169 混乱の最中
一方、ロゼス、アル、それにイーシェアの三名は、まだ水の小舟に乗っていた。
もうすぐ、スラナ村へと辿り着く。
「イーシェア、メイクール国の魔素の濃い場所を、あなたは隠していたと言っていたな。魔素の濃い場所とは、どこなんだ?」
落ち着きを取り戻したアルは、イーシェアに言った。
「――それは、ブラッククリスタルの、採掘場です」
「ブラッククリスタルの……」
「ええ、そうです。あの石は、魔の力の結晶のようなもの――」
「それでは、これも……」
アルは、自らの耳に穿たれた、ブラッククリスタルにそっと触れた。
ブラッククリスタルが魔の力の結晶だったとは、アルは何も知らないでいた自分を恥じた。だが事実はそれだけではない。
ベアトリクス・ブラッククリスタルは、メイクール国の主たる収入源なのだ。つまりこの国は、魔の力によって、人々の暮らしが成り立っている、ということだ。
ブラッククリスタルは、およそ七十年前、王都からそう遠くない、幾つか小規模な山が並び、その下は崖となっているその場所にて、見つかった。
崖下に、突如、何かの衝撃がぶつかり、巨大な穴が開いた。
その数年後、見たこともない黒い鉱物、ブラッククリスタルがあったのだー。
以来、その場は採掘場となり、メイクール国は、国をあげてその黒い石の採掘に力を入れてきた。
ブラッククリスタルを手に入れてから、メイクール国は劇的に豊かになり、食糧難に陥ることはなくなり、また、その石と物々交換という形で各国と取引きをすることで、一部の国から狙われることを、数十年は免れられた。
メイクール国の平和は、ブラッククリスタルと共に存在している。
その平和は、魔の力によって組み敷かれたものであったとは、アルは、何とも言えない思いだった。
「……ブラッククリスタルは、魔の力の結晶だと言いましたが、魔の闇の力ではなく、自然界に存在する、他の鉱物と似たエネルギーです。けれど、その石はこの世で最も硬い鉱物であり、その発するエネルギーが他の石と比べ、あまりに大きいことは、感じ取れます」
イーシェアが言ったことで、パティが、ブラッククリスタルに何の反応も見せなかったのは、そのためだったのか、とアルは納得した。
ブラッククリスタルが、一体なぜ存在しているのか定かではないが、今は、それを気にしている時ではない。とにかく、その石が埋まっているところが、魔素の濃い場所であるのは確かだ。
アルがそう思った時、小舟は、スラナ村の近くの、海に繋がった川に到着をした――。
スラナ村の住民も混乱していたが、村はまだ無事で、アルは、心から安堵した。
村には王都から来たと思しき兵士が数名おり、村人たちと何やら揉めていた。
「村を捨てて避難するなんてできない……。ここは俺たちの故郷なんだ!」
「そうだそうだ、村が滅びると分かっていて、逃げ出せるものか!」
男たちは口々に叫び、子供たちは、不安そうな顔を見せている。
「ウォーレッドの軍勢がすぐそこまで迫っている! こんな少人数では殺されるだけだ! 女子供だけでも、避難するんだ!」
「あたしだって、戦うわ! 女だからって、逃げ出すもんか!」
衛兵がいうと、今度は農具を持った女が威勢良く言った。
「これでは、埒が明かない……」
ロゼスが、揉めた人々を見て、ため息交じりに言った。
少し離れた場所いた三人だが、アルが駆け出して、傍へと寄った。
「――何をぐずぐずしている。早く逃げなければ、手遅れになるぞ」
人々が声のした方を振り返ると、そこには、数年後、その国を担うことになる、若い王子、アルタイアが立っていた。
「お、王子! 戻られたのですね、良かった……!」
「アル様、おかえりなさい!」
「アルタイア王子、早く、城へ――」
などと、アルを見た面々は口々に言い、彼の周囲に集まった。
アルは囲まれた人々を見て、彼らが安心するよう、少し微笑むと、キッ、と厳しい目つきをする。
「皆、ここにいてはいけない。年寄りや子供を連れ、すぐに王都へ向かうんだ。王都で戦える者は戦い、避難する者は城へ。こんな時には、城では、できる限り、民を受け入れている筈だ。僕は、ウォーレッド国の軍勢を見た。彼らはもうすぐ、ここへやってくる」
アルは、一人一人の目を見て、焦ることなく、落ち着き払った声で言った。
「で、でも、アル様! ここは大切な故郷なのです! 捨てるなんてこと……」
「勝手なことを言っているのは分かっている。しかし、あなた方には、王都で戦ってもらいたい。王都にいる兵士と協力し、武器を取って欲しい。ウォーレッドの軍勢は数が多い。メイクール国だけの兵力では、とても敵わない……。酷なことを言うが、このスラナ村で戦っても、犬死にするだけだ」
黙り込んだ村人に、アルは更に畳みかける。
「国が無事なら、村はいずれ立て直せる。どうか、スラナ村のことは一旦諦め、国を護るために、力を貸してくれ」
村人らは、皆俯き、黙った。
「分かりました……! 俺は、メイクール国のために、王都へ向かいます」
その内の一人が顔を上げ、口を開く。
「あたしも、王都へ行って、戦うわ。それで、メイクール国が助かるなら……」
集まった者たちは口々に言い、やがてほとんどの者が、村を去ることを決意してくれた。
(やはり、いずれメイクール国の王となるのは、この方しかいない)
ロゼスは、まだ十五の身でありながら、民を説得したアルを背後から見つめ、彼の偉大さを実感した。
(俺も、本来は王子と同じ立場だったのか?)
今は存在しない、ファントン国の王族として生まれたロゼスは、そう思い、自嘲気味に笑った。
(いや……。俺には、人々を説得し、導くような力はない)
――何があっても、この方を守り切る。
ロゼスは改めて決意をした。
「王子、俺たちもここからは馬で王都へ向かいましょう。早馬で飛ばせば、三時間ほどで着きます」
ロゼスが言ったことにアルは頷き、スラナ村にいた衛兵から、早馬を預かった。
「王が、城でお待ちです。残った者たちもすぐに王都へ向かわせます。王子は先に、城へお戻りください」
そう言ったのは、近くにいた衛兵だ。
「分かった。頼んだぞ」
「――はい」
衛兵はアルに敬礼し、アルたち三名は、馬に乗り込み、すぐに走らせる。イーシェアは、ロゼスの馬の後ろへと乗った。
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