第2話
桜高校。そこは千葉県にある私立の高校だった。
その放課後。
授業が終わった学校ではにぎやかな声が響き渡っていた。
文化部へと続く廊下を2年の柏雄一と1年の馬橋太郎が歩いていた。
身長175cmの柏からは頭一つ分、馬橋が低かった。
柏は顔立ちの整ったイケメンだった。髪質もサラサラで爽やかだった。
一方の馬橋は、小太りでおまけに黒縁のレンズのぶ厚いメガネをかけており、どことなく陰湿な感じだった。一言で言えば、オタクという言葉がぴったり当てはまる風貌だった。事実、馬橋はアニメや漫画、ゲームが大好きだった。
およそ一緒に廊下を歩くのは不釣合いな二人なのだが、この二人にはある共通点があった。
それは二人とも同じ研究会に所属しているということだった。
その名はRC研究会。
名前の通りラジコンを作ったり走らせたりしている部だが、周囲からは遊び部、などという非難めいた名前でも呼ばれていた。
柏が部長で、馬橋が唯一の部員だった。
正式には研究会を運営するには5人いないと駄目なのだが、柏が名前だけを借りた幽霊部員が他に3名いて、形だけは研究会という事で学校側に了承を得てもらっていた。
二人が学校の教師などの話題で盛り上がっていると、それまで饒舌に口を動かしていた馬橋が急に口を閉じた。
「お……?」
廊下の先に視線を向けながら、黒いメガネに手をかけて目を細めた。
「どうかしたかい?馬橋君」と柏が言った。
見ると廊下の反対側から、女の子が二人歩いてくるのが見えた。
一人はショートヘアで、もう一人はセミロングだった。二人とも可愛かったが、特に馬橋が目を引いたのはショートヘアの女の子だった。目が大きく、華やかな雰囲気はアイドルグループにいてもおかしくない程だった。
馬橋はその子が通りすぎるまで、じっと食い入るように見入っていた。
その姿があまりにみっともないので、柏は馬橋の頭をこつんと叩いた。
「いたっ」
「あまりがっつくんじゃないよ、馬橋君」
柏が軽蔑するような目で馬橋を見た。
「す……すいません部長。あ、でも僕はイヤラシイ目で見てたわけじゃないんですよ」
柏は馬橋の言う事を全く信じなかった。
「どう見てもイヤラシイ目をしていたけどね」
「だって今歩いてきたのは“悲劇のヒロイン”北さんじゃないですか。ずっと休んでたのに……。よかったやっと学校来れるようになったんだ」
馬橋がほっと胸をなでおろしたように言った。
「北さん?」
柏が誰だいそれ、とでもいいたげな顔で言った。
「あれ?先輩は北さん知らないんですか?あれだけ学校で話題になったのに……。それに部長と同じ2年生ですよ」
「そうなの?でも同じクラスじゃないから知らないなあ。……あっ、思い出したよ。1年の時は確か同じクラスだった。でも話したことないなあ」
柏がぽりぽりと頬をかきながら言った。
「まあ、部長はマシンが恋人っていうお人ですからね、仕方ないんですかね。説明すると、北さんっていうのは北知美さんの事です。北さんは中学の時に陸上部に入り、長距離走の選手になりました。そこで北さんは地道な練習と元々本人の持っていた才能もあり、記録をどんどん伸ばしていきました。彼女の速さには誰もついてこれなかったそうです。県大会の記録を塗り替えた事もあるそうですよ。それにあのパーフェクトなルックスもあって男子生徒からの人気は絶大に高かったそうです」
へえ~っと感心したように柏が肩をすくめた。
「順風万歩ってところじゃない。どこが“悲劇”なの?」
馬橋がちっちっちっと指を振った。
「悲劇はここから起こるんです。うちの高校に入った北さんは当然陸上部に入り、長距離のエースとして活躍を期待されていました。北さんはその期待に応えて1年目から、県大会の記録を破る見事な成果を出したんです。……ところが今年の夏の県大会です。レースに出場した北さんは、その中盤でアキレス腱を断裂するっていう大怪我をしちゃったんですよ。その大会自体を危険することはもちろん、お医者さんからはもう2度と走ったりしてはいけないって宣告されてしまったんです。陸上に青春の全てをかけていた北さんにとっては、きっと死ぬほどつらい宣告だったでしょうね」
柏が思わず眉をひそめた。
「なるほど。それは確かに“悲劇”だね」
「そうですよ。部長に例えるなら、もう一生ラジコンをしてはいけないって言われるようなものですよ」
「うん。まあ、そしたら僕は迷わず死ぬけどね」
けろっとしながら言うところに、馬橋は柏の恐ろしさを見た気がした。馬橋が高校に入学してからの半年を一緒に過ごしたことによって事実であるということも知っていた。
「……あ、部長。話は変わりますけど、最近ネットの噂で見たんですが」
「うん」
「ここのところ隣街の公園で、ラジコンハンターなる者が出没しているそうですよ」
「ラジコンハンター?なんだいそりゃ」
「なんでも夜の9時になると、その公園に現れてお互いのラジコンを懸けた勝負を挑んでくるそうです。その実力は高く今まで一度も負けたことがなく、何人も人が自分のラジコンを取られてしまったそうです。9時になると出没するところから地元の愛好家達からはナインレーサーと呼ばれて恐れられています。サングラスをしているので顔はよく分からないそうですが、女性なんだそうですよ」
「ふうん……。ナインレーサーねえ」
柏の興味のなさげぶりに、馬橋がかみついた。
「ふうん、じゃないですよ、部長。このまま黙っていていいんですか?」
興奮する馬橋に対して、柏は軽く肩をすくめるだけだった。
「どうして黙っていたらいけないんだ。僕たちにはカンケーない話じゃないか」
「いや、そんなアウトローな奴をのさばらせておくなんて、いやしくもラジコンを愛する桜高校のRC研の一員として僕は許せないですよ!」
興奮する馬橋の顔を柏がじろじろと見た。
「な……なんですか、部長」
「色々言ってるけど、馬橋君。実はそのナインレーサーに会いたいだけじゃないか?」
「う…」
馬橋は身体を硬直させた。
「図星……のようだね。」
ふむ、と柏が少し考えるそぶりをみせた。
「まあいい、行ってみようか」
「え?本当ですか?どうしてまた。乗り気じゃないみたいだったのに」
「いや、最近ずっとマシンの整備ばかりしていてね。練習走行をしていなかったんだよ。それの丁度いい機会かと思ってね」
練習走行で勝てる相手かどうか馬橋は気がかりだったが、ナインレーサーに会いたかったため、否定はしない馬橋だった。
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