魔女と世界の隠し事

白雪花房

第1話

 数多の魂が目の前を通り過ぎてゆく。

 誰も振り返らない。存在に気づくことすらなかった。

 何人なんびともこの楽園にはたどり着けない。

 そこは死後の世界でも現実でもなかった。

 世界で最も隔絶された場所にある、永久とわの春が続く箱庭。


 色とりどりの花が咲き乱れ鮮やかな蝶が舞う空間で、黒いローブを着た女は、ガーデンチェアにゆったりと腰掛けていた。手前のテーブルにはティーカップが置いてある。ハンドルを掴み飲み口に唇を添える。クリアな液体を喉に流し込めば心地よい苦味が口内を満たし、果実に似たフレッシュな香りが鼻孔をかすめた。

 少し飲んで、ソーサーに戻す。

 パンやケーキといった甘味はないが、今の彼女はそれで十分。

 ふっと息を吐こうと体を伸ばす。

 まさにそのとき、急になにかの気配を感じた。まさしく楽園の入り口に影が差したかのようだった。

 そちらを向く。何者かが立っているのが見えた。シルエットは身長の高い男。太陽を浴びて輝く黄金の頭髪に、よく磨かれた装備、しっかりとした足取りで庭を進む。

 チェアの上から相手を見上げ、表情を固めた。前方にいる青年の顔と、記憶の中にいる彼の顔が一致する。思わず息を呑んだ。

 たまらず過去の記憶が頭をよぎる。


 地下に空いた空間、乾いた地面。

 横たわり、腕を伸ばした彼。

 同じ毒を飲んで、同じ瞬間に死のうとしたのに、相手が先に果ててしまう。

 喉元に灼熱の痛みが上ってくるのを気にもとめず、すがりつく。

 なにをしたのかは分からない。なにをしたかったのかも覚えていない。ただ悲しくて仕方がなかった。自分の運命が、彼の結末が。

 ああどうしてと、何度思ったことだろう。

 だが、全ては終わったことだ。



 目を伏せ、回想を終わらせる。

 次にまぶたを開けたとき、周りにはクリアな景色が広がり、目の前には青年が近づいていた。


「俺の名前はオーウェン、前世の名はリチャード。メラニー――あなたを連れ戻しに来ました。リチャードとしての意志を果たすために」


 精悍な顔つきではっきりと告げる。

 聞いて魔女は顔を覆った。


 リチャード。

 前世の彼の名。

 おのれの名前はメラニー。

 忘れたことなどない。

 彼は間違いなく、想い人の転生体だ。

 今ごろになって彼のような人間と接触するとは思わず、どうしてよいか分からなくなる。

 視線をそらし、息を吐く。

 心の中にほろ苦い感情が広がるのを感じながら、また前を向き、眉根を寄せた。


「帰って」


 冷たい声を出す。


「私はそんなこと望んでいないわ」


 きっぱりとした拒絶の態度。

 リチャードの顔をしたオーウェンはかえって表情を和らげ、笑いかけた。


「だったら話をしましょう。あなたの口からも聞きたいんです。メラニーとリチャードの物語を」


 オーウェンの提案を聞いて、メラニーは少し困った表情になる。

 正直にいうと彼には早く出ていってほしい。

 一方で、誰かに自分の話をする経験はなかった。

 オーウェンはリチャードを知る貴重な人間でもある。その縁を手放すのはもったいない。

 少しくらい、いいだろう。

 心の中で決断を下し、彼を見据えた。リチャードのクリアな瞳と目が合う。淡く途切れかかった糸にすがりつくように、彼女は身を乗り出した。


「いいわ、話しましょう」


 魔女は真剣な顔をして口に出した。

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