大枝山の鬼退治

なかoよしo

金閣寺

今となっては昔の事だが、源氏の祖には源頼光という男がいて、四天王を連れて大江山で酒呑童子を退治したという物語、大江山絵詞がある。


元は下級貴族であり、居貞親王に仕え朝廷警護の任についていた。

九九六年(長徳二年)朝廷でのクーデターがあったが、戦にならずに帰った事以外は今昔物語集に、御殿で寝ているキツネを射抜けといわれるが、「矢を外したら恥辱じゃないですか? それに射抜ける自信もないですよ」と言い訳してたら急かされて「マトが遠すぎるんですよ」と言い訳を止めないまま、しぶしぶ射つと、なんとかキツネに当たるが逃げられたという話しか他に記録はない男である。


源頼光は最有力貴族のボディーガードだが実際には偉い人物ではなかったのだ。


彼を有名にして英雄にしたてた男は一三六七年一二月七日、十歳にして父親を亡くして将軍になった男であった。


室町幕府第三代将軍、足利義満は京の北朝、吉野の南朝を統一して戦乱を治めようとしていたが、その前に幕府内にも反体勢力、山名氏がいて、戦のため、他人の領土を占領していったため、義満はコレを認めず領土の返却命令をだすが、対立が激化するだけだった。


そして、一三九一年、三十四歳の時、山名氏清と全面戦争である明徳の乱が起こる。

山名氏は鬼神。

義満は内野に陣をはる。

内野は、大江山絵詞で源頼光が陣をはった大内裏のあった場所であり、山名氏が通った大枝山は疫病や鬼が通る道とされている。


義満は鬼である山名氏を退治した。


義満は当時の中国、明との貿易で財政を改善するために、略奪を繰り返していた倭寇を討伐し、倭寇に捕らえらた中国人、朝鮮人に捕らえられた百五十人を救いだして解放した。


源頼光が鬼に捕まった大陸の人々を解放する部分に類似している。


一三九二年、南北朝統一したが、足利氏は将軍の家来の血筋名であり、同程度の位は沢山いた。

義満は過去の先祖、頼光と自分を照らし合わせて、崇拝し、鎌倉時代との違いをだそうとして、義満を顕彰するために、頼光を英雄にしたのである。


頼光の鬼退治には、国宝、童子切安綱や、首塚大明神などの逸話や証拠が今も残っている。


鬼退治の伝説は室町幕府黄金期の礎となったのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

大枝山の鬼退治 なかoよしo @nakaoyoshio

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る