第5話

 魔境の地に降り立った瞬間、シェリフとサニャは周囲に視線を走らせた。魔境にてまず大切なのは途切れることのない警戒だ。


「いいね! しっかりと警戒できてる!」


 魔境への侵入は安全ではない。


 外の空間と隔絶され、特有の法則が成り立つ世界にまで至ってしまった土地が魔境だ。そのため境界線から物理的に侵入することはできない。


 代わりに探索者達が行うのは、魔境の境界線に生まれる綻びからの侵入だ。


 綻びは魔境と外を繋ぐ裂け目のような物で、魔境表面のあちこちに発生している。綻びは魔境内部の何処かに繋がっており、触れることで転移することができるのだ。


 そしてその先に魔物が待ち構えていないとは限らないのである。


「驚かせないでくださいよ。抜けた先に万が一魔物がいたらどうするんですか」


 冷や汗を拭いながらシェリフはナリアをじとっとした目で見つめた。


「大丈夫だよ。この魔境は魔物が溢れるほどの成長はしてないからね。綻びの近くを魔物は避けるから問題なし!」


 ナリアは構えた剣を軽く振りながら楽しそうに笑う。


「それにこの魔境の成長度レベルなら一層に出る魔物なんて一般人でも倒せるよ」


「それは、そうですけど……」


 魔境はその魔素濃度や生まれてからの時間で危険度が大きく変わる。それを探索者協会は成長度と呼び数字の大きさで表すが、シェリフ達の来た魔境の推定成長度は三だった。


 一から五までの成長度は雛級と呼ばれ、探索者教習所の訓練に通う程度の難易度だ。シェリフ達にとっては恐れる必要もない場所だった。


「でしょ? ってわけで、深くまで潜っていこうか。シェリフくんの前の一派が行ってた魔境の成長度と階層はいくつ?」


「えっと、成長度は十五で階層は十ですね」


 魔境には階層と呼ばれる物が大抵存在する。外からどれだけ魔境の中心に向かってるかを示す指標で、階層間は階層穴と呼ばれる裂け目で繋がっている。


 階層は進めば進むほどに魔素濃度が上がり魔物も強くなるため、魔境の構造にもよるが一層進むとおよそ成長度一分の差があると言われていた。


「ってことは、成長度換算で二十五だね? なら、安全を考えると成長度換算で十がいいくらいかな。よしっ、七層まで潜ろうと思うけど、どう?」


 こくりと可愛らしく首を傾げたナリアの視線がまずリーヒアに、そしてシェリフとサニャへ向けられる。


「私はいいと思いますよ。狩人に転職したばかりですし肩慣らしに丁度いいかと」


「わたしも、それくらいなら。余裕」


 リーヒアとサニャは問題ないと頷く。


 残るシェリフに三人の視線が向かった。


「僕は……。正直、戦ったことがないからわからないですね」


「戦ったことがないって、一度も?」


 驚いた様子で目を見開くナリアにシェリフは頷いた。


 調理師は戦う戦職ではないと教習所の師匠に教えられたシェリフは戦闘に参加したことがなかったのだ。


「まぁ、それなら七層行ってみようか。元々二十五の成長度に挑んでたんだから、それ相応にはシェリフくんも魔素を吸収しているはずだしね」


「わかりました。あ、でもその前にこれを食べておきましょうか」


 ナリアの提案に頷いたシェリフは、冒険鞄から三つの干し肉を取り出した。


「おぉー! もしかしてこれが噂に聞く、調理師の魔物料理?」


 奪い取らんばかりの素早さでナリアが干し肉を一つ手に取る。


「噂はよくわかりませんが、一応僕が調理しましたね」


「やったー! いっただっきまーす!」


 キラキラとした翡翠の瞳でシェリフを見上げていたナリアは、躊躇もなく口に干し肉を放りこんだ。


「わたしも、もらう……ね」


「では、私も失礼します」


 サニャとリーヒアも干し肉を受け取り、咀嚼する。


 途端、三人の身体の奥底からぽかぽかとした活力が湧き上がった。


「んー! いいね! これが調理師の力かー!」


「面白いですね、これは。飲みこんだ時点で効果があるんですか」


 初めて食べた魔物料理の効果にナリアとリーヒアは驚きに目を見開く。


「お肉は、大事」


 湧いてくる活力にも慣れているサニャは、驚くナリア達を横目にもきゅもきゅと味わって干し肉を飲みこんだ。


「一応、狼型の魔物から作った料理なので俊敏性の強化になってるかと思います。多少、膂力もですかね。階層穴を探すなら、速い方が便利かと思いまして」


 調理師の技能。それは、魔物を調理することで能力を強化する料理を生み出す力だった。


「うん! これならぐんぐん進めるね! 七層より深く行ってもいいくらい!」


「そうですね。普段の一割増しってくらいでしょうか。一層程度ならより深く進んでも安全かと」


 身体の調子を確かめるように動かしたナリアとリーヒアがやや興奮気味に話し合う。


 一割増しとはいえ唐突に身体が強化された感覚は二人を高揚さていた。


「あっ、いえ。戦う時には、それ用の料理を渡しますよ。料理の一時的強化はそれほど長く保たないですからね。今は潜るために速さ重視の料理を渡しただけです」


「えっ! これが戦闘用じゃないの?」


 ナリアはぴょんぴょんと飛び跳ねながらシェリフに振り返って驚きに口をあんぐりと開ける。


 声には出さなかったが、リーヒアもまた驚きに目を見開いてシェリフを凝視していた。


「そんなに、驚くこと……?」


 尋常ならざる様子のナリア達を見て、サニャはこくりと首を傾げる。 


「驚くことだよ! こんな急に強くなることなんてないからね?」


「そう、なんだ……。知らなかった」


 探索者になってからずっとシェリフと一緒に魔境に潜っていたサニャは魔物料理による強化を常に維持されていた。だからこそ、いつの間にかその恩恵に慣れてしまっていたのだ。

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