第9話

「もう四、五時間歩いてますけど階層穴は見つかりませんね。代わりに魔物もまだ出会ってませんが」


 ナリア達の後ろで周囲を見渡しながら歩いていたシェリフが立ち止まって汗を拭った。


「草原型はとにかく広いからね。ひとまず休憩しよっか。あたしはシェリフくんにもらった果実のおかげもあって結構元気だけどね」


「そうしましょう。私の魔物探知にも反応はありませんから、安全ですよ」


「すいません、ありがとうございます」


 ナリアの提案から、四人は地面に直接腰を下ろして休憩を始める。


 ちょうどその時、ぐぅとナリアの腹が鳴った。


 シェリフの用意した果実のおかげもあり体力は何の問題もなかったナリア達だが、夕方頃ということもあり空腹になり始めていたのだ。


「サニャ、保存箱に何か食糧残ってたりする?」


「ん……。後で調理してもらおうと思った魚の魔物が、いる」


「じゃあ、それを調理しちゃおうか」


「やった……!」


 シェリフの言葉にサニャは瞳を輝かせて虚空から大きな魚型をした魔物を取り出した。


 猫人族は大の魚好きだ。加えて、調理された魔物の肉は美味である。それを知っているサニャは報酬の代わりにと個人的に魚の魔物を保存箱に入れていたのだ。


「よし、それじゃあ調理しますね」


 魔物の死体を前にして、シェリフは軽く腕を捲り、包丁を取り出す。


 普段は見ることのできない魔物の調理に、ナリアとリーヒアは乗り出すようにシェリフに近寄った。


「あー、すみませんが見てても面白いものじゃないですよ」


 きらきらと輝く瞳を向けられたシェリフは苦笑いをして、手袋に包んだ左手を魔物に当てる。


 次の瞬間、シェリフを巡る魔素が揺らいだ。


「これで毒抜きは完了ですね。後は普通の魚と何も変わらないので、さばくだけですよ」


「えっ! 今ので終わり?」


「一瞬だけシェリフさんの魔素が揺らいだと思ったら魔物の魔素が塗り替えられていました。でも、何をしたのか……」


 調理師において最も重要な魔物の毒抜き。それが一瞬手を触れただけで終わってしまったことでナリア達は呆気にとられた。


 調理師は【特】の中でも適性者がとりわけ少ない戦職だ。その中でも魔境に潜る調理師は片手で数えられる程度しか存在していない。


 調理師の技能を見たことある者はほぼいないどころか、どのような技能があるのかさえ探索者の間でも知られていないのだ。 


「てっきり工匠みたいに色々なことをするのかと思ってた!」


「そうですね、本当は毒抜きにも面倒な工程がたくさんありますよ。特定の薬草を練りこんだり、熱したり冷やしたり。魔物によってさまざまなその工程を師匠の秘伝で無視してるんです」


「へー! お師匠さんはすごいんだね! これなら魔境でもどんどん調理できそうだし、携帯食糧いらずだ!」


「食糧には困らせないと約束しますよ。魔物から肉か植物の素材が取れるなら、ですけどね」


 会話を続けながらシェリフは魔物の腸を抜き去り、洗浄技能を使用した。


 紫の血に塗れていた魔物の死体が綺麗になり、薄紅の鮮やかな肉が腸抜きした切れこみからちらと見える。


「にゃ……」


 小さく声を漏らしながらごくりとサニャが生唾を飲みこんだ。


「せっかく今食べるので刺身にしますか。サニャいつも通りとして、ナリアさんやリーヒアさんは特に強化したい能力はありますか?」


 解体技能を発動させたシェリフは魔物に軽々と包丁を刺し入れ、三枚におろしていく。


「あたしは速くなると助かるかも」


「私は力ですが……。可能なんですか?」


「できますよ。魔物の性質に寄った強化がどうしても主になりますが、大きく離れない限りは多少の調整もできますからね」


 切り取った魚の分厚い皮を皿代わりに、シェリフは一口で食べれるほどの大きさに切った魔物の刺身をそれぞれに差し出した。


「はい、完成です」


「おぉー! 本当にあっさり作れるんだね!」


「生の肉というあたりに私は少し抵抗がありますが、サニャさんの顔を見るに問題なく美味しいんでしょうね」


「美味しい……よ。いただき、ます」


 よだれをどうにか抑えながら目をギラギラと輝かせていたサニャはパンッと一度手を合わせて刺身に食らいつく。


 幸せそうに目を細めて刺身を頬張るサニャを見てナリアとリーヒアも恐る恐る一切れ口に放りこんだ。


「んー! 美味しいね! 脂が乗ってるのもそうだけど、何より身体が求めてるって味がする!」


「干し肉も悪くない味ではありましたが、作りたては別格なんですね。美味しいですし、力も湧いてきます」


「シェリフの料理は、美味しい。……当然」


 各々が幸せそうに魔物の肉を食べる。その姿を眺めて、シェリフもまた自分用に調理した刺身を口に入れた。


「いいね! 身体、というよりは身体を流れる魔素かな。とにかく強化されてるのがわかるよ! これにあたしの指揮も重ねたら、数段は実力以上の力が出せるね!」


「そう、なんですか? 実は僕、自分の料理の効果がどの程度かは理解してないんですよね。今までそれほど効いてるとは聞いたことなかったんですが」


 最後の刺身を飲みこんだシェリフが苦笑いを浮かべた。


 言外に役立たずだと伝えられレイブ一派を追放されたシェリフは自分の料理が大した物ではないのだとずっと認識していたのだ。


「そこは自分の実力をどれだけ把握してるかだよね!」


 食事を終えて身体を試すように動かしていたナリアがシェリフに振り返って、自信満々に無い胸を張った。


「駆け出しはどんどん強くなる時期でもあるから、強化と実力を混同しちゃうことはあるかも。その点、あたしは自分の力を把握してるからね。シェリフくんの料理がすごいってのもわかるよ!」


 ぎゅっとシェリフの手を握り、ナリアは花が咲くような笑顔を浮かべる。


「だから自信持って! 君は十二夜灯に必要だから!」


 きらきらとした瞳に見つめられて、シェリフは息を呑んだ。必要だと言ってもらえたことが嬉しかった。


「ありがとう、ございます!」


「なんのなんの! それじゃあ、食事も終わって気を取り直したところで魔境探索続けようか!」


「はい!」


 ナリアの声にシェリフは立ち上がる。


 その瞬間、高くなった視界の先で狼型の魔物が生成される瞬間をシェリフは偶然見つけた。


「魔物の生成! あっちです!」


 咄嗟に指を差してシェリフが報告する。


 その時には、立ち上がったサニャとリーヒアも戦闘態勢を整えていた。


「ようやく魔物ですか。……って、この数は!」


 魔物探知を発動したリーヒアが驚きに目を見開く。


「探知範囲だけで、十の魔物発生を確認しました! 魔境が不安定なんでしょう。ナリア、気をつけて」


「あいあい、任せてよ! 『戦闘態勢について』! 《指令》!」


 魔物の群れが迫るという話を聞いてもナリアは動揺一つしなかった。ナリアはシェリフの料理によって自分の能力が今までになく高まっていることを誰よりも理解していたのだ。


「それじゃあ、蹴散らしちゃおうか!」


 トンっと一度ナリアが跳ねた。


 その瞬間、土煙を散らして一匹の魔物が吹き飛ぶ。跳躍一つで魔物まで接近したナリアが魔物を斬り飛ばしたのだ。


「速い! でしたら、私も!」


 弓をきりきりと引き絞り、リーヒアは迫る魔物達を見つめる。


 魔物の動きにただ集中し、リーヒアは息を整えた。


「ふっ!」


 狙いを定めた一矢が放たれる。


 ヒュンッと風を切り凄まじい勢いで進んだ矢は魔物の脳天を貫き、その後ろの魔物の頭まで貫いた。


 魔物が重なる瞬間を見計らう狩人の目と強化された力の成せる技だ。


「まだまだいくよ!」


 トンットンッとナリアが足を地面に着ける度に魔物が両断されて吹き飛んでいく。


 リーヒアは近づく魔物を真っ先に狩人の目で見つけ、次々と射抜いていった。


 その二人の働きによって、魔物が立ち入ることのできない領域が作られる。そこで身の安全が確保されたサニャは詠唱を着実に重ねていた。


「いくよ……《現唱》」


 完成された儀式により周囲に複数の巨大な岩石が生成され、魔物に向かって降り注ぐ。衝撃と音が撒き散らされ、もうもうと土煙が舞った。


 しばらくの静寂。次第に晴れていく煙の中で、圧倒的質量と範囲によって蹂躙された魔物の群れは全滅していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る