210 セシルとノエル

 セシルは、目の前のオデッサとの戦いに集中しなければならないが、心は裏腹に、戸惑いに揺れていた。


 ――どういうことだ、ノエル・ジュダムよ。私に、冥王の力を受け渡すだと?

 

≪そうだ、お前には、その資格がある。私の願いを叶えてくれぬか?≫



「何を考えている、戦いの女神とやら! 私に集中しないか!」

 心ここにあらずなセシルに、オデッサは鎌を振り回して怒り顔で叫ぶ。


 戦いに集中していなかったので、セシルはオデッサの鎌に腕を軽く切られた。

 セシルは、くっ、と小さく唸る。


(オデッサも魔王の一体。考えながらではやられる……)


 セシルは剣を両手で持ち、オデッサを見据える。

 オデッサは満足そうに魅惑的な笑みを浮かべ、目に見えるほどの膨大な魔力を放出し、体を覆った。


「〝肉体強化魔術ストレインゼン〟」


オデッサの白い膚が瞳と同じ赤色に変色し、スピードを増して鎌を振り上げてセシルに迫った。

 

「来い! 返り討ちにしてやる」


 セシルは迎え撃つために剣を持つ手に力を込めた。

 

オデッサとセシルの互いの武器がぶつかると、ばちばちと火花が周囲に散り、轟音が広範囲に響き渡る。その音は、メイクール国王都にも、届いていた。


 セシルとオデッサは、更に力を込め、互いの武器を押し合う。

 

「ああああああ!!」

 オデッサはこめかみをひくひくと動かし、叫び声を上げ、セシルの剣を押し込んでいく!


 セシルは力で押し負け、剣を押され、もう首元にまでオデッサの鎌が迫っていた。


「〝猛炎の剣インテンスファイア〟!」


 セシルが叫ぶと、セシルの体から大量の炎が迸り、それは剣をも巻き込み、オデッサの体にも激しい炎が移る。


「きゃあああああ!」


 激しく飛び散る炎に巻かれ、オデッサが叫び声を上げる。


 セシルは怯んだオデッサに、鎌から逃れ、オデッサの心臓に向けて剣を突くー。

 オデッサはすんでのところで心臓への直撃は避けたが、セシルの剣はオデッサの足を突いた。

 オデッサを取り巻く炎は暫くは燃え続け、オデッサが腕を振るって魔術を発動させ、海の水を体に噴水のように浴びせると、ようやく炎は鎮火した。

 オデッサの体は、元の膚の色に戻っていた。


 オデッサは片足を突かれ、火傷を負い、彼女の服や髪はぼろぼろになってたが、〝肉体強化魔術ストレインゼン〟をかけていたために見た目ほどの傷ではなかった。


 オデッサは歯をぎりぎりと噛み締め、鎌をセシルに向かって振り上げた。

 バシュッ!

 

 一瞬反応の遅れたセシルは、オデッサの鎌に横腹を深く抉られた。

 がはっ、と、セシルは血を吐いた。


 再びオデッサは攻撃を仕掛けようと動いたー、が、その時オデッサにもデルタロギスの目にもほとんど映らぬ速さで動いた者がいた。


 ノエルだ。

 ノエルは、馬のような姿となり、セシルの服を咥え、一瞬の内にその場から離れた。


 ザプッ。

 

 セシルを咥えたまま、ノエルは海の中へと潜っていく。


「ノエル……何をする、放せ!」


 セシルは、咥えられた態勢のままノエルを見上げ、睨みつけた。

 セシルはノエルの口から逃れようと身を捩り、口を開かせようとするが、血を流し過ぎたのか、思うように力が出なかった。


≪お前は随分と手傷を負った。このまま戦い続ければ、上手く倒すことができたとしても、お前も無事ではすまないだろう≫


 セシルを咥えているためか、ノエルはテレパシーでの会話を続けた。


「だからと言って、私には逃げる道理はない!」


 セシルは海の中で叫んだが、ノエルは聞く耳を持たなかった。二人はそのまま海の中深く、沈んでいく。


「ノエル、戻れ! どこへ行くつもりだ! 魔王どもを放っておくつもりか!?」


≪言っただろう、私の力を受け渡すと。もう時間がない。邪魔の入らぬ場所へ行く。オデッサとデルタロギスの元へは、石を持つ人間たちがもうすぐ辿り着くー≫


「人間たちが……? あやつらに、魔王を倒せるとは思わないな。それに私は、了承していない。第一、神々の聖なる力によって生まれた私が、魔の力を受け入れるなど、できる筈がない!」


≪いいや、できる。聖なる力から生まれたとしても、魔を受け入れられる。パティがそうだ。魔の力をその身に宿した。だから私は、パティの瞳に魔の力を封じ、隠すことが出来た。大いなる力と、それに耐え得る強い肉体と精神を持つ女神セシルよ。お前は、私の特別な力を受け継ぐことが可能だ≫


 そこまでノエルの思考がセシルに伝わると、ノエルの動きが止まった。

 セシルが、口を閉じた。

 彼女は迷っていた。


 セシルを咥えたノエルは、海の底の、更に洞窟の中奥深くに入り、その場にセシルを降ろす。

 その場所は、なぜか不思議と明るかった。

 ノエルの姿は再び、若い男の姿へと変化をした。


「私は、天世界を護る手段として生まれたに過ぎない。魂を司る力など、私には必要ない」

 セシルは淡々と言った。


「必要だ、この世界には!」


 ノエルは叫ぶ。

 ノエルは尚も続けた。


「……なぜなら、命には、救いが必要だからだ。この世に生まれた命は、魔であっても人であっても、悲しく惨たらしい一生を終える者も少なくはない。その者らには、この私の力が必要だ。次代には、生まれを選択し、平穏に生きることが約束された、この能力がな」


「ノエルよ、貴様は神にでもなったつもりか? 魂を裁き、その行く末を決めるなど――」 


 ノエルは、ふっと口元だけで笑う。

 セシルの言ったことが、この上なく愚かなことだとでもいうように。


「天の神などと一緒にするな、セシル。彼らは自らを魔よりも人よりも上の位置とし、区別している。神は聖なる存在だからだ。だが私は違う。私の前では、全ての命は平等だ」


 愚かな人も、命を無駄に奪ってきた魔も、天の神であっても、同じ一個の生命を持つ。

 それはごく当然のことでありながら、天にはそのような考えは存在していない。

セシルは、ノエルがこの世の頂点を極めた魔王という存在でありながらその考えを持っていることに、衝撃を受けた。


「ノエル……、もう一度訊く。なぜ、私に、冥王の力を継がせようとする?」


 セシルの心境に変化が表れたことを、ノエルはこの問いで感じ取った。


「セシルにはできるからだ。魔であろうと、人であろうと、公平な目で見て判断し、魂を救うことが――」


 セシルは顔を少し上向け、その後、ノエルの闇色の瞳を見つめた。


「……分かった。お前の望み通り、力を継いでやろう、ノエル。だが、一つ、頼みがある。もしも可能ならば、叶えて欲しい。もしもそれが叶わずとも、私は、力を受け継ぐことを拒否はしない」


 セシルがその願いをいうと、ノエルは頷いたので、セシルは心から幸福そうな穏やかな笑顔をノエルに向けた。





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