋は落ち着きなく、その前をうろうろとしている。
マシンをいじりながら柏が言った。
「少しは落ち着いたらどうだい?馬橋君」
「これが落ち着いていられないですよ!いつナインレーサーが来るかと思うと……」
「実際に勝負をするのは君じゃないだろうに」
やれやれ、と柏は肩をすくめた。
「僕は精神的に戦っているんです」
「そうなのかい?」
「そうなのです」
ふうん、と柏が言い紙パックの牛乳を飲んだ。柏は牛乳、特に紙パック入りの物が好きでよく飲んでいた。
そして午後9時になった。
果たしてナインレーサーはくるのか……。
二人はじっと公園の入り口をみつめていた。
すると公園の入り口に人影が現れた。
二人の顔に緊張が走った。
そこには、迷彩服に身を包んだ一人の人物が現れた。
「あれは……」と馬橋が言った。
その人物は特徴となっている帽子に迷彩服にサングラス、手には専用の黒いマシンを持っていた。ネットで見た情報と一致している。間違いない、ナインレーサーだ。
馬橋がじっと相手を見据えて身構えたのと対照的に、柏はいちべつするとまたマシンの整備に戻った。
ナインレーサーは二人がいるのを見つけると、歩いてきた。
そしてラジコンをいじっているの柏とマシンを値踏みするように観察してから言った。
「ねえ、あなた私と勝負しない?」
「お…お前が…ナインレーサーか」
横から馬橋が言った。
ナインレーサーがくすりと笑みを浮かべた。
「知ってるから、ここに来たんでしょ?」
相手のペースに押されてはまずい、と馬橋は強気に出ることにした。
「ああ。そうだ」
「ただ、私と勝負するからには」
ナインレーサーが柏のいじっていたラジコンを指差した。
「そのラジコンを懸けてもらうことになるけどね」
柏がすっと立ち上がった。
「いいよ。やろうじゃないか」
余裕があるところをみせるかのように、ナインレーサーはまた口元を緩めた。
ナインレーサーはゴミ箱から空き缶を2つ取り出した。
そしてこれまで対戦した相手と同じように、公園の端と端、対角線上に2つの缶を置いた。
そして缶を指差しながら言った。
「今いる場所がスタート地点よ。あの缶を回ってまたスタート地点に戻ってくる。先に3周して早かった方の勝ち。OK?」
「ああ、いいよ」
「部長……」
馬橋は心配そうに柏の顔を覗きこんだ。
柏が細い目をさらに細めた。
「心配するな。馬橋君。勝つから大丈夫だよ」
「いえ……僕が心配しているのは……その……」
馬橋は何故かはっきり言わなかった。
「何ごちゃごちゃ言ってるの?」
「いや、なんでもないんだ。始めようか」
柏がじっとナインレーサーを見つめた。
柏は手に持っていた自分のマシンをナインレーサーの横に置いた。
同じオフロードタイプのマシンだが、2台のカラーはナインレーサーの黒に対して柏のマシンは白く対照的だった。
「そこのメガネ」
馬橋はボーっと突っ立っていた。
「お前だよ。メガネオタク」
「馬橋くん……。どうやら君のこと言ってるみたいだよ」
「だ……誰がメガネオタクですか!僕は」
「いいからスタートの掛け声をかけて」
いきり立つ馬橋だったがナインレーサーの声に威圧されて言い返すことも出来ず、素直に従ってしまった。
「ス……スタートッ!!」
馬橋の甲高い声に気が抜けそうになりながらも、2台共、好発進した。
1週目。3秒程の差をつけて、わずかにナインレーサーが先を行きながら2台はスタート地点へと戻ってきた。
「なかなかのテクニックだ」
柏のその言葉にナインレーサーはかちんときたようだった。
「相手を褒めてる余裕なんかあるの?」
「感想を言っただけだよ。だが……」
語尾を強めながら柏が言った。
「まだ甘い」
「え……」
淡々という柏にナインレーサーも焦っているようだった。こいつは今までの対戦相手とは違う、と。
2週目。
柏は少しだけ本気を出した。1週目はまるで遊びだといわんばかりに、柏のマシンはあっさりとナインレーサーのマシンを追い抜いた。
「うそ……」
思わずナインレーサーはぽろりと本音が出てしまった。
馬橋はほっとしていた。
柏が完全に本気をだしたらどうなるか、そのやばさを馬橋は知っていたからだ。
言い換えれば、柏にとってナインレーサーはそれほどの相手ではなかったといえた。
そして徐々に差は広がっていき、最後にゴールする時には、10秒の差がついていた。
結果は柏の完勝だった。
サングラス越しからもナインレーサーが悔しがっているのがみてとれた。
「くっ……どうして……。どうして私が負けるの。私は誰よりも絶対早いはずなのに……!」
「それはマシンに対する愛情が足りないからじゃないかな」
柏はあくまで余裕で頬をポリポリかきながら言った。
「北さん」
柏の言葉で馬橋の顔が青ざめた。
「え?北さんって。部長、何を言って……、え?マジ?」
ナインレーサーがサングラスを外した。
そこに出てきたのは、間違いなく馬橋もよく知る北知美、本人だった。
「ぜ…全然、気づかなかった…。き…北さん!一体なんでこんな真似を?」
「……私は」
北が絞り出すような声で馬橋の質問を無視して言った。
「私はまだ敗北を認めない」
唇をかみしめた北は、拳をぎゅっと握った。
「ねえ、あなた柏君よね?一年の時、同じクラスだった」と北が言った。
「そう柏。柏雄一」
「柏君。今日は素直に引き下がるけど、いずれまた勝負を挑ませてもらうから」
北はそれだけ言うと、くるりと背を向き公園から去っていった。北の黒いマシンだけが公園に残されたのだった。
帰り道。
馬橋はひどくがっかりとした様子で重い足取りで自転車を引きずりながら歩いていた。背中に背負ったナップサックには、北のラジコンが入っていた。
勝利の余韻にひたれるわけもなく、ただ負荷となって馬橋の両肩にのしかかっていた。
「そんなに落ち込むなよ、馬橋君」
「落ち込むに決まってるじゃないですか。まさか、あの“高校のアイドル”北さんがナインレーサーの正体だったなんて。いったいどうしてこんな事を……」
「僕はなんとなく分かる気がするなあ」
「え?どうしてです。部長」
「彼女は……」
考え込むように柏が言った。
「彼女はきっと陸上部で光輝いていた時代の事を今も忘れられないでいるんだよ。そして誰よりも早く走りたいという思いが、ナインレーサーという、いびつな形となって出たんじゃないかなあ」
「……北さん。全然諦めていませんでしたから、本当にまた部長に挑戦してきますよ」
「それはそれで構わないさ。いつでも受けてたつよ。今度は本気の僕が出るかもね……」
柏の言葉に馬橋はぞくっとした。
出来ればあれはみたくなかった。
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