第八嘘 拗れていく
「し、ショピ!!落ち着いて!!」
テレビ局の廊下を、私の静止も聞かずショピはズンズンと進んだ。時刻は夜7時、まだ局に人は多い。記者会見前の嶺さんの楽屋に乗り込んだ。嶺さんはコーヒーを飲みながら本を読んでいて、ショピを見た後本を閉じて眼鏡を外した。長いサラサラの髪を耳にかけ、ドキッとするほど色っぽい視線をこちらに向ける。
「どういうつもりだ、嶺!!」
「だって、あなた達緊張感があんまりにも無いから…何も進展しないし。恋人のフリをするならもっと、ちゃんと恋愛しなきゃ」
「お前と眠が付き合うことになんの関係があるんだよ!!」
「事件がある方が、恋は燃え上がるじゃない」
「嶺!!」
嶺さんの腕を掴んだショピの腕を、楽屋に駆け込んできた眠くんが掴む。
「あんたになんか言えた義理かよ。自分こそ、なんの相談も無く若い女といきなり同棲始めたクセに。」
「まだそんなガキみたいなこと言ってんのか?お互い合意したのに、後出しジャンケンでゴチャゴチャ言ってきやがって」
「ショピ、落ち着いて…!!」
「っせーな、だいたいお前が…」
ショピが言いかけて、口をつぐんだ。私は心の奥がザラッとした気持ちになる。胸の奥がキリキリと痛む。
「そうだよ、全部私のせい。そんなの、わかってるよ。私はただ…」
お母さんの、最期の望みを叶えたかっただけ。
私が飲み込んだその言葉を察してか、誰も何も言わない。私は床に涙が落ちるのを止められ無かった。私が多くを望んで、ショピを頼ってしまったからこうなった。わかってる。多くを望んだから、眠くんを傷つけた。私が最初から眠くんの気持ちを利用していたから、こんなに拗れてすれ違ってしまった。私は眠くんが他の誰かを選んでも、文句を言える立場ですらない。私は最初から何もフェアじゃなかった。
「…ごめん」
ショピの謝罪が、静まり返った楽屋に響く。私は踵を返して楽屋を飛び出した。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「…あいつを傷つけて、楽しいかよ」
俺の言葉に、2人は何も言わない。俺は振り向いて2人を睨んだ。眠の方は今にも泣き出しそうな顔で怯んだが、嶺は嬉しそうに微笑みを浮かべている。嶺は昔から、こういう女だ。嶺にとって自分以外は、自分の人生を豊かにしてくれる為のエキストラに過ぎない。自分が好きな時に、好きな人物になる。そういう嶺の演技を尊敬し、そして憎んできた。
「楽しい。悪役になれる事が嬉しい。」
「っお前なぁ「ショピの事はショピが一人で勝手に決めた。私だって、その権利がある」
立ち上がると、コツコツとヒールを鳴らしながら俺の前に立った。毛穴ひとつない肌、柔らかい毛質の髪、くり抜いたように大きな瞳
「追いかけろよ。あの子が、大切なら」
「俺はお前の…!!」
「今は私のもんじゃねーよ。人の男なんかいらねーっつーの。傷つけられたあの子の肩でも抱いて、優しい言葉でもかけてやれば?」
「どこまで人を見下せば気が済むんだ!?」
「見下してなんかない、愛してるさ」
「あの子は病気の母親の為にやってるんだ。相手が誰でも、同じ選択をしたはずだ…俺はこれも何かの縁だと思って割り切ってる。」
俺はシーカを追う為に、ドアに手を掛けた。
「…俺とシーカは、最初から何も無かった。お前らが納得できなかったり嫌なんだったらこの付き合いは白紙に戻すつもりだったし、最初からお前らを傷つけるつもりも無くて、その選択肢自体俺にもシーカにも無かった。誰も傷つけないように全て進めてきたシーカを傷つけて、俺は胸が痛いよ。お前らは?何も感じねーの?今」
吐き捨てるような言葉が、胸に鉛を落とす
「役者、辞めちまえ。」
俺は、演じると決めた。シーカの為でも、シーカの母親の為でも、嶺の為でも無い。俺は、自分の為に自分を演じると決めた。俺はシーカの荷物を掴んで、走って追いかけた。シーカ、俺のせいで眠くんとの話がダメになったらごめんな。でも、俺はお前がどれだけ必死か知ってた。どれだけ毎日母親の死に怯えて泣いてるか、周りの重圧に耐えてるか、眠くん悲しませて胸を痛めてるか知ってる。だから、あいつらのした事がどうしても許せなかった。シーカは近くの川の上にある橋からぼんやり夜景を眺めていた。
「シーカ」
「私がした事は全部間違いだったのかな」
シーカはその言葉を吐いた瞬間、ボロボロ涙をこぼし始めた。俺はシーカを抱き寄せた。
シーカの体は細く、震えていた。アイドルとして挫折し、この前初めて売れた女優のシーカ。シーカにとっても、この選択は賭けだったはずだ。怖いに決まってる、不安に決まってる。俺は迷えない。
「それはドラマができないとわからない」
「こんなに拗れるなら、もうこの関係は続けられない。私はショピから嶺さんを奪いたかったわけでも、眠くんを失いたかったわけでもない。私もう…もう、どうすればいいかわからないの」
「シーカ、聞いてくれ」
俺はシーカの涙を拭いた。シーカは俺は服の袖をギュッと握っている。大きな目は涙でパンパンだった。涙が暗い夜道にキラキラと落ちる。白雪のような肌は、闇に光を落としているようだった。綺麗だ。もう30とはいえ、まだ性の枯れた男でもない俺はどうしてこんな若くて綺麗な女といても間違いを起こさないんだろう。冷静に考えると不思議だ。というか、俺はずっっっと冷静だった。こいつから相談された時も、嶺たちに話した時も、報道された時も。取り乱したのは、嶺たちの報道を見た時だけだった。
「シーカ、俺たちは戻れない。」
「でも…っ」
「決めたはずだ」
俺は、演技を掴んだ瞬間が人生であった。あの時から、俺は自分の心を完全にコントロールできるようになった。それが、嶺との出会いだった。俺はシーカの肩に手を置いた。
「俺たちは、役者だ。」
シーカの唇に、俺は自分の唇を重ねた。お互い唇は冷たく、乾燥していた。唇を離すと、シーカは呆然とした顔で俺を見ていた。
「俺は、この偽物の生活も演じると決めた。そもそも俺は俺の人生をずっと演じ続けてる。これからもそうだ。シーカ、俺たちはもう戻れない。ドラマを降りることも、お前が今アイドルに戻ることも俺が今売れない舞台俳優に戻ることもできない。このドラマが終わるまで、演じるしかない。何故なら…お母さんの病気も、視聴者も、監督も…待ってはくれないんだ。」
「っ…」
「眠くんと嶺の事は、俺に任せて欲しい。俺は嶺がどうしたいのか知りたい。眠くんが嶺の考えたこんな馬鹿な作戦に乗った理由も知りたい。2人に俺が話を聞くから…お前明日からロケ撮影始まるだろ。それに集中して…「ショピ」
シーカの瞳は震えていた。
「…なんだ…?」
「もう一回」
「は?」
「もう一回、キスして」
声も震えている。
「なんで」
「今のはカメラのあるキスじゃない。プライベートのキスだった。ただの浮気じゃん」
「あー…まぁ、そうだな。意識してない。ほぼ黙らせる為にキスした。」
「ちゃんと、演技のキスを…」
「お前がロケ撮影無事に終えたら、腰抜かすくらいヤバいキスしてやるよ」
「!!////」
「だから、行ってこい。」
俺はシーカの手を取った。俺たちはもう戻れない。嶺の気持ちも、眠くんの気持ちも、俺がなんとかしないといけない。絶対にこの撮影を無事に終わらせる。俺が役者として、次のステージに進む為に。
翌日から、シーカはロケ撮影の為に長野へ向かった。俺は嶺と眠くんと話をする為に、最初に2人に話をした小料理屋を予約した。
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