第五嘘 なんでそんな事言うの?





「お兄ちゃん」


私の声を聞いて、お兄ちゃんは薄く目を開ける。無精髭のあたりを手で撫で、大口を開けて欠伸をしながら起き上がる。


「はよ、リズ」

「おはよ、よく眠れた?」

「や、あんまし…」


ぼんやりと寝ぼけ眼で私の事を眺め、抱き寄せた。髪を撫で、肩に頭を乗せて夢と現実の狭間で少しずつ頭をクリアにしている。朝日が2人の暮らすワンルームに差し込み、私のわがままで決めた北欧風のラグマット上で踊っている。


この部屋に私たちが引っ越して来たのは、2ヶ月前。経済的な理由や会社の場所を理由にして両親に嘘を吐き、私達は二人暮らしを始めた。


「リズ、お前がこの話を聞いてどう思うかわからない。お前の気持ち次第では、俺はもう二度とお前には会わない。リズ、お前が好きだ。ずっとずっと、お前のことが好きだった」

「お兄ちゃん…」


4年前、私が18でお兄ちゃんが26の時に私とお兄ちゃんはお互いの気持ちを知った。


「私も、お兄ちゃんが好きだよ」

「!!」

「お兄ちゃん、2人で逃げよう」


お兄ちゃんはお父さんの連れ子で、私が10歳の時にお兄ちゃんはウチに来た。最初に見た時から、私はお兄ちゃんが好きだった。お兄ちゃんも、仕事の疲れやストレスを私で癒すウチに、私に根本的な安らぎを求めるようになったらしい。私達は私の大学卒業と兄の転勤を機に、2人暮らしを決意した。


「お兄ちゃん、コーヒーと紅茶どっち?」

「水…」

「もー、また昨日飲み過ぎたんでしょ!」


バツの悪そうな顔をするお兄ちゃんに倒れ込む。目を閉じると、お兄ちゃんの吐息と服の匂いしかない。お兄ちゃんと暮らすのは怖く無かった。むしろ望んでいた。私はきっと一生、お兄ちゃんと過ごすのだと思ったから。そしてその気持ちが、何よりも幸せだった。

朝の空気は少し冷たくて、低血圧なお兄ちゃんは少し起きるのがしんどそう。


「お兄ちゃん、ちょっとしてから起こそうか?」

「や、大丈夫…起きる、頑張るよ」


ボサボサに適当に伸ばした前髪の隙間から鋭い瞳が覗く。髪はボサボサ伸ばして、無精髭も生えてて、服も適当なのに、お兄ちゃんは昔は彼女が途切れた事が無かった。いつも違う女の子を連れ込んでて、数年前にピタリと女遊びをやめた。落ち着いただけだと思ってたけど、私の事を好きになったのが原因だと、今ならわかる。


「お兄ちゃん、好きだよ」

「俺も好きだよ」


カットがかかり、私はベッドから立ち上がった。服を直し、すぐに撮影した映像を確認する。まぁ大筋はOKだな。でも…


「お兄ちゃんの部屋に入るシーン直したい」

「俺も同じとこもう一回したい」


ショピと撮影しながら思うのは、映像に対する感性が私達は似ている。これはヘルメスのサイコロの時から思っていた。大切にしたい表現の部分や、伝わりやすさの印象に対する姿勢が似ている。たぶん堅実で硬い、空っぽの容器に人格だけを容れるような演技の質感が私達だ。だから、直しも撮りもスムーズだ。


「うーん…距離感は完璧だけど、表情とか目線がいまひとつ…何が足りないんだろう」

「大筋の演技はいいけどな。確かにもうワンプッシュ印象欲しい感じはするよな」


目線、話し方、肌の質感、体温、兄の匂い…五感を刺激するように妹の恋を表現する。私は最初のシーンを撮り終え、ショピと暮らすマンションに戻った。今日の部分をさらい直す為にすぐリビングにあるソファで台本を読み始めると、ショピが私の横に座った。


「下手くそ」


軽蔑する様な眼差し、否定の言葉。前の現場と同じだ。私はため息を吐きながら台本に目を戻した。シカトされてるにも関わらず、ショピは言葉を続ける。


「罪悪感の表現が無い。幸せだけじゃないだろ、この生活は。あと兄貴と何年も暮らしてんのにコーヒーか紅茶か聞く演技は必要ないだろ。あそこは上手にアドリブ入れろよ。」

「妹が2人での生活で兄が不自由しない様に必要以上に気を遣ってる感じを出したかったの」

「好き同士の兄妹がワザワザ聞かねーよ。お前の演技、本に振り回されすぎ。」


返す言葉もない。気になってた足りない部分全部の答えを出されてしまった。そっか、嘘を吐いて始めた生活の罪悪感と今まで一緒に暮らしてきたというリアルな距離感に欠けたのか。わかりやすい、バーカバーカ


「…不服そうだな」

「場慣れし過ぎて面倒臭いだけ!!」


あ、今の言い方はまずいな。


「何だよそれ。読み合わせの段階で汲めるような意図を自分が組めなかっただけだろ。」


あー、なんでそういうこと言うかな。


「ショピの方こそ手癖で演技し過ぎだよ。原作であのシーンそんな解釈するのショピだけじゃないの?幸せに一旦浸るでしょ!」

「普通の同棲とは違うんだぞ。どんな時だって嘘を吐いてる事実と現実問題から目を背けている背徳が罪悪感に繋がるだろ」

「っ…」


言いかけて、私は口を閉じた。


「言えよ」

「…自分がそうだから…?」


絞り出すような声に、ショピは悲しそうな顔をした。部屋に篭ろうと立ち上がった私の手をショピが掴む。痛いくらいの沈黙の後、ショピの絞り出すような声が部屋に響いた。


「なんでそんな事言うの?」


傷つけたくて言ったんじゃない。その気持ちに嘘はない。ショピのツラそうな顔で、私もツラくなる。胸がギュッと痛くなる。


「迷惑かけてるのも、ショピに嘘つかせてるのもわかってるよ。でも私…私他に出来る事なんて何にも無いから、これしか無いから…それを否定されながら一緒にいるのはツラい」


私の言葉に、正当性なんて何一つ無かった。私はショピの手を振り払い、部屋に閉じこもった。なんでこんなに、上手くいかないんだろう。


翌朝私たちは顔を合わせずに撮影に入った。今日は一緒になる場面の撮影は無く、少し離れた場所で淡々と撮影が行われた。さすがに大人だ。あんな喧嘩をして心がズキズキしてても、それを顔に出す事は無い。それが逆に、虚しくて心が空っぽになる様だった。


「シーカ、次あんた。さっさとして」

「あ、ごめんね」


イオちゃんに声をかけられて、私は立ち上がった。イオちゃんは振り向いた後、こっちをもう一度見た。


「昨日の初回撮影見た。」

「あ、そうなんだ。ありがとう」

「…迷いが、あった」


イオちゃんの言葉に、私は心を見透かされた様な気がした。イオちゃんは言葉を続けた。


「空っぽに、役を入れる」


それは、昔私が言った言葉だった。ヘルメスのサイコロの時に、インタビューで言った言葉だ。イオちゃんは人差し指で私の胸を指さした。


「リズの中に、あんたはいらない」


そう言い残し、イオちゃんはその場を立ち去った。イオちゃんの言葉は、私の胸に重くのしかかった。



帰り道、私はコンビニに寄った。プリン、タバコ、コーヒー、チョコ、アイス、ポテチ、グミ。パンパンの袋を持って、歩きながら帰った。


「シーカ」


呼びかけられて振り向くと、ショピが立っていた。重たくて肩の抜けそうな程の荷物を、ショピは軽々と私から奪い取ってしまった。


「この時間にこんなもん食ったら太るぞ」

「私のじゃないよ」

「?」

「ショピが何が好きなのかわからなくて」

「…俺に?」

「うん。昨日ごめんね」


ショピは、見た事のない顔で微笑んだ。優しさと温かさと、何処か寂しさのある笑顔だった


「俺もごめん。あんな話ばっかじゃ楽しくないよな。難しいな、結構嶺とはなあなあな付き合いしかした事無かったから、今更女の子の扱いなんてよくわからないんだ」

「…それだけ、ショピが真剣に考えてくれてるって私は思ってるよ。」


ショピは、柔らかく微笑んだ。偽物の関係、偽物の恋人、偽物の兄妹。


「相手がショピで、本当に良かった」


その言葉に嘘は無かった。ショピは照れ臭そうに、嬉しそうに微笑む。何もかも偽物だけど、演技のことで喧嘩したり私の頼みを引き受けてくれたり、いろんな事を心配してくれたり


そういうショピの優しさを、偽物にしてしまうのは嫌だ。


「ショピ、あのさ「シーカ!」


名前を呼ばれて振り向いたそこには、眠くんがいた。真っ青な顔で、涙が瞳に滲んでいる


「眠くん?」

「ウタゲが死んだ」


私は持っていた荷物を落とし、眠くんを抱きしめた。




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