エピローグ
227 エピローグ①
――メイクール国、城の大広間にて。
城の従者や執事は忙しなく、怪我人の世話や手当てをし、動ける兵士らは残った魔物の討伐を引き受けていた。
アルも手助けをしたかったが、記憶のないパティを一人にはできないのと、魔物はそれほど数が多くなく、兵士らで処理できるとの理由で、アルはパティの傍にいた。
広間は騒がしかったが、アルの頭の中は奇妙に静かだった。
パティは、何も覚えていない。
自分の名前も、何をしていたのかも、何をしてきたのかも、アルと関わってきたことも、全て。
何も分からぬパティは不安そうに、周囲を眺めていた。
(……僕は何でこんなに沈んでいるんだ。何も覚えていないパティの方が、不安でたまらない筈だ)
アルは気を取り直して、パティに向き合った。
「パティ……、あ、君の名はパティというんだ。心配はいらない。不安だろうけれど、僕も、城の者たちも、これからずっと、君を助けるよ」
アルは、パティが怖がらないように、ごく柔らかく言った。
パティはアルの優しい口調に安心したようだった。
「はい……、ありがとうございます。あの、あなたのお名前は何というのですか?」
「ああ、まだ言ってなかったね。僕の名は、ジュノンアルタイア・ロード・メイクール」
パティに出会った頃のことを思い出して、アルは言い、手を差し出す。
本当に何も覚えていないんだ――、と、心の中では、切なさをひた隠し、アルは笑顔を見せた。
パティはアルの笑顔にほっとしたのか、はじめまして、と、彼女もまた微笑んだ。
アルの手を、自分の手でそっと繋ぎ、それなら……、と、続ける。
「……それなら、アルと呼んでもいいですか? 長い、お名前ですから――」
パティは何気なく言ったのだろう。
思い出した訳でもなく、何の感慨もなく、思ったことをただ口にしただけだ。
それでも、アルは、ぐっと心臓が引き絞られるような感覚がした。
アル、と、パティの唇が、柔らかな声を乗せたことが、嬉しくて堪らなかった。
「ああ、勿論だ。そう呼んでくれて、構わないよ、パティ」
アルは、本当は感激したが、そうは見せずに返事をした。
アルは、影を落としていた世界が、ぱあっと光りを取り戻したような気がした。
――その後、数日が経った。
ダンが、海賊の子分から、一つ報告を受けた。
数日前、パティから、美しい若い男女、三十四名を預かっている、と。
ダンが様子を見に行くと、その船には、確かに美しい顔をした男女がおり、パティは結局戻らなかったので、「どうしましょうか」、と、子分らはダンに相談した。
翼はなかったが、ダンは、彼らが天使だと、すぐに理解した。
ダンがアルにそれを話すと、アルはマディウスやカイルと相談し、彼らを、修道院や教会へ数名ずつ振り分けることとした。
天使たちは皆、パティのように記憶がなく、地上の知識もないことから、通常の暮らしでは困難が多いことから、修道女や僧侶としての生きる道を与えた。
修道院での暮らしに慣れれば、別の生き方も選択できるかもしれない。彼らが望めば、勉学や剣術、畑仕事等を学ぶ機会も与える、と、アルは思っていた。
アルは、天使たちの処遇について、責任を持って面倒を見ることとした。
およそ数か月の後、天使たちは地上の暮らしに慣れ、それぞれ個性を発現し、美しい外見というだけで、人と変わらぬ性質を持つようになっていた。
……一つ、人間たちのあずかり知らぬところで、セシルが地上の平穏に一役買っていた。
セシルがノエルの力を受け取って目覚め、光と闇の大いなる力を継いだ彼女のことを、魔世界から入り込んだ高位魔族は気付いていたー。
残った高位魔族は、全部で六体だった。彼らに個別に接触し、セシルは、二つの条件を示した。
一つは、人間の世界を壊さない事、二つ目は、無秩序に命を奪わない事だ。
その条件に止めたのは、彼らにも身を護る権利があり、力を示して生きてきた魔族にとって、一つの命も奪わず平穏に暮らしていくことは、無理難題であるとセシルは分かっていたのだ。だからと言って、セシルは、高位魔族を殺そうとは考えなかった。
彼らは理知的で強い精神と能力を持ち、古くから生きてきた一つの種族だ。
彼らにも、生きる権利がある。
高位魔族たちは、まじかに会ったセシルに、戦うなど有り得ないほどの多大な力も感じ、逆らうことも意を唱えることもなく、素直に応じたのだった。
セシルは、唯一生き残った神として、地上をこの先見守っていくだろう。
――そして、続いては、この物語を彩った者たちのその後のこと。
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