第三嘘 同じ穴の孔雀





2人の間に流れているこの空気は、緊張感ってやつだ。私達は、お互いの顔をチラリと見た。目が合って、俯く。喉が乾いて、脈が早い。目の前にある懐石料理の味なんか、全くわからない。ショピも同じらしく、さっきから懐石料理の茶碗蒸しの蓋を開けたり閉めたりしている。私たちは、お互いの恋人を呼び出していた。もし話が拗れれば、杵櫛さんを呼んで監督も呼んで、それでも話が拗れるならもう今回の話は無しにしようと2人で決めていた。


「…ごめんね、ショピ」


私の謝罪に、ショピは少し間を開けて言葉を返した。


「別に、俺が決めた事でもあるし…それにずっと隠し通す事はできないだろ。勝手に2人で盛り上がってお互いのパートナーに隠し続けるのは自分勝手すぎる」


ショピも私も、同じ業界の人とお付き合いをしている。ショピは腹を括ってるが、相手の女性はどういうタイプの人なんだろう。一度も共演すらした事ないけど、話せばわかってくれるような人なのかな…?


「…わかってくれるタイプの恋人なんですか?」

「まぁ、わかってくれはすると思うけど…ただこれはこれで面倒な事になると思う」

「そっか…じゃあ問題は私の彼氏かも」

「え"っ」

「大丈夫、私必殺技持ってるから」


私の言葉にショピは余計に不安そうな顔になった。どうしてこんなに常識的で芸能人のクセに感性が一般人に近いショピがこの話を受けてくれたのかな…いや、一般人に近いからか。ショピがもっと、バカな大人だったらよかったとさえ思う。だったらこんなに、心が痛まなくて済むのに。襖が開き、2人の人影が部屋の中に入って来る。私はギュッとハンカチを握りしめた。


「話って…おお、シーカちゃん」


ショピの恋人の、檜隈嶺ひぐまれいさん。日本に知らない人はいない、大物女優。日本で1番綺麗な人だと言われ、女優としてもモデルとしても活躍している…いわば職業"美人"の美女だ。サラサラの髪、切長の目、毛穴ひとつ無い美しい肌、細くスラリとした長い手足…本当に私と同じ生き物だろうか。

嶺さんは不思議そうな顔をしながら、ショピの前に座った。その後に、もう1人もソロリと入ってきた。


「お疲れ様です…」


私の恋人の、藤品川眠ふじしながわねむりくん。メンズモデルで、雑誌や東京コレクションで活躍し、先日メンズモデルの最高峰「ジュロン・ボーイ」に選ばれたイケメンだ。彼もただならぬ空気を察して、私の前に座った。静かな静寂の後、口を開いたのはショピだった。


「頼みたいことがある」


ゴクリと、嶺さんと眠くんと私が唾を飲む。


「俺とシーカは、とあるドラマからオファーを受けた。大型のドラマ企画で、俺とシーカは受けたい。しかし条件があって、ドラマ制作側はあくまでリアリティを追求したいとの事だった。向こうが出してきたのは"期間限定で疑似恋愛をする"という条件だ。俺はすぐに断ろうとしたが、シーカはどうしても重病の母にその作品を最後に見せたいらしいんだ。俺もその理由を聞いて、シーカに協力したいと思った。頼む、この話を認めて欲しい」


包み隠さず言ったショピの言葉に、沈黙する2人。いつになく真剣な顔のショピに本気なんだと察した嶺さんはニカッと笑って口を開いた。


「別にいんじゃね?」

「何言ってんだあんた、いかれてんのか?」


嶺さんが答えると同時にショピに全く真逆の事を返したのは私の恋人の眠くん。眠くんと嶺さんは顔を見合わせた。


「ちょっと、眠くん…私の意思で頼んでるんだから失礼な言い方しないで」

「お前が頼んだとしても、まともな大人ならこんな話引き受けるわけないだろ。シーカもシーカだけど、常識的に考えろよ」

「眠くんの考えるまともな大人は、死に際の母親の願いを叶えたいって言ってる相手を簡単に見捨てる人なの?」

「それはお前だけの都合だろ。俺はお前が1番大切で好きで他の誰のモノにもしたくないから付き合ったのに、こんなふざけた提案飲めるわけないだろ。」


お前だけの都合。私はその言葉に深い悲しみを覚えた。わかっていたけど、言われて当たり前だけど、私の心を抉った。私の顔を見て助け舟を出したのは、嶺さんだった。


「翔太郎、私は反対しないよ。作品の為なら翔太郎の好きにしてくれ。私は翔太郎を信じてるから、別に構わない。」


嶺さんは立ち上がり、車の鍵を取った。鞄を腕にかけ、上着を着て襖を開けた。そしてこっちを振り向いて、美しい顔で微笑みながら私とショピに会釈をした。


「今日は冷静に話せる状態じゃ無さそうだから、後日また詳しい所は詰めよう。」

「異常者が」


眠くんの言葉に、私とショピは口を出そうとしたが、嶺さんは爆笑して私たちを手で制した。そして、ゾッとするほど美しい笑みを浮かべて眠くんに視線を向けた。


「正常な精神で生き残れる世界に自分がいるって思ってるの?君は。」

「なっ…」

「テレビに出られる少ない枠を、私たちは常に他人と取り合わないといけない。美しい容姿や親の財力、体を千切るようなレッスンや厳しい食事制限、私たちはね…」


嶺さんの顔から笑顔が消える。私は彼女から目が離せなかった。この場の空気は全部、今彼女の手の中にある。父が昔言っていた。ごく稀に、圧倒的に神に愛された芸能人がいる。そういうのが…本物だと。


「作品の為なら、手段は選ばないのよ」


嶺さんの言葉に眠くんは黙り込んでしまった。ショピは焦って嶺さんを追いかけ、私は眠くんと2人になった。


「眠くん、ごめん。眠くんが納得してくれないなら、この話は無かったことにしようと思ってた。でも私は誰に反対されてもやるよ」

「マスコミにリークしてやる」

「構わないよ。別れようか」


私の言葉に眠くんはわっと泣き出し、机に顔を突っ伏した。卑怯だが、これが私の使える手だった。眠くんは私から離れられない。卑怯だなんてわかってる。こんなことが、許されていいとは思ってない。でもごめん、眠くん。私は眠くんを抱きしめた。


「ごめん意地悪言って。でも、どうしてもお母さんにこの作品見せたいの。ごめんね。」

「俺我慢する、疑似恋愛くらい、本当は嫌だけど、俺のシーカを誰にも触らせたくないけど、でも我慢する。だから、別れるなんて言わないで。シーカ、愛してる…」


抱きしめ返す腕の中で、私は偽物の涙を流した。ごめんね眠くん。1番に愛してあげられなくて、ごめんね。











「嶺!」


タクシーに乗る嶺を呼び止めると、ニコリと笑って俺の腕に巻きついた。機嫌がいい。あれだけ言われたのに、上機嫌だ。機嫌が悪いと呼び止めても振り向かないし、腕も組んでこない。


「嶺ごめん、俺…」

「翔太郎の事初めて、面白い人だと思えた」

「へ?」

「これから、楽しくなりそうだねぇ」


本当に子供みたいに無邪気に笑う顔に、俺は薄寒いものを感じた。嶺は普通の人間と何もかも違った。嶺には、心や感情が欠如していた。嶺はどこにいたって、画面の中の人間だった。嶺は嶺を演じ、その中に俺がいるだけ。嶺は俺からの愛の言葉なんて、どうでもいいのだ。嶺にとってはそんな事、あっても無くても同じだ。シーカの彼氏を思い出す。あいつらの方がよっぽど、普通の感性を持ったカップルだ。


「じゃあまたね!」

「嶺待って…!!」


バタンと閉められた扉は車の流れに消えて行った。俺はさっきまで確かに車のドアを掴んでいた手を、握って開いてを繰り返した。











後日、4人でもう一度話し合った。私とショピはその翌日から、都内のマンションで一時的に2人で一緒に暮らすことが決まった。嶺さんと眠くんの決めた決まりは"性交渉無し""寝室は別々""世間にバレたら即終了""本当の恋人との約束が優先"という決まりだった。ほとんど眠くんが決めた決まりだったけど、私たちは受け入れた。そして荷解きもそこそこに、撮影初日を迎えることとなった-。

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