第2話

 ***


 メラニーは魔女だった。

 人目を避け、緑深い森に移り住み、こっそりと暮らす日々。そこに偶然にも入り込んだのがリチャードだった。


 彼は倒れていた。ふさふさとした茂みに隠れるように。

 そっと駆け寄り覗き込むと、青い顔をしているのが分かった。骨っぽい手首には一筋の血が流れている。噛み傷だ。毒蛇に遭ったのだろう。

 メラニーは彼を抱え、小屋まで運んだ。こじんまりとした空間の隅に寝かせ、調合した薬を飲ませる。相手が意識を失っている間に毒は解け、目が覚めたころにはすっかり顔色がよくなっていた。



「俺、本物の魔女なんて始めて見たよ」

 布団から身を起こした青年は、素直に驚いたような顔をする。

「それはそうでしょうね。仲間はみんな殺されているのだから」

 うつむき、唇を閉ざす。彼女の白い顔に影が差し込んだ。

 元来、魔女は疎まれてばかりいる。存在が悪だと見做されるのだ。

 異教だとか悪魔だとか、彼女にはよく分からない。

 魔女たちは薬草を用いて人々を癒しているだけだ。悪い人など一人もいなかった。皆、言われもない罪で処刑台に上がり、裁かれる。彼女が今隠者のように暮らしているのもそれが原因だ。

「俺は君が悪いやつだとは思わない」

「だけどみんな殺される」

 魔女とはそういうものだ。

「あなたもさっさと離れたほうがいいわ。魔女とは関わちゃいけない。そういう掟、だったでしょ?」

 彼の目を見て、突きつける。

 リチャードは目をそらさなかった。

「なにが正しいかは自分で判断する。君は俺を助けてくれた。それだけが事実だろ」

 彼の発言は正しくきれいだった。

 悪く言えば善性を信じすぎている。今回も魔女が気まぐれで命を助けただけで、本来なら見殺しになるか、敵対した場合は毒殺に及んでいた可能性もあった。

 それなのに青年は全てを信じ切ったような顔をする。

「また来るよ」

 晴れやかな笑顔を向けてから、背を向ける。

 隠れ家から出て森へと足を踏み出した青年。彼の背中を目で追い、またそらす。

 リチャードが去るとき、かすかに胸が痛んだのを覚えている。あと少しだけ話をしたかった。いなくなってほしくない。心の底では彼を求めていた。

 同時に「また来るよ」という爽やかな言葉が脳裏をよぎって。

 嬉しさが心をかすめる。

 魔女は口元に花に似た笑みをにじませた。


 それが最初の出会い。

 以降、二人はこっそりと森で会い、話をした。

 リチャードが外の話をすると、彼女は笑って聞き入る。

 メラリーが薬草や魔法についての説明すると、彼は感心して、大きなリアクションを取る。

 彼と話をするのは楽しかった。静かでしかなかったおのれの生活に彩りが加わったようだった。


 幸福な日々は長くは続かない。

 逢瀬は露呈し、森に役人が攻め込んだ。

 二人は住処から脱出する。互いに手を取り合い、固く握りしめて。

 森を抜け、崖を降り、渓谷を渡る。廃村を通り過ぎ、地下へ逃げ延びた。

 薄暗く開けた空間に足音が迫る。敵はすぐそこまで追い詰めに来ていた。

 死への旋律が鐘のように響く中、二人はガラスの杯を手にする。中に注がれたのはぶどう色の液体。なんの変哲もない杯だ。紫水晶のように澄んだ水の正体を、二人だけが知っている。

 メラリーとリチャードは見つめ合い、一息に杯の中身を飲み干した。


 二人はそこで果てたのだ。


 ***


「この世界は始まりと終わりを繰り返している。一つの大きな決戦があるとするわ。勝者は覇者。新たな時代を作り、神話が形成される。敗者は文字通り地上から消え、歴史からも抹消される」

 魔女は淡々と語る。

「私たちは死んだ時点で敗者になったわ。あの日、痕跡すら消えるはずだった」

「だけど、あなたたちの物語は皆に広まっている」

 話に割り込む形でオーウェンが声に出す。

「メラリーとリチャードの悲恋は、僕たちの世界で愛されていました」

 彼の瞳がキラキラと輝いている。

 本当にその物語が好きなのだ。熱い気持ちが伝わってきて、魔女の心も揺れる。

 オーウェンの感想を聞きたい。あの悲恋になにを感じたのかを。

 淡く、心の底で思った。

 波立つ感情に意味はない。

 自分たちの物語をなかったことにしたくなかったのは確かでも、本当に遺したかったのは、メラニーの話ではなく――

 だから素直に笑えなかった。

「明らかに隠し事をしていますよね、世界と」

 急に切り込んだように、問うてくる。

 そちらへ視線を移すとオーウェンは鋭い目をして、こちらを見てきた。

「なんのこと?」

 眉を寄せつつ、聞き返す。

「じゃあ、一方的に隠されたんだ」

 勝手に解答を得たように、彼が口にする。

 いったいなにを理解したのやら。真意が伝わってこず、モヤモヤする。メラニーは一層、眉間にシワの深くした。


「何度も言うわ。私はあなたと一緒には出ていかない」

 頑なな表情で主張する。

「なぜですか? 俺がここにいるのに」

「あなたはあなたでしかないわ。それに、私たちの物語は終わってしまったの。そこから先なんて存在しない」

 いくら容姿が同じでも、前世の彼であったとしても。

 目の前にいる青年はオーウェンだ。リチャードではない。その事実がやるせなくて、たまらなくなる。

「そういうあなたはなんなの? どうして私の元へ来たのかしら」

 睨むような目で彼を見澄ます。

 しばしの無言。

 重たい沈黙が二人の間に横たわる中、オーウェンは真剣な目をして、口を開く。

「夢で見たんですよ、あなたのことを」

 深く息をついてから、彼は語る。

「美しい人だった。黒くて白くて。以来、気になって仕方がありませんでした。それこそあなたの物語を読むくらいには。そして今、対面して思いました」

 青年は口元を緩める。

 丸く澄んだ瞳で女を見た。

「あなたは俺の運命の人だ」

 まっすぐに言い切った。

 爽やかに照れもせずに。

 メラニーは言葉を失い、硬直する。

 心が震えたのが分かった。

 熱い気持ちがまた湧き上がりそうになる。

 自身の抱いた感情の意味を理解できず、戸惑う。

 目を泳がし、ごにょごにょと唇を動かすことしかできない。

 困惑を表に出した女へ向かって、青年はまた一瞥し。

「また来ます」

 立ち上がり、背を向ける。

 彼の鎧をまとった後ろ姿は、楽園の端へと遠ざかり、消えた。

 それを魔女は無言で見送った。

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