第六嘘 狂宴の廓
私と眠くんの出会いは、5年前。
既に読モやアイドル活動を行なっていた私は、食べ盛りの成長期にいつもお腹を空かせていた。布を噛んで、お腹が空いてるのを誤魔化していた。空腹で眠れない目を擦りながら、ベッドの中で目を泣き腫らしていた。
「こんなはずじゃ無かったのに」
そう、こんなはずじゃなかった。お父さんの事務所で頑張らなくても好きなもの食べても常に仕事はあるはずだった。努力なんかしなくても、なんとかなると思っていた。膝を抱え、部屋のベッドの中でうずくまっていた。孤独だった。母もおらず、父とも仕事以外の交流は殆どない。私は1人で頑張っていた。1人の家で、空腹に耐えて、体を痩せ細らせていた。
「お疲れっす〜」
レッスンでよくすれ違っていた眠くんとは、一度も話した事は無かった。眠くんはレッスン室から出ると、廊下にあるベンチに座った。私は隣のベンチで、曲を口ずさみながら手だけダンスの練習をしていた。レッスン室は、眠くんが使った後を片付け終わったら先生から呼ばれて入る。その間の15分、私は眠くんを意識した事すら無かった。
「…ん…?」
フワリと、鼻腔をくすぐる匂いがした。眠くんを見ると、何と肉まんを齧っていた。肉まん、最後に食べたのはいつだっけ?お腹がグルル、と音を立てる。いけないいけない、アイドルはお腹鳴らしちゃダメよ。でも、肉まんに混じってジャンキーな匂いがする…
「っ!!」
肉まんを半分食べた眠くんは、コンビニの袋からフライドチキンを出した。クリスマス限定の、ちょっといいチキン。大口でかぶりつこうと、口を開ける。ぐあぁ、美味しそ〜〜〜………
「…腹減ってんの?」
眠くんは不思議そうな顔で聞いてきた。思春期だった私は、同級生の男の子からそう聞かれるだけで恥ずかしくて、俯いて顔を真っ赤にした。お腹の音、聞かれたかな。ジロジロ見てたの気づかれてたのかな。
「はい」
いつの間にか目の前に立っていた眠くんは、私に半分の肉まんを差し出していた。私は驚きのあまり、言葉を失った。呆然とする私に、眠くんは頭を掻きながらコンビニの袋を見つめた。
「仕方ねーな、ほら」
食べかけが嫌だと思われたのか、まだ口を付けていないチキンを差し出される。美味しそう、お腹すいた、レッスンツラい、食べたい、でも、でも…
「…太っちゃうから…」
「は?その分レッスンで運動すんだろ」
「でも…」
「腹減らしてレッスンしても集中できねーぞそれに、明日の朝走って消費すりゃーいい」
「…」
「ほい」
小さく口を開け、齧り付く。スパイシーな香りと、ほんのり眠くんの汗の匂いがした。一口一口食べて、全部平らげた。全部平らげる頃には、涙が止まらなくなっていた。お腹空いてた。努力しても努力しても、結果が出ない。ツラかった、誰かに相談したかった、頼りたかった。眠くんは笑わなかった。真剣に、私の口に入れる鳥を毟っていた。手は油だらけで、きっと自分だってお腹も空いてるのに、フライドチキンも半分残した肉まんも全部くれた。
「意外とよく食うな」
「ご、ごめんね、ごめんね!お金払うよ」
「あー、いいよいいよ。帰れば母ちゃんが飯作ってるだろうし。」
眠くんは優しく微笑んだ。なんて綺麗な笑顔で笑う人なんだろうと、じんわり心に温もりが広がっていくのがわかった。それからは、レッスンで会うたびに色んな話をした。私の母の話、眠くんの友達の話、モデルを始めた理由…眠くんは、同級生の男の子達とは何か違った。かっこつけたり思春期独特の壁を作ったり、そういうのが無い人だった。
その日もいつもと変わらないレッスンの日で、私は眠くんの後準備をしながらレッスン室が空くのを待っていた。その日、レッスン室から出てきた眠くんは、悲しそうな顔をしていた。先生も心配そうに、眠くんを見ていた。眠くんは私を心配させないように、震える声で話し始めた。
「俺、妹いるんだよね」
「妹?」
「うん、
「可愛い名前だね」
眠くんは少しだけ、悲しそうに微笑んだ。レッスン室の準備ができて私が先生に呼ばれ、眠くんは帰ろうと立ち上がった。私は思わず、その手を掴んだ。
「…何…」
「眠くん、泣かないで」
「は?泣いてないけど…」
「でも、泣くの我慢してる様に見える」
私はそっと、眠くんの額を撫でた。その瞬間、眠くんはボロボロと涙を零した。
「び、病気、に、なって」
「!!」
「悪性骨肉腫?みたいな、名前の…病気の事はよくわかんねーんだけど、父ちゃんも母ちゃんも妹の為に必死で働いてて…」
泣きじゃくりながら、眠くんはつっかえつっかえ話した。レッスン室の廊下は静かで、私の呼吸と眠くんの泣く声しか聞こえない。冬の温度が突き刺す、寒くて暗い廊下。眠くんの声は、静寂によく響いた。
「俺、今日、誕生日、で…妹、発作起こして父ちゃんも母ちゃんも、帰って来ないって言われて、それで、俺っ…」
泣きじゃくる眠くんを、私は抱きしめた。眠くんは私の腕の中で震えていた。
「俺、自分の弱いところ見せれるの、静香だけだから…っ」
私も、同じだった。私たちは、大人を頼ることができなかった。大人はいつだって、私たちを一人にした。子供同士で手を取り合い、お互いにだけ弱さを見せた。そうすることでしか、お互いを守る術が無かった。私たちは愚痴を言わなくなった。大人の前で、大人の望む自分達でいられた。だからお互いの前でだけ、本音で話した。手を伸ばせば、気持ちに触れて確認し合えた。見つめ合い、吐息を感じれば感情がわかった。どちらからとも無く、誰に言われるでもなく付き合った。そうなることが、当たり前だったみたいに。あの日から、私のそばにいてくれたのは眠くんだけだった。
「ウタゲが死んだ」
私と眠くんは、地面に膝を着いた。体を支える事ができなかった。ショピに連れて行かれるがまま、私たちは病院へ向かった。真っ白で無機質な病院のベッドに、宴さんは眠っていた。綺麗な人だ。生きてたら、眠くんに似て美人だっただろうな。宴さんには、何度も会っていた。そのうち一度だって、目を覚ましていた事は無かった。
「宴…静香が来てくれたよ」
冷たくなったご遺体に、眠くんは声をかけた。お腹の所で組まされた手に自分の手を重ね、手の甲に額を擦り付けて泣き出した。私は病室を出て、ショピの座るベンチに座った。
「側にいてやらなくていいのか」
「…いいの」
眠くんのご両親は、眠くんが高校二年生の時に他界した。原因は過労だった。その後は、眠くんがモデルとして活躍して妹を支え続けた。それも、今日で終わった。眠くんと宴さんの長い長い月日が、今日で終わりを告げた。病室からすすり泣く声がする。私はお疲れ様、と心の中で眠くんに声をかけた。
通夜や葬儀が終わり、私は眠くんにショピと暮らすマンションの近くにあるカフェに呼び出された。小洒落たカフェは、私と眠くんしかいなかった。眠くんはソワソワ落ち着かない様子で、テラス席に座っていた。
「お待たせ」
「うん、通夜も葬儀も、色々と手伝ってくれて本当にありがとう。本当に助かった」
「ううん、何もしてあげられなかったけど…でも眠くんの想いはずっと見てたから、少しでも何かしてあげたかったんだ。」
「…うん」
眠くんの手が、私の手をそっと握った。変装してるとはいえ、中々大胆な事をする。私は少し焦るが、眠くんはそのまま吐き出す様に話し始めた。
「この二重生活が終わったら、俺と結婚して下さい。絶対幸せにするから。」
目も合わせずにそう言った眠くんに、私は何も言えなかった。固まった私を見て、眠くんは不安そうに顔を上げた。
「…少し、考えさせて欲しい」
どうして、と動きかけた口を眠くんは閉じた。それ以上、その日は話す事は無かった。私はマンションに帰ってから、ソファに倒れ込んだ。
「…結婚、か…」
玄関のドアが開く音がして、私は咄嗟に寝たふりをした。帰って来たショピが、ソファの私を見つける。ショピは何も言わず、自室から持ってきた毛布を私にかけた。私の頭を撫でながら優しい声で
「おつかれさん。明日も頑張ろうな」
と言ってお風呂へ向かった。私は目を開けて、ソファに座った。わかってる。ショピが私を女として大切にしてるわけじゃ無い事くらい。眠くんと結婚して、ショピも嶺さんと結婚した方が幸せになれる事くらい、わかってる。それに私だって、そういう意味でショピを好きなわけじゃない。でも、でも
「この生活終わるの、やだな…」
独り言は煙の様に、吐き出して消えた。ショピと過ごす時間は、心がホッとした。穏やかで優しくて、安心する事ができた。父親や家族と過ごす時間の無かった私はらショピと暮らすこの時間が、いつしか1番安心できるものになっていた。一時的な関係だとしても、お互い目的があったとしても、今この生活を続けたいと思う気持ちが、胸の奥を燻っていた。
お風呂から出てきた濡れ髪のショピが、冷蔵庫を開ける。中から取り出したビールの缶を開け、その場でグビグビと飲み始める。色白で筋肉質な喉が、上下に動く。私は重たい口を開いた。
「ねぇショピ」
「!?、お前起きてたのか!!」
びっくりしたショピに、気にせず言葉を続けた。
「あのさ、キス、しない?」
ショピは手に持っていたビールの缶を足に落とした。痛みからうめき声を上げる。しかし、視線は私を捉えていた。ショピの視線が痛い。私は私の気持ちが知りたかった。
同棲を始めて1週間、これまでカップルらしい振る舞いは無い。ショピは少し間を置いて答えた。
「いいよ」
ショピの足が、私に向かった。
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